内田樹『コロナ後の世界』

内田樹の最近の講演『コロナ後の世界』(http://blog.tatsuru.com/2021/10/15_0921.html)が、興味深い視点をいくつも提示している。そのいくつかを抜き出しておく。

1 今後も世界的なパンデミックが間欠的に繰り返すということです。新型コロナの感染が終息したら、それで「おしまい」というわけではありません。人獣共通感染症は21世紀に入って新型コロナで4回目です。SARS、新型インフルエンザ、MERS、そして新型コロナ。5年に1回のペースで、新しいウイルスによる人獣共通感染症が世界的なパンデミックを引き起こしている。 2 グローバル資本主義の時代では、ヒト・商品・資本・情報が国民国家の国境線とかかわりなく、クロスボーダーに超高速で行き来するということが自明のこととされていました。しかし、コロナを経験したことによって、国民国家の国境線は思いの外ハードなものであることが再確認されました。パンデミックのせいで今起きているのは、いかなる企業も、国民国家の国家内部的存在であって、その国に対して帰属感を抱き、同胞たる国民のために雇用を創出し、国庫に多額の税金を納める「べき」だという国民経済への回帰の心理です。 3 パンデミックが終わらせたと思われるのが「遊牧的生活」です。日本でも、この30年、エリートであることの条件は「日本列島内に居着かない」ということでした。海外で学位を取り、海外に拠点を持ち、複数の外国語を操り、海外のビジネスパートナーたちとコラボレーションして、グローバルなネットワークを足場に活動する。日本には家もないし、日本に帰属感もないし、日本文化に愛着もないという人たちが日本はいかにあるべきかについての政策決定権を握っていた。まことに奇妙な話です。でも、パンデミックで、(それに)ブレーキがかか(りました)。4 日本列島から出られない、日本語しか話せない、日本食しか食べられない、日本の宗教文化や生活文化の中にいないと「生きた心地がしない」という定住民が何千万といます。まずこの人たちの生活を保障する。完全雇用を実現する。それが国民経済という考え方です。 パンデミックはある地域に住むすべての住民が等しく良質の医療を受けられる体制を整備しない限り、収束しません。5 教育システムもコロナ後の世界では変化をこうむる可能性がある。良質な学校教育を受けたかったら、アメリカやヨーロッパに行けばいいということを平然と言う人がいます。日本の大学を世界レベルのものにするために手間をかけたり、予算をつけたりする必要はない。そんなところに無駄なリソースを使うよりは、すでに世界的な人材を輩出しているレベルの高い学校に送り込めば済むといいい放つ人がいます。「教育のアウトソーシング」です。 必要な教育は自前で整備する必要はない、金がある者は金で教育を買えばいいという発想をすれば、日本の学校教育は空洞化して当然です。パンデミックのせいで、この1年半の間、留学生たちが行き来できなくなりました。医療も教育も、エネルギーも食料も、国が存続するために不可欠のものは、一定程度の戦略的備蓄は必要です。 6 パンデミックでグローバル資本主義が停滞して、国民国家の再強化が始まりました。グローバル経済から国民経済へのシフトが始まる。これまでアウトソースしていたもののうち、集団の存続に必須のものは国産化されるようになる。「グローバルからナショナルへ」という流れはこのあとしばらく続くでしょう。7 国内については、その属性にかかわりなく、全住民の権利を等しく配慮するというタイプの為政者がこれから世界では「あるべき政治家」となることでしょう。ナショナリズムというのは、その属性にかかわらず、性別や信教や出自や政治的立場にかかわらず、「日本人であればみな同胞」として温かく包摂することです。国民を政治的立場で色分けして、反対者には権利を認めず、資源の分配から遠ざけるというような政治家は「ナショナリスト」とは呼ばれません。それはただの「トライバリスト」です。彼は「自分の部族」を代表しているのであって、「国民」を代表しているわけではない。このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。トライバリズムを棄てて「ふつうのナショナリズム」に立ち戻る必要があります。その道筋はまだ見えていませんが、それ以外に日本再生のチャンスはありません。(2021-10-15 )