教育こども学科1年生の文章から読む 将来の教師像

今の教育こども学科の1年生の多くが自分の将来をしっかり考えているということを知って驚き、頼もしく思った。それは自分の若い頃と比較してのことである。

振り返ってみると、私はその日がなんとか無事過ごせればいいと思っていた節がある。寝床についた時が一番ほっとして、今日一日無事に終わったことで安堵し、また緊張を強いられる明日の一日が始まる朝までのつかぬ間の時間が、一番好きだと思った記憶がある。高校の英語の時間は辛かった覚えがある。特に英語が不得意という訳ではなかったが、教師から指名されると、英文の訳だけでなく出てきた単語の名詞形は何か形容詞形は何かなど関連したことを細かく聞かれた。答えられないと皆の前で恥をかいた。それで恐怖で、英語の時間が終わるとほっとした。将来の進路も自分の好きな科目や得意な科目から大学の受験学部を選び、将来何になりたいからこの学部を選ぶというような考え方をを全くしなかなかった(それだけ出身階層が低かったのもしれない。低い階層の人間はその日暮らしで、将来のことを考える余裕がない)。したがって、クラスメイトがそれまで学んだことのない法学や経済の学部を受験しようと考えるのがとても不思議だった。また教師になろうという将来像もなかったので、教育学部という選択肢もなかった。それでたまたま物理の成績がよかったので、理系の学部ばかり受験して、受かった大学の理系の学部に入学した。大学で授業を受けてみて、自分が理系向きの人間でないことがすぐわかった。それで、3年次に教育学部に転学部して、大学院まで行った。私は大学教師という仕事を40年近く続けてきたわけであるが、それも大学教師を目指したということではなく、目の前の課題をこなしていたら、いつの間にか大学教師になっていたという感じである。

敬愛大学教育こども学科1年生対象の「教育原論」の授業で、第11~12回は教師のことを取り上げ、教師に関する5つの資料(①向山洋一「教師に必要なのは、思いやりか教育技術か」、②東京都の教師の1日、③恒吉僚子『人間形成の日米比較』、④教師の仕事の国際比較、⑤本田由紀『軋む社会』(自己実現ワーカホーリック))を学生に読んでもらい、それも参考に、「将来どのような教師になりたいか」を考え、400字~1000字で書いてもらった。

その課題に対する敬愛の1年生70名弱の解答(コメント)を読んで、ほとんどの学生が将来の自分が教師になった時のビジョンや具体像をしっかり持っていることに驚いた。私の場合、教育学部に進学した3年次に、将来のことはほとんど何も考えていなかったし、自分の教師像など持っていなかった。これは、現代の小中高のキャリア教育のお蔭なのであろうか。また今の学生はしっかりした文章を書くことができることもわかる。これは国語教育の成果なのであろうか。以下に、その課題提出の文章の一部を掲載しておく(下記添付参照)。

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