道徳・倫理項目の国際比較を


いま日韓の政治関係が悪化している。日本人から見ると、韓国側の言い分が理にかなっていないように思える(例えば、一度約束して決めたことを簡単に反故にするなんて)。逆に韓国人から見ると、日本側の言い分が理にかなっていないと思えているのであろう。

日常的な道徳や倫理項目に関して、国による認識の違いがあるのではないか。国を超えて共通に認識されている普遍的な道徳・倫理項目ももちろんたくさんあると思うが、関係が悪化した時は、違いの方に着目し、相手の立場に立って考えてみる必要があるように思う。。

日本の学校教育の道徳の時間に教えられる道徳項目(4領域)は、普遍的で他の国にも通用するような項目が上がっていると思ってしまうが(www.u-gakugei.ac.jp/~kokoro/komoku/index.html)、他の国の人から見たらどうなのであろうか。特に韓国の人から見たらどう見えるのであろうか。また、韓国や他の国の道徳項目としては何が挙げられ、何が特に強調して教えられているのであろうか(このような、道徳教育の国際比較は、研究が既にあると思うが)

少し前、また今でも韓国のテレビドラマのブームが日本であり、日本人でそれを見ている人は多いはずだが、韓国のテレビドラマで描かれている(あるいはその底流に流れている)道徳観・倫理感は、どのようなものなのであろうか。                                         日本人は、それに惹かれたり逆に違和感を感じるという部分は何なのであろうか。                                     一時大変なブームになった「冬のソナタ」で、日本人は韓国の何に魅力を感じたのであろうか、逆に何か倫理的に違和感を感じた部分はなかったのであろうか。                                   (ヒロインのユジンが幼馴染のサンヒョクとの婚約を破棄してチュサンに走るのは、普遍的なことかもしれないが、特に魅力を感じたり、逆に倫理的に何か違和感を感じたということはなかったのであろうか?)

政治的に日韓関係が悪化しても、還流ブームを経てきている日本人は、韓国人の人間性にマイナスイメージを持つことはそれほどないと思うが、国民性の違いを冷静に知ることは必要なことのように思う。

当たり前を疑うー教科の分類について

私は哲学に関しては全く無知であるが、当たり前だと思っていたことを疑ってみることは楽しい。それは、山本雄二氏が次のようなことを書いていたことに通じる。

つまり鬼の角が1本か2本かをめぐって激し論争があった場合、そのどちらに組するのではなく、その前にその二つの立場が共通に前提にしていること、すなわち「鬼は本当に存在するのか」ということを考える必要がある。

現在教育界では「教科横断的な教育課程の編成」が盛んに議論されている。上智大学名誉教授の加藤幸次先生も『教科等横断的な教育課程の編成の考え方・進め方』(黎明書房、2019.6)という優れた本(添付)を出版され、議論を巻き起こしている。加藤先生から既存の教科の分類は、1つの分け方に過ぎないということも教えていただいた。

私たちが当たり前と思っている学校の教科―国語、算数、理科、社会、英語、保健・体育、芸術(音楽・美術・書道)、技術・家庭-は、いつの時代から、どのような根拠に基づいて分類され、学校現場に定着したのであろうか。それは、時代とともに変遷してきたのであろうか。また、諸外国も同じような教科分類を使っているのであろうか。(日本の場合、明治維新や戦後に、欧米の影響がかなりあったことが考えられる)

また学問の各分野の内容は、大学から高校以下に降ろされて当然と思うが、日本の教科の実際を見てみると、大学と高校・中学・小学校の間には大きな断絶がある。                                                                   国語、算数(数学)、理科、社会(地理、歴史、政治、経済)、英語、体育、音楽、美術、家庭、技術、情報などは、小中高の科目にあり、比較的大学の科目の中にも存在するが、哲学、人類学、民俗学、社会学、心理学、教育学などは、大学ではじめて設けられる科目であり、小中高と大で断絶がある。なぜ、このようなことがおこるのか。諸外国はどうなのか。(もしかしたら、このようなことは既に研究され、論文や本を出版されているのかもしれない。これから調べるつもり)

追記;大学入試問題に詳しいI氏より、下記のコメントをいただいた。

高校にあって、大学にない科目は、「現代文」と「世界史」です。 「現代文」はさまざまなジャンル(学問分野)の文章が出てきますが、それぞれの学問分野を扱っているわけではなく、その結果、大学入試では出題委員に任命された大学教員が、好き勝手に(?)自分の専門分野(あるいは単に最近読んだ本)からかなり無造作に出題している印象。 「世界史」(world history)は AP なども科目にもあったりはしますが、大学では西洋史/東洋史、さらに細かく分かれるのが普通で、一人の教員が、古代から現代まで、全世界全部教えるという無茶苦茶な科目は大学にはありません(高校世界史でも、本当に全時代全地域均等に扱っているわけではないですが)。 哲学・心理学・社会学の入門的内容は、高校公民の「現代社会」「倫理」にうっすら入っています。 センター試験現代社会で「フランクフルト学派」が普通に出ていたりします。 高校の「簿記会計」や「政治経済」は、社会科学系学部の大学生は、大学でコッテリやるはずですが、高校では未習なことが多い (「簿記会計」はそもそも高校の普通科ではなく、商業科でしか開講されていない)。 諸外国は、 IB(バカロレア) https://www.ryugaku-voice.com/genre/children/us-mm_ibsubjects.html AP(advanced placement test:高校カリキュラムと連動しているものと、独立して試験のみのもの、とがあったはず) https://apstudents.collegeboard.org/course-index-page CLEP(試験による大学基礎科目の単位先取り(大学が認めている場合のみ)。高校生でも受験可能) https://clep.collegeboard.org/exams の各科目を見てみると宜しいかと。

今どきの恋愛


恋愛には障害(障壁)がつきもので、その障害(障壁)を乗り越えてこそ、恋愛が成就するという前向きな物語がこれまで多かったように思う。

しかし、今は、障害(障壁)を、自らスパイスのように振りかけることなくしては、恋愛が成立しない(恋愛感情が沸いてこない)という時代なのかもしれない。

日本テレビ 水曜日夜10時からの杏主演のドラマ『偽装不倫』を観て、そのように感じた(このドラマのスパイスは、既婚、未婚の偽装)。

<32歳、独身、彼氏なしの「おひとり様女子」が、一人旅に出かけた飛行機の中で、年下のイケメンと出会う! 思いがけず旅先で食事をすることになった二人。だが、彼女はひとつの嘘をついてしまっていた。既婚者、だと…。そして、男は彼女に言う。「この旅行の間だけでいいから、僕と不倫しましょう」。たったひとつの嘘をついたことで手に入れた期間限定の恋。><出演者;杏、宮沢氷魚、仲間由紀恵、瀬戸利樹、谷原章介 他> (https://www.ntv.co.jp/gisouhurin/intro/

暇つぶし、ブログについて

私の周囲には、同年代ないしそれ以上で、メールもインターネットも使わないという人はかなりいる。暇になるとついパソコンの前に座ってしまう自分から考えると(来たメールに返事を書いたり、誰かのブログを読んだり、自分でブログを書いたりすると、かなり時間がつぶれる。)メールやインターネッとなしで、どうやって定年後の毎日が日曜日のような退屈な長い一日を過ごすのだろうと思ってしまう。その人たちは、何かしら趣味があったり、運動したり(私の周囲には、週に4日以上テニスをする人、卓球をする人がかなりいる。私のテニスや卓球はそれぞれ週に1度程度)、読書をしたり、テレビを観て過ごしているのかもしれない。

世の中には、面白いブログがたくさんあるようで、ブログランキング(https://blog.with2.net/rank1361-0.html)というのもあるそうだが、私の場合は、あまり人のブログを読むことはしていない。普段読むのは、藤原新也の会員制のサイトと、内田樹のサイト、それに知り合いのいくつかのサイトである。

私の場合は、人のブログを読む時間より、自分で今思ったことをブログに記録を残すことの方の時間の方が長くなっている。つまりインプットよりアウトプットに費やす時間の方が長い。

「先生はなぜブログを書くのですか。暇ですね。そんな時間があったら、もっと研究したらどうですか」と、生意気な(?)教え子から言われたことがあり、それはいまだに気になっている。でも、今更私の齢で研究することもないし(?)、また何かを書いて自分の考えをまとめて、発信するということは、今求められている「主体的・対話的で深い学び」になるのではないかな、とひとり言い訳している。

水沼文平さんを偲ぶ(その3)-その寄せられた文章

私のブログには検索がある(題の右)。これで「水沼文平」と入れて検索すると、2019年に入ってから4件(1月4日、1月17日、3月30日、4月6日)、2018年には18件(1月6日、2月15日、3月6日、15日、28日、5月29日、7月6日、28日、8月18日、9月4日、14日、26日、10月10日、31日、11月7日、12日、26日)、そしてそれ以前にも多数表示される。

このように水沼さんの文章を、この欄に掲載させていただいたことがわかる(その多くは、私へのメールで、私が自分だけで読むのがもったいなくて、掲載をお願いしたものである。 その内容は、歴史探訪、読書感想、教育問題、学会参加、旅行、日常観察、私のブログへのコメント等、多岐にわたる。その一部を採録する(下記添付参照)

 

今から4年前になるが(2015年11月16日)、皆で上智河口湖ハイムに宿泊した折の写真が、ブログに残っていたので、再掲させていただく。ほぼ同年代の5人が写っている(向かって左端が水沼さん)