秋の高原

知り合いが、1泊2日のバスのツアーで、上高地、乗鞍、千畳敷カールに行って来たと、写真を送ってくれた。
天気もよく、素晴らしい景色で、是非1度は行った方がいいと勧められた。

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稲毛の浜を散歩する

うちの犬のソフィー(キャバリア)は、1か月ほど前、かなり大きな手術をし、自宅で静養する日が続いていたが、かなり元気になったので、久しぶりに、車で15分ほどのところにある稲毛の浜に連れて行って、海岸を散歩した。久しぶりの海岸にうれしそうであった。
日曜日の夕方で、かなりの人がのんびりと、海浜を楽しんでいた。やはり海はいいなと思った。

 稲毛海浜公園の海の水は東京湾の為、きれいとはいえないが、遠くに富士山やディズニーランド、スカイツリーなどが見え、交通は便利で(東京まで40分)、幕張メッセ、幕張イオンモールも近く、都会的で、なかなかいいところである。湘南に比べ地価は安く、庶民的な街である。先週もここに家族で遊びに来た(下記写真)。

 私はこの稲毛の浜の近くの団地に数年間住んでいたことがあるが、その時の隣の家(部屋)に住んでいたKさんに偶然会い、お互いに再会を喜びあった。家族同士の付き合いがあったのが、もう30年も前のことになる。月日の経つのは早い。その頃お互い子育てに苦労していた頃であり、同窓生に会った気分。
子どもたちの近況を報告し合うくらいで、ゆっくり話ができなかったのが残念。またの機会に。

(今日は、相撲の千秋楽の結びの1番をテレビで見なくてはならないと思い急いで帰った。陰ながら応援している日馬富士は勝ってよかった。横綱で場所途中4敗はかなりつらかったのではないか)

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ドラマGleeを観る(その2)

アメリカのテレビドラマGleeは、121話まで、よく続いたものだと思う。
毎回、新しい曲(歌)の演奏とダンスが披露される。それも出演者10人余りが一緒に歌たり踊ったりする(独唱もあるが、バックコーラスとダンスで皆一緒である)ので、練習がかなり大変だと思う。舞台装置や衣装も毎回、かなり凝っている。
毎回披露される曲は、指導の教員が課題を出し、メンバー(生徒たち)が曲を選んでくることも多いが、有名な歌手のカバー曲という場合もある。私の見たものでは、ビートルズやマドンナやガガのカバーの時があり、それがGleeなりに編曲されていて、こんないい曲だったのかと感じることも多い。
最近見たものでは、「TWERK」(トゥワーク)ダンスを取り入れたものをやろうと教師が提案し、大変な物議をかもし、教師の罷免までいきそうになる。しかし、「新しい芸術はいつの時代も最初は非難される」という教師の言い分が、過去のジャスやプレスリーの例を実演したメンバーのパフォーマンスで、校長や教育委員会にも認められる。そしてGleeのメンバーが「TWERK」(トゥワーク)ダンスを踊る。
その後面白いと思ったのは、校長や教育委員会も認めたトゥワークダンスは、「自分たちには合わない、もっと自然な音楽やダンスをしよう」と教師が提案し、Gleeらしい曲とダンスに切り替え、メンバーが生き生きと歌い踊るシーンがある。
異質なものを偏見なく取り入れその中に没入し、その良さを体得した後、自分たちの本来のものに立ち返り、何が大事かを模索するGleeの姿勢には、教えられるものがある。このあたりにもこのドラマが長続きした理由があるのだろう。

国境を超えるサブ・カルチャ-同士の連携

国による違いというのは面白く、他国のことを知ることは自分の国を知るのに役立つが、それとは別に、比較した国同士の共通性もある場合も多い。それは、地域的な同一性(ヨーロッパ、アジア、アラブなど)や近代化の程度などによる。
さらに、国の違いよりも、社会的属性やそのサブ・カルチャー(下位文化)の同一性にも注目したい。 例えば、世代、ジェンダー、階級(上流階級、労働者階級)、知識人、専門など。国が違っても、同じ属性の者同士は同じような考え方や価値観の持ち主であることが多い。その連携、連帯は重要である。

そのことを社会学者の杉本良夫は、オーストラリアと日本の関係で、次のように書いている。

<私たちは「文化」というと国家単位の文化を想像することが多い。その結果、各国のサブ・カルチャー同士の国際的共通性が見落とされがちになる。日本国内には、女性文化、若者文化、ブルーカラー文化、中小企業文化、マイノリティ―文化など、多種多様のサブ・カルチャーが存在する。オーストラリアでも事情は変わらない。そういうサブ・カルチャー同士の国際比較をやってみると、その類似性に目を見はらされる。そうだとすれば、国境を超えるサブ・カルチャ同士の共通性を基礎にして、その間のつながりを探していくこともできるのではないだろうか。>
(『オーストラリア6000日』岩波新書、1991年、202頁)
<オーストラリアの不動産業者や開発業者たちは、日本の同業者と手を組んで、両国とも同じようなスタイルの環境破壊や住民の生活妨害をするということがよくある。各国のエリートたちは、国益擁護の名において、国内における自らの階層の利益を擁護することが多い>(同、199頁)
<今日の日豪関係の一番大きな問題は、普通の市民同士のレベルでの相互理解の会が少ないことにある。日豪のビジネスマンや官僚がお互いにきめ細かい連絡を取り合っているのに対して、草の根の交流は微々たるものでしかない>(同、207頁)

今どきの若者の特質-文字に親近感

少し必要があって、今どきの若者の特質を調べている。今日(23日)、目に付いたものが2つ(新聞とネット)あり、記録に残す。

1 若者の文字消費「有史以来の量」 SNSが社交性育む 
(朝日新聞 2017年9月22日 )

 「SNSの普及に伴い、相手を尊重し、他人の目に自分がどう映るかを気にする人が増えた。コミュニケーション能力が飛躍的に高まったともいえる」。国語に関する世論調査の結果について、東京大学大学院の橋元良明教授(コミュニケーション論)は、そう分析する。
 調査では、「言葉に表して伝え合う」を重視する割合が半数を超えた。「ネットやSNSを重視すると実社会での人間関係が希薄になるとのイメージを抱く人もいるが、実態は違う」と橋元教授。1995年から続ける研究では、SNSの発達に伴い文字に触れ、使う時間が年々増えており、「新聞など紙媒体の活字を読む機会は減ったが、若者の文字消費量は有史以来最高のレベル」と指摘する。」

2 若者がよく使うSNSのトレンドは文字からビジュアルへ
(電通総研メディアイノベーション研究部 ttps://dentsu-ho.com/articles/3542)

<今のスマホユーザーは、画像を送ってコミュニケーションを図ることも増えていて、言葉ではなくビジュアルによって現在の状況、その場の雰囲気、自分の気持ちなどを伝えています。>
<写真を見ながら写真によってリテラルコミュニケーション(文字によるコミュニケーション)が連鎖するということが頻繁に起こっている>
<Picseeでは、ビジュアルありきのリテラルコミュニケーションのかたちがあるんだという点が発見でした>
<今の若者は周りからの見られ方を極端に意識して真の感情を語らないことが特徴の一つですが、その日何を感じたなどの自分の内面を記述することはせず、行動のログをビジュアルで示して、自分らしさを表現するというかたちが目立ってきている。>
<手軽に写真や動画を送ったり受け取ったりできる情報テクノロジーと、ユーザー側の心理の変化が絡み合い、若年層スマホユーザーを中心に確実にリテラルコミュニケーションからビジュアルコミュニケーションへのシフトが起こっている。また、スマホユーザーにとってはリテラルコミュニケーションやビジュアルコミュニケーションが区別されなくなっている面もあ(る)。今起こっているのは絵と文字とが一致していくという意味で「絵文一致」と呼べるような、新しいコミュニケーションの統合の形ではないでしょうか。>
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 上記の指摘が正しいとすると、今の若者がスマホを頻繁に使うことや写真を動画を送ることから、① 文字に以前より接するようになっていること、② 写真や動画と文字(リテラルコミュニケーション)が連動している。したがって、若者の読書離れは言われながら、文字への親近性は以前以上に増していることがわかる。