ワールドカフェについての文献

ワールドカフェについて文献に関して、佐野氏より下記の情報が寄せられている。

ワールドカフェの件、関連書籍を以下に記します。間接的に言及しているものや似たような方法について
言及しているもの、ということでしたらもう少しあります。

香取 一昭,大川 恒『ワールド・カフェをやろう!』2009年, 日本経済新聞社.

アニータ ブラウン / デイビッド アイザックス / ワールド・カフェ・コミュニティ (著), 香取 一昭 / 川口 大輔 (訳)
『ワールド・カフェ~カフェ的会話が未来を創る』
2007年, ヒューマンバリュー.

映画『バクダッド・カフェ』(厳密に言えば関係ないですが・・・)

学生文化の変遷

昨日のFD研修会では、学生文化の変遷を、いつも話す内容だが、「○○さんの一日」というイラストや文章からの考察で、次のように話した。

私の調べたことで、3つの時代を挙げてご紹介します。配付資料をご覧ください。最初に、「武蔵太郎君の一日」というのがあります。これは、学生が座る席と受講態度の関連を調べた調査の報告書作成の合宿中に、1人の学生がノートの切れ端に書いていたものです。マンガだけだとわかりにくいので、別の学生に、解説をつけてもらいました。これが、ちょうどこの時代(1980年代)の大学がレジャーランドといわれた学生の自画像だと思います。武蔵大学は中堅の大学ですので、当時の典型的な大学生像が描かれています。出席を取る授業だけに出て、あとは友人との話題の為にテレビを見たり、マージャンをやったり、コンパをやったり。そういう交友関係がとても大事だった時代の学生です。この頃、受験競争はかなり厳しい時代ですので、高校時代までは受験でみんな苦労してきて、また大学を卒業して企業に入れば、企業戦士として猛烈に働かなければいけないという時代です。ですから、大学4年間のつかの間のモラトリアムを楽しむ、大学時代はレジャーランドかもしれないけど、そこで人生の中の貴重な4年間を好きなことをして楽しむという時代でした。それがよく描かれていると思います。
一つ注目していただきたいのは、この絵を書いた学生も、またこの文章を書いた学生も、その学生時代の学生だということです。遊び呆けているように見えますが、こういうマンガを描いたり、こういう文章を書く力をこの時代の学生が持っていたということがわかります。
1990年代に入って、バブルの時代になり、学生たちがどのような生活を送っていたかは、上智大生が描いた「上智Hanakoさんの一日」をみればわかります。この「上智Hanakoさんの一日」は、豊かな社会の恩恵を受け、自分の義務(授業に出ること)は最低限に果たしながら、自分の好きなこと、好みに合うことをしたたかに遂行する新しい世代を示しています。上智大学の学生は、この時代に優雅な生活を送って、就職では一流企業に何社も楽々と内定をもらっていました。この後、バブルがはじけて、このような生活を送っていては、上智大学の学生といえども、企業には就職できないという時代が来ます。
最後に、最近のものでは、「敬愛太郎君、敬愛花子さんの一日」というものを、今勤めている敬愛大学のこども学科の1年生に、書いてもらいました。偏差値は決して高くはありませんが、「こども学科」ということで、小学校の教員をみんな目指していて、朝早くから起きて、授業に真面目に出席します。大変まじめな(そうでない学生も一部いますが)、生活を送っている様子が分かります。この学生たちにとって大学というのは、遊べるモラトリアム期間ではなく、とにかく資格(教員免許)を取って、教員採用試験に受かろうという、何かそういう必死さが1年生のときからあります。アルバイトもよくやっていて、夏休みに入る前に、「これから夏休みでいいね」と聞いたら、「とんでもない。夏休みは週5、6日間アルバイトで稼がなければ」ということを言っていました。経済的にもかなり苦しい時代の学生達です。経済が不況になり、大学時代がレジャーランドとかモラトリアムという期間というより、とにかく将来の仕事、キャリアに向けてきちんと勉強して資格を身に付けたいと必死です。

学生文化と学生支援について

 昨日の大阪人間科学大学での私の話(「大学生の生活・文化と学生支援」)では、香川大学の加野芳正教授の『学生による学生支援活動の現状と課題』(広島大学教育研究開発センター、2011年3月)を紹介させてもらった。

1番目は、文部科学省、当時の文部省が出した「大学における学生生活の充実方策について」という報告、いわゆる「廣中レポート」というものがあって、この中にもうほとんど重要な視点が書かれているということです。「教員中心の大学」から「学生中心の大学」への視点の転換、それから正課教育外教育の積極的なとらえ直し、教員と事務職員の連携強化、それから、学生の活用(ピア・サポート)、そういう点が、学生支援において大変重要なことだということを指摘しています。
それから2番目に、学生支援とは、単なる学生へのサービスではなく、学生の自主性や主体性を引き出すための活動である、ということを強調しています。
3番目ですが、学生支援の具体的な領域として、加野教授は、「健康支援」「キャリア形成支援」「学習支援」「キャンパスライフの支援」「社会性、コミュニケーション能力の育成」「障害者学生支援」「外国人留学生」「女子学生」という分野を区別しています。例えば「女子学生」に特化した学生支援もユニークで、その実践(キャリアプランやライフコース支援)はなかなか興味深いものです。
4番目に、誰が学生を支援するのかということで、大学卒業生や地域住民も入っています。それから、重要なのが学生(ピア・サポート)です。これは、学生の自主性や主体性を伸ばすという意味で、学生自身が下級生などを支援するというものです。これは廣中レポートでも強調されていた点です。
5番目のSDというのがまた重要な概念です。普通、SDというと、スタッフ・デベロップメントで、大学職員の研修を指しますが、アメリカのSDは、学生を対象にしています。学生の自主性や主体性の育成、正課と正課外の活動の融合、学生の成長のプロセスへの注目という、学生支援のかなり重要な視点がこのSDという概念の中に入っています。このような視点は、あまり日本の中に入ってこなかったという指摘もあります。
6番目は、学生支援GPで採用されたプログラムの分析です。学生支援の対象が特定の学生なのか一般の学生なのかという軸と、学生自身がその支援に関わるのか(ピア・サポート)関わらないのかという軸で、4つの象限を作って、採用された学生支援GPが、それぞれ4つのタイプのうちどれに当たるのかというのを検証して、その中身を検討しています。その中で一番多いのが、一般の学生を対象にし、学生も支援にかかわるというものです(25件)。学生支援GPに採用されたものの傾向として、特定の困難な学生を対象とするのではなくて、一般の学生を対象にし、しかもピア・サポートがあるという、そういう取組が一番多く採用されていたという分析がなされています。
第6に、教員と職員の協働ですが、大学の教員と職員が全く同じになってしまっては意味がない、それぞれの持っている特質を明らかにし、協働すべきと論じられています。
このように、今の時代の学生支援の重要な指摘がこの研究報告の中にありますので、紹介させていただきました。

ワールド・カフェを体験

昨日(3月1日)、大阪人間科学大学のFD研修会に参加し、そこで「ワールド・カフェ」というものをはじめて体験した。なかなか面白く、いろいろな場面で使えそうと思った。
4人のグループで、話し合い、その結果をテーブルの上の模造紙に自由に書き、一人を残して別のテーブルに移り、また他のメンバーと話し合う、その後元のテーブルに戻り議論を続ける。最後に各テーブルから、代表者が議論のまとめを発表する。また各自感想をメモ用紙に書き、ボードに張り付ける。
テーブルには、模造紙とペンの他、お菓子や花が用意され、カフェーの雰囲気で自由に話し合うよう演出されている。昨日のテーマは、「大学をよくするためには、学生からどのような情報を得ればよいか」というFDの内容であったが、はじめての人と、率直な意見の交換ができ、また、全体のまとまりもできる面白い方法と思った。
 もう少し、詳しいことを知りたいと、インターネットで、検索すると次のような説明あった。
 「ワールド・カフェは、人々がカフェにある空間のようなオープンで創造性に富んだ会話ができる場とプロセスを用意することで、組織やコミュニティの文化や状況の共有や新しい知識の生成を行うファシリテーションプロセスです」
(http://www.humanvalue.co.jp/service/wcafe/)

 その方法を具体的に知りたいと、昨日のファシリテーターの佐野講師に尋ねると、ユーチュ―ブで、実際をみるのが早いと言われた。たとえば、
http://www.youtube.com/watch?v=BAux_kqSczI

 これからもう少し調べて、どこか(授業等)で試みてみたい。 単なる小グループの討論とは、一味違ったところがありそうだ(世の中には、知らないことがあるものだと思った)

若者の「状況志向」と「多元的自己」

社会学の浅野智彦氏の文章(「若者のアイデンティティと友人関係」)を読んだ。その要点を掲載しておきたい。
内容は、「流動化社会、消費社会における若者文化の特質」に関してである。これまでの社会学の理論、青年論の論が縦横にちりばめられていて、同時に浅野氏の独自の視点が提示されている。

①  アイデンティティを確立するためには、自分自身の内的な信念の一貫性と同時に、自分が社会に関わっていくスタンスや他者との付き合い方の指針の確立が求められる。
②  流動化社会、「流動的近代(リキッド・モダニティ)」になり、アイデンティティの決定のみならず、「その決定の指針の前提」についても各人が決定することが求められる。
③ 高い学歴を獲得しても、将来が保障されるわけではないことが示すように、学校の果たす役割は、相対的に低くなりつつある。
④ (大きな物語がない今)、局所的な関係ごとにその都度のよりどころを調達する「状況志向」が高まっている。「状況志向」には、「繊細な観察」が必要であり、「空気を読む」ことも求められる。あたかも、「波乗りのように、一つのよりどころから別のよりどころへとなめらかに移動し続ける」ことが必要である。
⑤ 「状況志向」には。「複数の状況(複数の場所ととき)を切り替えながら関係を管理する」ということが必要になる。「恋人を複数持ったり(期待の分散)」「ネタ的コミュニケーション」(目の前の人とのコミュニケーションを最優先する)などがその例である。
⑥ 「複数の顔を状況に応じて使い分ける」様相を呈する「多元的自己」もみられる。「多元的自己」は、「人間一般にみられる状況対応性と以下の二点で異なっている。第一に、複数の顔の間に一貫性を要求する傾向が低くなっている」「第二に、複数の顔を統合するための高次の視点が『多元的自己』にはない」
⑦ 「社会全体がリキッドなものに変貌しつつあるのだとしたら、若者がその関係や自己をリキッドなものに変えていくのは、いわば戦略としてやむをえない」
⑧ 現代、若者世界に、「家族と地域」と「学校」以外に、第3の極として 「消費の世界」が加わっている。例えば、ファッションは、「自己表現・自己確認のための切実なメディア」である。また「どのような音楽を愛し、どのようなアニメに感想するにか、そのことを通して若者たちはお互いにとって最も切実な何かを伝え合う」
⑨ 「消費文化と若者との不幸な関係」がある。消費文化は「資本の都合」に支配され、「自己の主体性や能動性もあり方も」そのような「消費行動がモデルにした」ものになり、「職業選択の過程に消費の論理が深く影響を与え」(「夢追い型フリーター」など)、大人社会に対する「対抗性と自律性」を持てなくなる。
⑩ 社会関係資本(Social capital)には、「結束型社会関係資本」と「架橋型社会関係資本」がある。「消費文化を軸にした趣味的な集団」を、「架橋型社会関係資本」として使うことにより、「公共性生の衰退」を食い止める「消費文化と新しい連帯の可能性」が生まれる。

(「若者のアイデンティティと友人関係」広田照幸編『若者文化をどう見るか』アドバンテージサーバ、2008 、p34-59よりのメモ)