ウーラントの「渡し場にて」

心に残る詩(歌)があることを、M氏が知らせてくれた。もともとドイツ語の詩のようだが、英語訳で読んでも、日本語訳で読んでも、心打たれるものがある。この気持ち若い人にはわからないかもしれない。高齢者で、親しい友人たちを失った人に、共感を呼んでいるようだ。この詩のことは、昔 新聞紙上でも話題になったらしい。

The Crossing
Many years ago   I crossed this same stream. There shines the castle in the sunset, There runs the weir, as always.
And in this boat with me There were two companions:  One, a friend, like a father to me, The other young and full of hope.
The first led a quiet life,   And thus did he also pass away;   The other stormed ahead of us all,   And fell in storm and battle.
So if I of past days, Happier days, dare to think,  I always miss my dear friends,
Whom death has ripped from me.
But that which binds all friendship  Is the finding of kindred spirit, Those hours were of the spirit,  To those spirits am I yet bound.
Take then, Ferryman, take the toll,   Which I gladly pay threefold: Two, which cross over with me    Are spirit in nature.
(English translation by Lawrence Snyder)

いく年前か この川を 一度わたったことがある いまも堰には水どよみ 入り日に城は影を引く。この小舟にあのときは わたしと二人のつれがいた お父さんにも似た友と 希望に燃えた若いのと一人は静かに働いて 人に知られず世を去った 。もう一人はいさましく 戦いの庭で散華した。 しあわせだったそのむかし  偲べば死の手に奪われた だいじなともの亡いあとの さびしい思いが胸にしむ。 だが友を結ぶのは たましいどうしのふれ合いだ。 あのとき結んだたましいの きづながなんで解けようぞ。 渡し賃だよ船頭さん 三人分を取ってくれ わたしと一緒に二人の みたまも川を超えたのだ
(「渡し場で」ウーランド 猪間驥一訳)

もうストーブ

先週、軽井沢から帰ってきたら、千葉は暑いなと感じたが、今日(7日)は、家ではストーブをつけている。
それは、2匹のキャバリアのシャンプー後のドライヤー代わりなのだが、それにしても季節の温暖の差は大きい。
このような時こそ、外の気温に敏感になって、風邪をひかないようにしたい。

放送大学文京学習センターの入学式&学位授与式

昨日(10月6日)は、放送大学東京文京学習センターの入学式と学位授与式とお祝いの会があり、客員として参加してきた。
文京学習センターの2学期の入学者は1000人ほどあり、その内200人弱が参加の入学式であった。岡野センター長や客員の教授から形式ばらない含蓄のある祝辞が続き、皆熱心に聞き入っていた。いくつか印象に残った言葉を書きとめておきたい。

・放送大学でもソーシャルネットワークを使い、一般の大学と同じような学生同士、教師と学生とのコミュニティ―を作り、豊富なコミュニケーションを図ることができる。
・放送大学の面接授業を知り合いの大学教師にお願いすると、感謝される。それは、放送大学の学生が勉学に熱心で質問や議論も多く、教師冥利に尽きるからである。一般の大学では、私語や内職(携帯等)が多くこのようではない。
・「人は死ぬまで生きていかなければならない」。だから、放送大学で学び続ける。
・モノ(酒、たばこ、麻薬、ヒト)に依存する依存症(共依存)がある。これへの対処は、「引き受けないことを引き受ける」という態度である。
・大学では大学教師の言うことを信用してはいけない。これを言っているのも大学教師だということを含めて。

 午後の学位授与式には、何年もかけてやっと卒業にこぎつけましたという人と、専攻を次々変えて今度何度目かの卒業ですという人もたくさんいた。
 今、東京文京大学文京学習センターは、トップに立つセンター長と事務長のあたたかい人柄からか、客員教授も事務の職員も、全体に和気あいあいとして、とてもいい雰囲気で、センター運営がなされている。

You Tubeの再掲

このブログの過去のものを見て下さる方もいるようで、最近、放送大学の自主ゼミに参加されている方から、「自分は中島みゆきのファンなのだけれど、中島みゆきが吉田拓郎と一緒に歌っているYou Tubeを教えていただき、ありがとうございました」と言われた。
このブログは内容の分類分けをしていないので、過去のものを探すのは難しい。武蔵大学武内ゼミOBのブログ(http://6115.teacup.com/m83s/bbs/?page=2&&TEACUPRBBS=a628ab07e5345e680e7bf8dd10e2c10d)で、多くの他のYou Tubeと一緒に紹介したことは覚えている。
音楽の趣味は人によっていろいろだが、多くの人が心打たれるものはあるようだ。
吉田拓郎の健康を祈りつつ(拓郎は一度大きな病気をして、復帰したのだが、最近出ていないので、心配だ)。この「永遠を嘘をついてくれ」の吉田拓郎と中島みゆきの心打たれる協演を、ネットに載っているコメントと共に、再掲しておきたい。

・この時の拓郎は最高です。私も嬬恋に行きたかったよ~「永遠の嘘をついてくれ」って、思うときあるなぁ・・・アップしてくださり ありがとう^^
・素晴らしい。二人のデユエットには感動した。何せ二人の間の空気感が素晴らしかった。中島みゆきのこんな感じは見た事がない。
・中島みゆきさん!! こんな凛とした女性は滅多にいない!!立ち姿姿勢,糊のきいた白¬カッターシャツを裾をジーンズの中にちゃんと入れただけの超¬シンプルな服装がこれ程に合う人は皆無だ!! シャイな拓郎に敬愛の優しい眼差し向ける姿に痺れると共に感動で¬涙が頬を伝います。
・中島みゆきが シャーマンのように見えますわ。なんか神々しいような 感動しました。
・神々しい 二人の姿 まさに神の姿 です

http://www.youtube.com/watch?v=q1sRAXZ-qLM&feature=related

彼岸花 & お墓参りの花

近所の道端に、彼岸花が咲いている。この花の由来や花ことばにはいろいろなことがあるようだが、今の季節に、趣があり、いろいろな思いをかきたてられる花である。

<彼岸花には、「葉見ず花見ず」という呼び名もあります。花が咲くときには葉がなく、葉があるときに花は咲かないという、ほかの植物とはちょっと変わった生活スタイルを、うまく言いあらわした呼び名だと思います。
 葉見ず花見ず秋の野に  ぽつんと咲いたまんじゅしゃげ  
から紅に燃えながら    葉の見えぬこそさびしけれ  (中 勘助)
彼岸花の花言葉は、「悲しい思い出」だそうです。墓前に咲いた彼岸花を眺めながら、亡き人を偲んで悲しみがよみがえる、そういう想いからつけられたものでしょうか。>(http://higan.jp/manzyusyage.html)

お墓参りに行く時、備える花はどうしようといつも迷う。お墓の近くの農家が野菜と一緒に売っている花を買うことが多いのだが、自分の家の庭に咲いた花を持っていった方が、亡き祖母や父は喜ぶのではないかと思い、そうすることもあるのだが、家人からは「そんな倹約はしないで、きちんとした花を買いなさい」と言われることがある。
りっぱな花も数日で枯れてしまい、後は無残な状態でいることを思うと、造花の方がいいのではないかと思い、造花もそっと添えることがある。
昔、田舎(兵庫龍野)のお墓参りに行った時、親戚のおばさんが、墓に行く途中の土地(庭か畑か山かよくわからない自分の土地)から無造作に花を取り、束にして供える花にしていたのが印象的であった。

地域により、お墓参りの時の花の供え方は、いろいろあるようだ。(Mさんのメールより転載)
「子どもの頃、春の彼岸に「削り花」(けずりっぱな)を供えました。これはやわらかい木を花のように削り、小枝にさし、赤や黄色に染めたものです。今では季節に関係なく生花が手に入りますが、昔の仙台では春の彼岸に咲く花は全くありませんでした。
 お墓に供えた「削り花」「線香」「おはぎ」は長かった冬を終えやっと春を迎えた北国の風物詩でした。温室栽培により姿を消して久しい「削り花」を数年前から見られるようになりました。 両親の墓前には「削り花」を供えるようにしています。きっと喜んでいると思います。」