ワールド・カフェを体験

昨日(3月1日)、大阪人間科学大学のFD研修会に参加し、そこで「ワールド・カフェ」というものをはじめて体験した。なかなか面白く、いろいろな場面で使えそうと思った。
4人のグループで、話し合い、その結果をテーブルの上の模造紙に自由に書き、一人を残して別のテーブルに移り、また他のメンバーと話し合う、その後元のテーブルに戻り議論を続ける。最後に各テーブルから、代表者が議論のまとめを発表する。また各自感想をメモ用紙に書き、ボードに張り付ける。
テーブルには、模造紙とペンの他、お菓子や花が用意され、カフェーの雰囲気で自由に話し合うよう演出されている。昨日のテーマは、「大学をよくするためには、学生からどのような情報を得ればよいか」というFDの内容であったが、はじめての人と、率直な意見の交換ができ、また、全体のまとまりもできる面白い方法と思った。
 もう少し、詳しいことを知りたいと、インターネットで、検索すると次のような説明あった。
 「ワールド・カフェは、人々がカフェにある空間のようなオープンで創造性に富んだ会話ができる場とプロセスを用意することで、組織やコミュニティの文化や状況の共有や新しい知識の生成を行うファシリテーションプロセスです」
(http://www.humanvalue.co.jp/service/wcafe/)

 その方法を具体的に知りたいと、昨日のファシリテーターの佐野講師に尋ねると、ユーチュ―ブで、実際をみるのが早いと言われた。たとえば、
http://www.youtube.com/watch?v=BAux_kqSczI

 これからもう少し調べて、どこか(授業等)で試みてみたい。 単なる小グループの討論とは、一味違ったところがありそうだ(世の中には、知らないことがあるものだと思った)

若者の「状況志向」と「多元的自己」

社会学の浅野智彦氏の文章(「若者のアイデンティティと友人関係」)を読んだ。その要点を掲載しておきたい。
内容は、「流動化社会、消費社会における若者文化の特質」に関してである。これまでの社会学の理論、青年論の論が縦横にちりばめられていて、同時に浅野氏の独自の視点が提示されている。

①  アイデンティティを確立するためには、自分自身の内的な信念の一貫性と同時に、自分が社会に関わっていくスタンスや他者との付き合い方の指針の確立が求められる。
②  流動化社会、「流動的近代(リキッド・モダニティ)」になり、アイデンティティの決定のみならず、「その決定の指針の前提」についても各人が決定することが求められる。
③ 高い学歴を獲得しても、将来が保障されるわけではないことが示すように、学校の果たす役割は、相対的に低くなりつつある。
④ (大きな物語がない今)、局所的な関係ごとにその都度のよりどころを調達する「状況志向」が高まっている。「状況志向」には、「繊細な観察」が必要であり、「空気を読む」ことも求められる。あたかも、「波乗りのように、一つのよりどころから別のよりどころへとなめらかに移動し続ける」ことが必要である。
⑤ 「状況志向」には。「複数の状況(複数の場所ととき)を切り替えながら関係を管理する」ということが必要になる。「恋人を複数持ったり(期待の分散)」「ネタ的コミュニケーション」(目の前の人とのコミュニケーションを最優先する)などがその例である。
⑥ 「複数の顔を状況に応じて使い分ける」様相を呈する「多元的自己」もみられる。「多元的自己」は、「人間一般にみられる状況対応性と以下の二点で異なっている。第一に、複数の顔の間に一貫性を要求する傾向が低くなっている」「第二に、複数の顔を統合するための高次の視点が『多元的自己』にはない」
⑦ 「社会全体がリキッドなものに変貌しつつあるのだとしたら、若者がその関係や自己をリキッドなものに変えていくのは、いわば戦略としてやむをえない」
⑧ 現代、若者世界に、「家族と地域」と「学校」以外に、第3の極として 「消費の世界」が加わっている。例えば、ファッションは、「自己表現・自己確認のための切実なメディア」である。また「どのような音楽を愛し、どのようなアニメに感想するにか、そのことを通して若者たちはお互いにとって最も切実な何かを伝え合う」
⑨ 「消費文化と若者との不幸な関係」がある。消費文化は「資本の都合」に支配され、「自己の主体性や能動性もあり方も」そのような「消費行動がモデルにした」ものになり、「職業選択の過程に消費の論理が深く影響を与え」(「夢追い型フリーター」など)、大人社会に対する「対抗性と自律性」を持てなくなる。
⑩ 社会関係資本(Social capital)には、「結束型社会関係資本」と「架橋型社会関係資本」がある。「消費文化を軸にした趣味的な集団」を、「架橋型社会関係資本」として使うことにより、「公共性生の衰退」を食い止める「消費文化と新しい連帯の可能性」が生まれる。

(「若者のアイデンティティと友人関係」広田照幸編『若者文化をどう見るか』アドバンテージサーバ、2008 、p34-59よりのメモ)

勝ち組は自己中心的?

 「大学入学偏差値と人の良さは、ある値(真ん中あたり)から反比例する」と感じ、「これは冗談半分の仮説だけれど」と言いながら人前で話したことがある。「人の良さ」というのは曖昧なので、利己主義的傾向(愛他的傾向の逆)と言い換えてもいい。
受験勉強している時、友だちから遊びの誘いがあった時、せっかく誘ってくれたのだからと受験勉強はやめて友だちの誘いにのる「心やさしき」若者は、勉強時間の不足で偏差値の高い大学には入れない。そこは、冷たく断る利己的傾向をもつものだけが、高偏差値の大学に入れるののである。
もう少しゆるやかに言えば、受験勉強は個人でやるものであり、個人主義的傾向が強いものが有利であり、個人より集団(友だちも入る)が好きなものは、受験競争の勝者にはなれない。
 このように昔から感じていたが、同じようなことは、今日の新聞に掲載されていた。つまり、今日(2月28日)の朝日新聞の朝刊に「『勝ち組』はルールを守らず自己中心的」という題で、アメリカとカナダの調査研究の結果が出ていた。
「企業の採用面接官の役割を演じてもらう実験で、企業に不利な条件を隠し通せる人の割合も、社会的階層が高い人ほど統計的に優位に多かった」「赤信号を無視したりする車は、高級車ほど多い傾向も公道の観察から浮かんだ」と書かれている。
もちろん、この反対の事例も思い浮かぶ。今日も家の近くの公園で見かけた不良ぽい高校生は、煙草を吸い、周囲にごみを散らかして屯っており(注意したかったが、軟弱な私一人では、太刀打ちできないーこれも一種の利己主義)、偏差値は高くなさそうだが、人がよさそうとは思えない。チケット代が高いクラシックの音楽会の聴衆は、お金持ちだが、上品で、人が悪いとは思えないなど。
日本でも、偏差値や社会的地位や収入と人の良さ(愛他的傾向)との関係を、実証的に調べたくなった。
 さしあたり、自動車の車種(高級度=値段)と運転のマナーの関係でも調べてみようか(ベンツやBMWとカローラやサニー(そんな車種は今あるのか?)に乗っている人で、信号無視はどちらが多いのかなど)。その他、グリーン車に乗っている人と普通者に乗っている人のマナー(携帯電話で話している人の率は?)は、 バスや電車に乗っている人とタクシーに乗っている人のマナーは?など。(これでは貧乏性調査になってしまう?)

昔懐かしい曲(2)

宇崎竜童の率いるダウンタウンブキウギバンドをはじめて聞いたのは院生の頃、船橋の人工海浜で、売れないバンドが演奏していた時である。聴衆は数人だったと思う。上手なバンドだと思い、翌日も聴きに行ったように思う。その後「スモーキング ブギ」が流行り、バンドは有名になり、渋谷の「ジャンジャン」で一度聴いた以外、生で聴けることはなくなった。LPを何枚か買い、部屋でひとり聴いていたと思う。
今聴くと、院生時代の先の見えない、暗い憂鬱な気分を、懐かしく(?)思い出す。
その頃、柳ジョージとレーニーウッドもよく聴いた。

涙のシークレット
http://www.youtube.com/watch?v=gRBl0GOQHjg&feature=endscreen&NR=1

雨に泣いている
http://www.youtube.com/watch?v=r2Gnavsi2Ag&feature=related

昔懐かしい曲

今日、ユーチューブで、聴いた3曲 

1 井上揚水 with ジェイク・シマブクロ  心もよう

2 宇崎竜童 知らず知らずのうちに
http://www.youtube.com/watch?v=VIgNVeHcxmk

3 吉田拓郎 せんこう花火をください
  http://www.youtube.com/watch?v=UbAQjRErD0I&feature=related