ブログへの励ましに感謝

ブログへの励ましを、何人かの方から、いただいた。ありがたい。

「人間とはどんな形にせよ表現せずにはおられない動物ではないでしょうか。私も数少ない読者ということになりますが、誰が何と言おうとブログは続けてください。」(Mさん)
「先生のブログを毎日とても楽しみにしております。また学生さんの様子も楽しく拝見しております。どうか余計な雑音を気にせず、自由に書いて下さい。(Kさん)
「奄美大島(の若者文化)に興味があられたら、大島高校や奄美高校、アシビ(ライブハウス)やカサリンチュ(アーティスト)等のHPをご覧ください。(寸止海峡と言う教え子のグループもいますが) 東京とは違う若者文化の一端を見ることができると思います。先生もお時間ありましたら、ぜひ島にも遊びに来てください。それとブログは人に何を言われようと、お続けになってください。いろいろと勉強になりますので。」(Uさん)
「毎回読ませて頂いております。先日家内の兄(アジア経済研究所ー拓殖大教授)が急逝し膨大な図書の整理をする必要に迫られていますが簡単にはいかない感じですね。最近読んだ山本思外里著「老年学に学ぶ」角川学芸出版は現役後のひとには大変参考になる本だと思いました。暑さの折お体にご注意されますよう。」(Mさん)

そこに居場所がない 寂しさ

昨日(13日)は、上智大学の大学事務局に用事があり、久しぶりに上智大学(新2号館)に行った。
自分が20年間勤め、研究室のあったところが、今は自分の居場所ではない、というのは不思議な感覚である。自分がいなくても、自分がいた頃と同じような日常が滞りなく回っている。それは、一種のさびしさの感じでもある。
昔、10年勤めた武蔵大学に非常勤で行っていた時、ちょうど教授会が開かれていて、それが外から窓越しに見えたが、自分はもうそこの一員ではないし、どんなに懐かしくても、そこに入ってはいけないのだと知った時の、衝撃は大きかった。

もしかすると、それは、自分の死後、自分のいた家族や職場やさまざまな人間関係が、自分抜きで回っているのを、天から(あるいは地から)見る時の感覚かもしれない。

大学の中間集団としての機能

全体社会と個人の間に、中間集団が存在し、全体社会の個人への侵害を守ってくれる。 中世の都市もそのような存在で、絶対王政から個人を守り、産業を発展させた。
教会もそのような中間集団としての役割を果たし、個人が教会に逃げ込めば、国家の力も及ばなかった。
家族は中間集団としての機能をもったのであろうか。西洋社会や中国では、そのような機能を果たしたが、日本の家族は、個人を守らず(れず)、全体社会から非難されると、「家族の名誉を傷つけた」ということで勘当された(作田啓一『価値の社会学』岩波書店、昭和47年)

大学は中間集団としての機能を果たしているのだろうか。昨日、敬愛大学の先生から次のような話を聞き、大学の中間集団としての使命をいろいろ考えさせられた。

「日本がアメリカの真珠湾を攻撃した時、アメリカの大学は、在米の日本人や日系人に対してどのようなことをしたのか。アメリカ国家が、日系人を強制的に隔離し収容したのに対して、アメリカの大学は彼らを守ろうとした。そのような史実がたくさんある。
今、尖閣湾を巡り、日中関係がぎくしゃくしている時、大学がするべきことは、中国人留学生を気遣い、守ることだ。中国人留学生は、日本という国家、また日本人一般から冷たくされるのではないかと心配している。そのようなことがないように、大学は留学生を見守り、大学の使命を果たすべきだ」

暇をもて余す

教え子の研究者から、「ブログを書く人は暇な人ですよ。先生もブログを頻繁に更新するなんて、暇ですね。(そんな暇があったら、少し研究をしたらどうですか)(括弧のことまで言わなかったが、そのようなニアンスを感じた)」と言われた。 「(こんな)ブログを読む人もいるのですか。その人も暇ですね」という声も聞こえてくる。

それでも性懲りもなく、ブログを更新する。とにかく暇だから。人生で暇ほど困るものはない。

昔、社会学者の副田義也先生が、遊んでばかりいる大学生でも大学に通う意味はあって、もし彼らが大学に入学せず、社会に出てしまったら、どのような犯罪を犯すかもわからない。
大学は、「時間の浪費の制度化」をしているところあって、退屈で時間を持て余す若者の、犯罪防止制度としての十分機能している。そのような趣旨の考察を、マンガ『嗚呼・花の応援団』の分析でしていた(『遊びの社会学』1977年 日本工業新聞社)

その中でも言及されていたが、退職した老人が多くなって、そのまま放置しておいたら、不良老人たちが何をしでかすかわからない。生涯学習でも、卓球でも、絵でもいいが、さらに害のない「ブログ」を書かせたり、読ませたりさせておけば、社会への不満や批判に目がいかず、今の社会(体制)は安泰である。

私のブログは、そのような社会の安全弁機能、社会体制維持機能を果たしているのかもしれない。(ただ、読者は少ないし、そんな影響はないのだから、所詮この議論も、暇つぶし)

ビザ

店構えや店の装飾(インテリア)の立派さとセンスのよさ、そして、ウエイター、ウエイトレスの丁寧な接客態度、料理の値段の高さ、料理の見た目のよさなどで、ここは高級なレストランという感じのところがある。
ところが、料理の味は、「はてな?」というところがある。イタリアンの店にも、時々そのような店がある。

その点、「コストコ」(会員制スーパー)の、「ピザ」は素っ気ないが、味は高級イタリアンやビザの専門店に負けていないと思う(昨日食べてみてそう思った)。
大きなピザで、写真のものは1200円(3種類のピザがあって、そのうち2種類を半分づつにすると1500円)。店内にも食べる一角があり(下の写真の右側)、大賑わい。
今度、テイク アウトして、研究会やゼミで、皆で食べたい。