御宿(24時間の旅)

今回の外房「御宿」行きは、友人O氏とS氏と私の3人でのもので、急に思い立ち、実行したもの。JR稲毛駅18時集合で、そこからO氏の車で、御宿に向かった。ベテランの運転で、乗り心地は満点。あっという間に御宿に着いた。御宿で人気の店「松よし」でビールとお刺身定食で乾杯。その後、夜の海岸を散歩(夜のラクダ像と花火) 
その後、部屋でS氏の研究の話を聞く。学校と地域の連携が大きなテーマだが、教師の多忙の要因(学校週5日制、不登校生徒や特別支援生徒の増加とそれへの対応、モンスターペアレント等)、都市と地方での教師の社会的地位の違いなど、現場にいなくてはわからない話を多く聞かせていただいた。
 翌朝は、400年前にメキシコの難破船を救助したことを記念して建てられた記念塔を見、西武の「御宿台」の別荘地を視察し、高齢者の地域社会とのかかわりに思いをはせた。部原海岸を散歩。その後、御宿歴史民俗博物館へ行き、世界の教科書が集められている「5倫文庫(36カ国、約2万冊)を見学。理事の一人から、詳しい説明を聞く。海軍に勤めていた人が世界の教科書を蒐集したという。日本の古い教科書もたくさんあり、小さな町でこれだけのコレクションを保持、維持する大変さを思う。
http://www.town.onjuku.chiba.jp/shisetsu/gorin/bunko/gorinbunko.htm。 
 帰路は、房総半島の真ん中、鴨川を経由して、内房の保田に出て、有名な食事処「ばんや」http://www.banya-grp.jp/で、お刺身とサザエの遅いランチ。
 木更津経由で、アクアラインに乗り(四方の、海がきれい)、レインボーブリッジ経由し(やはり大都市東京の凄さを感じる)、銀座で車から降ろしてもらい、JRで千葉に向かう。

ラジオ体操という繋がり

千葉の外房の御宿は、砂浜と海岸がきれいなところだが、景色のいいところもある。
今朝、その景色のよく、御宿海岸が一望できる「メキシコ記念公園」を、散歩していたら、
「その先のあずまやまで行くと景色がいいですよ」と、ラジオ体操帰りの人達が教えてくれた。
それがきっかけでいろいろ話し、写真まで一緒に撮った。
毎日、ラジオ体操で集まり、その後皆で散歩をしているという。地元の人(漁業組合長もいた)も、最近移り住んだ人(サンパウロから来た人もいた)も、一緒に,ラジオ体操というきっかけで集まり、親交を深めているという。 
なんか、のんびりしていていい。今度私も参加しよう。

お盆

夏の天気は変わりやすい。今日(14日)は、朝5時前に目が覚め、窓から空を見たら、朝焼けが赤くきれいで、写真でも撮ろうと外に出たら、既に空は曇り、赤い色は消えていた。
家の朝顔は、無秩序に他の草木を軸に上に伸び、咲き誇っている。庭の花々も無秩序で、きれいとは言えないが、これも我が家らしくていいとしよう。
午前中から雨が降り出し、庭の草木にとっては、久しぶりの恵みの雨。

雨の合間を縫って、先祖のお墓参り(千葉市平和公園、車で20分)。私の守護神は小さい頃から可愛がってくれた祖母なので(少なくても私はそう思っている)、その祖母が眠っている墓(父も眠っている)をきれいにし、生花と御線香をたむけ、お参りし、母や家族の健康や安全もお祈りした。
これで、我が家や私はしばらく平穏な日々が過ごせる。(「なんと安易な宗教心」と思われれるかもしれないが、)

誕生日&イタリアンレストラン

私の歳で、また歳を重ねるのはあまり嬉しくない。したがって、誕生日と言っても、とりわけ感慨があるわけではない。また、昔はお正月に歳を取る「数え」という方が、誕生日に歳を取る「満」より優勢だったので、誕生日に祝ってもらった記憶はあまりないし、お正月に歳をとり、お年玉をもらえる方がうれしかった。
そうは言っても、90歳になる母親から「誕生日おめでとう」という電話がかかってきた時、誕生日は私一人のものではないし、ここまで健康で平穏に生きて来られたのは、多くの人の御蔭である。母親とあるいは家族で祝うのもいいものだと思った。
今日は、少し遅れたが、娘たちが企画し、海浜幕張のイタリアンレストランで、家族全員で一緒にランチを取り、私の誕生日を祝ってくれた。お店では、誕生日の特別デザートを出してくれた。
このイタリアンレストラン(オレアジ ひひ野店 http://www.oreaji.com/index2.htm,)はカジュアルな店だが、感じがよく、パスタやピサの味もよく、デザートも美味しくて、お勧めである。

『児童心理』(9月号)を送っていただく

 深谷和子先生(東京学芸大学名誉教授)より、先生が編集代表をされている雑誌『児童心理』(9月号)を送っていただいた。
お手紙には、次のような言葉が添えられていた。
 <いい夏休みをお過ごしのことでしょう。数日して、児童心理9月号(「子ども目線に立つ」)がお手元に届くと思います。御年輩の先生で領域も違うし、ご存じかどうか分かりませんが、「大正自由教育の研究」で昔毎日出版文化賞受けられた中野光先生が、この号に窓際のトットちゃん関連で、ともえ学園のことを書いておいでです。中野先生は数年前に突然目がご不自由になられ、特殊な機械?を使っての大変な作業をしてのご執筆でした。先生にもその論考を読んでいただけたら嬉しいと思い、謹呈申し上げます。眼が見える私たちはもっと頑張らなくてはいけませんね。いい夏休みをお過ごし下さい。深谷和子>

『児童心理』は心理学が専門の雑誌なので、時々しか読む機会がないが、いつもその時代にマッチしたテーマが選ばれ、学問と現場の臨床に根ざした読み応えのある論稿が掲載されている。長年編集に携わってこられた深谷和子先生の学識と見識の高さを伺わされる雑誌である。

 今回も、「子ども目線に立つ」という視点で、巻頭の新富康央先生(国学院大学、教育社会学)(「よくない教師の1つのタイプが、『先生らしい先生』なのです」というフレーズが印象的であった)はじめ、興味深いさまざまな論稿が満載である。
 竹内和成「犬の目線―『犬からみた世界」を読む』」も、毎日犬と付き合っている私からみると印象的であった(「犬は私たちを観察する。私たちを見つめ、私たちの気分を感じ取り、次の行動を予測する」「犬は課題を解決するのに自分で考えるよりも、人間をあてにすることに方向転換をしたらしい」 など、納得できる指摘が多くある)
 
 深谷和子先生のすすめる中野光先生の「『窓ぎわのトットちゃん』をひきつけた小さい学園の教育」は、圧巻の論稿であり、内容も文章も、心打たれるものがあった。
 「大正自由教育と手塚岸衛についての研究者の一人である私にとっては『手塚と自由学園の教育』があの戦時下でも生きていたことを知った喜びも大きかった。」(115ページ)とあるように、黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』の背後には、大正自由教育や教育学者・手塚岸衛の教育理論が息づいていたことを、鮮やかに描き出している。
中野光先生が、『窓ぎわのトットちゃん』の書評を書き、その出版記念会に招かれて、黒柳徹子と会ったとき時のエピソードもほほえましい。
 この文章を読み『窓ぎわのトットちゃん』を再読したくなり、家で本を探したが見つからず、アマゾンで注文してしまった。
 中野光先生には、以前に一度深谷昌志先生のご本の出版記念会でお会いし、そのご著書も1冊読ませていただいたが、研究者の繋がりがこのような形で存在することに、感慨深いものを感じた。
 本をお送りいただいた深谷和子先生に心から御礼申し上げる。