学校社会学研究会 無事終わる

毎年夏に宿泊を伴い開催されている「学校社会学研究会」(今年は31年目の31回大会)を、千葉幕張の放送大学セミナーハウスで、放送大学の岡崎氏と私の幹事で開催し、盛会のうちに幕を閉じた。参加者は43名と記録を更新。

2日間で10件の報告があり、それぞれに対して有意義な質疑が、行われた。そのやり取りは、大規模な学会とは違い、和やかなものであり、多くの学びがあり、また研究の励みになるものであった。

私はその前の2日間は、放送大学の修士論文の指導の会にも参加してので、合わせて3泊4日の長丁場であり、体力の限界に挑んだ。

連日夜の親睦会もあり、放送大学の近辺にも美味しい店が何件もあることを発見し、栄養と鋭気を補給しながらの楽しい会であった。
(1日目の夕食は近辺で一番美味しいと言われる中華料理、2日目はお弁当(東北の缶詰付き)、3日目は別の豪華な中華料理(飲み放題付き)、昼食は、2日目お蕎麦屋、3日目放送大学食堂、4日目イタリアンレストランとバライエティに富んでいる。その他、朝食のサンドイッチやモスバーガも美味しかった)

キャバリャ

同じ犬種の犬の顔やその表情は、どうしてこのように似ているのだろう。http://knight.lolipop.jp/29cavaoff/29cavaoff.html
また、その似たところが、かわいく感じるから不思議だ。

犬の散歩をしていて、同じ犬種のキャバリャを連れて散歩している人見ると、親近感を感じて、見知らぬ人でも、つい声をかけたくなる。
キャバリャはあまり人気のある犬種ではないが、少し「ブシャン」で愛嬌があり、おとなしいので飼いやすい。(近くのダイエーのペットショップでは、生後間もないキャバリャの子犬が5万円で売られていた。まだ、大きくなった100円の雑種の子犬(こちらはキャバリャではない)も売れ残っていた)
http://www.pet-coo.com/cgi-bin/index.cgi

昨日は、我が家と隣の家の、2匹のキャバリアのシャンプー。風呂場で、犬用のシャンプーで洗い、ドライヤーをかけるだけなのだが、なかなかその時間が取れず、1か月ぶり。

若い人のパワー

これまで何度か紹介してきたが、若い人だけの職場で、その若い人が、これ仕事なの?遊びなの?と、区別がわからないくらい楽しんでいる様子が伝わってくるサイト(ブログ)がある。
「ひまわり」というリゾートの不動産屋の御宿店のブログである。(http://www.himawari.com/blog/blog/13)
社員は男性2人、女性3人で、平均年齢は20台のような気がする。皆仲がよく、OFFの日も一緒に過ごしたりしている。
ブログの内容は、海、景色、釣り、魚、食べ物、サーフン、植物のことが多いが、5人が交代で書き毎日更新され、とてもいい写真が掲載されているので、つい覗いてしまう。
夏の今の季節は、外房の御宿及びその周辺のきれいな海と美味しい食事が満載で、見ているだけで、海に行った気分になれる。若い人のパワーから、力がもらえる。

人から受けた傷は、きっちりと返したい?

キリスト教には、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」という教えがある。
『レ・ミゼラブル』でも、銀の食器を盗まれた牧師は、盗んだジャンバルジャンにさらに銀の燭台を差し出し、それで改心したジャンバルジャンは、自分の不利も顧みず、宿敵の警視の命を助ける、というキリスト教的な感動的な場面がある。
でも、人間はなかなかこの境地に至らないのではないか。
今は亡くなられてしまったが、私が助手の頃、東大に非常勤に来ていたICUの先生が、敬虔なクリスチャンで、「自分を傷つけるような人を悪くは思わない、気の毒な人と思う」と言われ、そのような高邁な考えがあるのかと驚いたことがある。
一般に人は「自分から人を傷つけようとは思わない」(実際は知らずに人を傷つけていることはかなりあると思うが)にしても、傷つけられたことを恨みに思い、「受けた傷は、きっちりと返したい」と思うのではないか。「今は力がなく、仕返しは出来ないかもしれないが、覚えておいて、将来同じ程度の傷を負わせたい」と思うのが、一般的ではないのか。
しかし、このような心情も、時間と共に、忘れ去られことも多い。人から傷つけられ、「いつか力をつけて仕返しをするぞ」、と堅く心に誓っても、長い年月が経つうちその恨みは忘れ、さらにその人に親しみすら感じている自分を発見することがよくある。

「信号の無い横断歩道」について

「信号のない横断歩道」に関して、私はこれまで誤った認識をしていたのかもしれない。
 私は「信号の無い横断歩道」では歩行者優先なので、車は一時停止しなければならない」と法律でも定められものとばかり思っていた。しかし、どうもそうではないようだ。

インターネットで調べると、次のような文章にでくわした。
<「止まる理由は単純です。人の命はとても大切で、かけがえのないものなのは当然として車が止まらなければ、歩行者は命の危険を感じるでしょうし車の方が圧倒的なパワーを持っているので、もし車が止まらなければ歩行者は車が途切れるまで渡ることができません。>

つまり、「信号のない横断歩道」で、車が止まるのは、そうするのが義務ではなく、車を運転する人の「善意」や「思いやり」でなされている、というわけである。
 当然のことながら、人の「善意」を当てにして生活することはできないから、これからは、「信号の無い横断歩道」を渡る時は、車が途切れるのを待とう(これまでは、私はそのようにしてこなかった。よくここまで生き延びて来たものだ)

 歩行者と運転者の思いは、ずれているのかもしれない。歩行者は、「横断歩道は歩行者優先で、歩行者が渡り始めたら車は止まらなければならない」と思っていて、運転者の方は、「横断歩道を人が渡っていても止まる必要はない。自分が止まっても、後続車が路上駐車と間違えられて追い越すかもしれないし、対向車が歩行者に気がついてない時は、止まるとかえって危険である、したがって、横断歩道でも信号がなかったら止まらない方がよい」と考えているかもしれない。
歩行者は「信号のない横断歩道」に対する認識を改め、これから車優先と考えて、「車は止まってくれない」「車が来ない」ということを確かめて、横断歩道を渡った方がいい。

 歩行者優先か車優先かで、その国の民度や文化度がわかるような気がする。欧米諸国は歩行者優先で文化度は高く、アジア諸国は車優先で文化度は低いように思う(それは西洋基準の計り方という面もあるが)。それを、私自身は上海とハワイで、そのことを実感した。
  日本は、その点は欧米諸国に近いと思っていたが、そうでもないかもしれない。 
 日本国内で差があるのであろうか。大都市はそもそも「信号のない横断歩道」は少ない。でもその結果、運転者はどちらに傾くのであろうか(運転者は、信号に反応するのか、横断歩道に反応するのか?)。
 「信号のある横断歩道」ばかり見て運転している大都会の人間は、「信号のない横断歩道」にさしかかった時、やはり信号の方に反応して、赤い信号はないしと思い、そのままそのまま突っ切るのではないか。。
 避暑地は、どうであろうか。地元の人は、あまり「信号のない横断歩道」で止まること(習慣)はなく、避暑に来ている人に心の余裕があるので、止まる車が多いのではないのか?

 軽井沢のソフィアートのスタッフMさんのブログには、最近(8月11日)次のような文章が書かれていた。(http://www.sophiart.co.jp/mwatchmemo20130811.htmよりの転載)

 <歩行者の立場で見ると車の運転ルールの無視やマナーの悪さに呆れることが多い。別荘地の私道や細い生活道路を我が物顔で猛スピードで抜け道にするのはよく見る光景だ(地元の長野ナンバーも多い)。
信号のない横断歩道で歩行者が待っていても、止まる車はほとんどない。見通しが悪くても、道路上に菱形マークがあるので横断歩道の存在に気がつくはずであるが、ほとんど意識されていないのが現状である。歩行者の待つ横断歩道で止まるのは、善意ではなく道路交通法上で決められたルールであることを知らない(または意図的に違反している)ドライバーがあまりにも多い。
散歩中に観察した光景では、見通しの良い直線道路で、対向車線で大型バスが横断歩道で待っている歩行者に気づき停止している状態でありながら、反対車線を走行中の自動車が10台以上、歩行者を無視した。それらは適当な車間で時速40キロ程度で走行中、しかも横断歩道で待っている歩行者を眺めながらも停止しなかった。さすがに交通法規に厳しいプロドライバー(バスや優良タクシー、優良宅配専業)や安全意識の高い車は止まる。ただし、ただ止まれば良いというものでもない。恐縮して急いで渡ろうとする歩行者が、停止する意識のない対向車によって事故に遭う危険もある。その他にも、目に余る悪質運転が世の中には横行する。弱い立場の子供たちやお年寄りなどの歩行者や安全運転に配慮している運転者が、被害に遭わないことを祈る。>

(このMさんのブログでは、実際の法律や「信号機のない横断歩道」でどの程度の車が止まるかの観察記録も紹介されている。必見である。
 もちろん、軽井沢の草花や鳥のことに関するMさんの文章は、完成度が高く香があり、いつも感心させられる)

中央教育研究所・所長の水沼さんより、さっそく次のようなコメントもいただいた。記して、感謝したい。
<信号のない横断歩道に関して、先生と同じように歩行者優先と考えていました。 しかし現状は横断歩道を渡ろうとしても大半の車が止まってくれません。
 ネットで調べたら、やはり止まらない車は道交法違反でした。
「道路交通法第38条」は ①横断歩道では徐行し、歩行者がいれば必ず停止すること。②横断歩道の前で停止している車を追越す場合は一時停止すること。③横断歩道の前30m以内で進行している車を追い越してはならない。④横断歩道がなくても交差点を渡っている歩行者を妨害してはならない。と謳っています。
 世相として社会的弱者に対する思いやりが薄くなっています。これが交通弱者にも現れているのだと思います。>
また、知人のKさんからもイギリスでの体験をお寄せいただいた。感謝したい。
<ブログで「信号のない横断歩道に関して」を読ませていただきました。イギリスの生活で最初に驚いたのが、「横断歩道で絶対車が止まってくれる」です。
すごく有難いような申し訳ないような気がして、お辞儀をしたり、手を振ったりしていました。>
さらに、知人のGさんからも、次のようなコメントをいただいている。
<私自身、ヨーロッパで何度かドライブし(イングランド、スコットランド、ドイツ、オーストリア、フィンランドなど)、日本の状態を知るものとして、車の歩行者に対する過剰?思えるほどの配慮(と、反面、動物の犠牲の多さ)に驚くことがしばしばありました。>