人にはそれぞれ趣味や好みがあるので、自分の好みなどを人に押し付けるのはなるべく避けなくてはいけない。
そうは言っても、それを人に押し付けてしまうのが人間の性(さが)である。とりわけ(大学)教師という職業にはその傾向があるのであろう。
先日、大学の同期生と「国立歴史民俗博物館」に行ったのは、同期生の一人が大の歴史好きで、それに皆が同調したせいもある。
その見学の後、私が稲毛海浜公園に皆を誘ったのは、私の海好きと花好きを押し付けたところがある。心やさしい同期生はそれを受け入れ、文句ひとつ言わず付き合ってくれたが、海と花に関しては、同期生はあまり喜んでいる風はなく、自分の押しつけを反省した次第。
車で東京に帰る同期生を見送った後、私は菊展に取って返し、家用に菊を二鉢購入した(家でも菊はあまり好まれないので、庭の片隅に置くことになるのだが)自分の好みや趣味は自分だけで楽しめばいいのかもしれない(犬は、気の毒がって、付き合ってくれそうだが、、)
薩摩の両雄「西郷と大久保」から学ぶ
科学の時代に育ち、非合理的なものはほとんど信じない自分であるが、偶然やありえない遭遇に驚くことがある。運命の糸に導かれてというほど大げさなものではないが、その偶然や遭遇を楽しむのはいいことであろう。
現在特任で勤務している敬愛大学は、その創始者長戸路正政が明治38年にある講演会において西郷隆盛の「敬天愛人」思想に出会い、この「敬天愛人」を建学の精神として学園を創設した。
その西郷隆盛の「敬天愛人」や、西郷の思想や人となりについて、学園の角田叡氏の講演を学生と一緒に聞き、また敬愛大学の創設の本などを読み、歴史に無知な私も西郷隆盛についていろいろ知りたくなった。西郷は人間的にも魅力的な人物だったようである。
そのような中、偶然昨日(8日)、同窓生と佐倉の「国立歴史民俗博物館」に行き、大久保利通の特別展を見て、その幕末の大久保利通が、西郷隆盛とは薩摩で幼な馴染みで、後に政治方針が違い決裂して戦う運命にあったことを知り、その遭遇に少し驚き、この二人のことを知りたくなった。
インターネットで、大久保利通で検索してみると、さすがに歴史的に有名な人なので、いろいろ出てくる。その中には、<薩摩の両雄「西郷と大久保」>(http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/okubo.htm)というものもあり、興味深い考察もある。(以下、一部転載)このあたりから歴史を学んでいこう。
< 西郷はその人生の中で、しばしば上役や身分の高い人物に対して、「自分が正しいと思うことは、死をも恐れずに思い切って発言する」というような大胆な行動に出ています。これは西郷の人生における一つの行動パターンとなっています。(中略)
西郷がこのような行動パターンを取る性格に形成されていったのは、生まれついての正義感などもあるでしょうが、「お由羅騒動」で受けた影響が大きくあると思われます。
「正しいものが処罰され、悪がはびこる」(少なくとも西郷はそう信じていました) 赤山の筋を通した見事な切腹を聞き、血染めの肌着を授けられた西郷は、公に対する憤りというものを強く感じ、権力に対する反抗精神を心の中に植え付けられたことが、西郷が死をも恐れず、思い切ったことを大胆に発言する性格に形成された一つの原因になっているように思われます。
一方、大久保ですが、彼が「お由羅騒動」で感じ得たことは、西郷とは大きく違っていたと思われます。 大久保はこの騒動において、「権力というものが、いかに強大で、かつ恐ろしいもの」であるかという、権力の本質を悟り、感じたと思われます。
また、それと同時に権力への憧れというものも同時に感じたものと思われるのです。
「例え正義がこちら側にあったとしても、少数の徒党では組織の権力には絶対にかなわない。事を成し遂げるには、必ず強大な権力を背景としたものが必要となってくる」
父の遠島や自分の免職謹慎処分で塗炭の苦しみを味わった大久保は、このような思いを抱いたのではないでしょうか。
実はこのことはまったく西郷とは正反対の感じ方です。 西郷は「権力に対する反抗精神」を感じ、大久保は「権力への憧れ、権力欲」を感じたということは、二人のその後の生き方を理解する上で、非常に重要なポイントとなってきます。>
同期生と佐倉へ
筑波大学メンター会
明日(11月6日)、私も参加する会が常陽新聞(2015年1月3日)で紹介されている(以下、一部転載)
<筑波大卒業生や地域の社会人が、進路や就職に悩む中・高・大学生らと交流し、経験や知恵を伝えるイベント「大学生、大学、地域を活性化するには?」が6日午後6時から、つくば市吾妻のBiViつくばの同大サテライトオフィスで開催される。社会人との交流会や大学生や地域をテーマにしたシンポジウムがある。コーディネーターの黄順姫(ファン・スンヒ)教授は「大学の知を地域活性化に生かしたい」と期待を込める。
大学内の閉鎖的な環境だけでなく、グループ外にも開放し、社会的に影響を及ぼす活動として運用したいと考えた。注目したのが、アメリカの大学や企業で活用されているメンター(助言者・mentor)制度だ。知識や経験の豊かな先輩・上司(メンター)が後輩・新入社員(メンティ)の相談にのり、キャリア形成上の課題や悩みについてサポートする仕組みだ。アメリカでは1対1の関係で行うが、黄教授は日本の集団主義的な社会になじむようグループで行う形で導入。卒業生や教員、地域社会のリーダーや海外で活躍する人たちをメンターとして組織し、講演やシンポジウム、プレゼンテーションコンテストなど多彩な形で学生との交流を図り、大学の活性化や縦の繋がりをつくることを目指した。「日本の大学生は同年齢とばかり付き合いがち。卒業生や地域の人と接することで、視野が広がり、社会人になるための心構えを獲得できる」と黄教授。 卒業生メンターの講演では、学生から、ロールモデルとして自分を重ね、将来像を描けるようになったという声が聞かれた。またプレゼンコンテストの時には、社会人メンターから「そんな内容では顧客を説得できない」と学生に厳しい言葉が飛ぶこともあるが、「社会の第一線で働く人の言葉は説得力があり、教員が教える学問に実践力を加えるので、教育がより効果的だ」と黄教授。 さらに活動はメンターにとっても、メンター同士交流の幅が広がり、生きがいの創出につながっていると黄教授は分析する。 「これから地域が高齢化や人口減少などの課題に直面する中、メンター会で人の交流を起こして地域活性化につなげ、グローバルな視点を持つ成熟した多文化共存・共生社会をつくることに貢献したい」と黄教授は力を込める。
◆イベント開催は午後6時~8時、入場無料。
問い合わせは黄教授へ。whang.soonhee.kb@u.tsukuba.ac.jp。
15年メンター会、常陽新聞、2015年11月03日12面 (1)
追記(後日談)
メンターの会には、筑波大学のOBがたくさん集まり、学生や院生に親切に進路や生き方の相談にのっていた。
総勢で50名弱のあたたかい集まりであった.私も後半のシンポで、「大学生のライフスタイルの変化」という題で、20分ほど話をさせていただいた(熱心に聞いていただき感謝する)。ただ、私だけが筑波大学と関係がない人間で、黄順姫教授や他の人からもいろいろ気を遣っていただいたが、アウエイ感がぬぐえず、アウエイで過ごすことにさびしさが伴うことを、痛切に実感した。今度は、私のホームグランドで何かやるときに、アウエイの人に気を付けなければならないと思った。
15年メンター会19回イベント後の記事、常陽新聞、2015年11月10日02面 (2)












