よきテキストと学生のよき発表

 敬愛大学のこども学科の授業で「子どもと地域の教育論」という科目を、前期に担当した。
 これまで「教育社会学」「学校社会学」「高等教育論」「多文化教育」「青年文化」という科目は担当してきたが、「地域社会」と関係づけた科目は担当したことはないので、最初この科目を担当するように学科から言われた時は少し戸惑いがあった。
 幸い、学文社の「子ども社会シリーズ」のなかに、住田正樹編『子どもと地域社会』(学文社、2010年)があったので、それをテキストに、学生のグループ発表で、授業を行った。
 テキストがこの分野の内容を網羅し、またそれぞれ章がわかりやすい文章で、これまでの研究や議論をまとめ、現在の問題点を的確に指摘しているので、助かった。
 学生諸君も、いいレジメを作成し、グループ発表で力を発揮し、毎回充実した、楽しい授業となった。 
 学生諸君の役割分担にも感心した。テキストの要約を作る人、それを発表する人、皆から意見を引き出す人、黒板に皆の発言を書く人、討論の司会をする人、など自分の得意分野を受け持っている。
 明らかに、これは特定の個人の貢献が大きいなと思われる場合もあるが、皆,平等な共同作業の結果であるという態度で発表しているのが、興味深かかった。
発表を聞かず、私語している学生もいるが、仲間の発表なので教員の講義よりは熱心に聞くという態度が一般的で、グループ発表は、敬愛の学生に方法としても成功したと思っている。
 レポートを課したので、その成果が楽しみ。

神田外語大生の「ふるさと」

神田外語大の「教育社会」の授業でも、「ふるさと」の4番の歌詞を書く授業を実施した(これにかけた時間は10分程度)。資料は同じで、西島氏の「ふるさと」に関する新聞記事と、藤原新也の原発に関する新聞記事とである。その二つを結びつけて、歌詞を考えたもの、関係なく日常から作ったものなど、さまざまである。神田外語生は、さまざまな地域から来ていることも提出された内容から伺われた。 

・空から降る 死の灰 目に見えぬ 影あり 大きな力で左右され 見放された ふるさと
・国家に退去 命じられ 1年が経ち 再稼働 原発の悲劇 何を学んだ 変わり果てた ふるさと
・国も政府も疑い 安全に住めない 環境に置かれて 誰が帰りたいと思うか(いや、思わない)
・今も残る がれきは 忘れられぬ 記憶に みんなの支援が 広がって 早く元の ふるさとへ
・皆一緒 安心 放射能に負けない 協力大切 してみる 忘れがたき ふるさと
・地震の中 辛くとも 決して崩さぬ 平常心 ひたすら外人は 驚くばかり 見返したぞ 日本人
・普通の日々 奪われても 生きる希望なくしても それでも僕らはまだ生きている よみがえれ 僕らのふるさと

・家族が待つ 我が家 友が待つ 我が場所 心温まる 自分の居場所 心安らぐ ふるさと
・電話越しから 母の声 元気ですかと 心配する そんな優しさ 心に染み ふと帰りかたくなる ふるさと
・友と遊びし かの海 家族と話し かの家 離れていても 心を 支えてくれる ふるさと
・みんな都会に 出て行き 昔の暮らしを 忘れる それはとても悲しい 忘れないで ふるさと
・見慣れない風景 知らない顔 満員電車 都会を感じる 時折来る 両親からの電話 帰りたい ふるさと
・都会の波にもまれて 先の見えぬ この国 いつかの 成功を 夢見て ああ懐かしき 我がふるさと

・隣近所 見知らぬ コミュニケーション 取りがたい 交流大事と知っていても 周りに 知り合い いない
・社会通念 守って 自己実現 果たせぬ 競争社会 敗れて 生きる意味なし ふるさと
・田んぼ 畑 広がる のどかに暮らす 私の町 不便で 都会に あこがれて 引っ越しがしたい ふるさと
・志を なくして 働かずに 遊んで いつかはやると 言い続けて 親に頼る ふるさと
・親も祖父母ももういず 友は皆嫁いだ 取り残され ひとり身 何のための ふるさと
・時に追われる毎日 日々溜めこむ ストレス 帰宅しても 一人ぼっち どこにもない ふるさと
・顔も知らぬ 隣人 外に出れば マンション 隣の街も 似た風景 どこでもいいや ふるさと
・不況の波に 飲まれて 何もかもが ぼろぼろ 面影を失って 廃れ朽ちる ふるさと
・不安定な 心の ありどころの ないまま 移り変わる ふるさと いつもそばに ふるさと
・無意味な日々 ただ生き 志を 果たせず 誇れないよ ふるさと もう忘れた ふるさと
・高いビルとマンション 木々の森が見えない 環境問題 尽きないだろう 未来が不安 ふるさと
・未来暗き若者 予測できぬ事ばかり 毎日疲れて 寝不足になる 一体何が ふるさと
・日本人は 行き詰まり せかせか働いて 余裕がない アメリカに帰り 自由に時間を 使いたい ふるさと
・時間がない 忙しい 寝る時間も 削って でもそれは自分で作るもの 余裕を持って 生きましょう

・スマートフォン 欠かせない SNS つぶやく 友との繋がり メールだけ メールの世界 ふるさと
・ネットワーク広がる 友人作る ネット上で コミュニケーション 取れない 先が怖い ふるさと
・返事が遅い イライラ 課題が多い しょうがない 人付き合い 面倒くさい ケータイなくなれ 世のなか
・メディア特集 減少 同情ばかり 人事 夢は もう一度 日常を 旧友と過ごす ふるさと
・ゲームします 電車で TVみます 一人で 一人でやること とても多い 戻りたいな ふるさと

高校の同窓会

今年高校を卒業して49年目ということで、新宿住友ビル49階のレストランで、高校(日比谷35R)の同窓会が開かれ、参加してきた。高校卒業後クラス会が開かれるのは4度目であり、私は3回目を都合で欠席しているので、参加は5年ぶりくらい。大体誰だかわかる。(卒業後20年後に開かれた第1回目のクラス会の時は、誰だかわからない人も多くいた)
今回の出席は15名(男性9名、女性6名)の参加で、参加率は33%。クラスメート50名中、既に5名は亡くなっている。そろそろ人生の終わりを考えなくてはならないという話も出た。
卒業してからの経歴(=苦労)と現在の生活の様子が各自から報告された。皆定年を迎えており、会社の顧問のようなことをしたり、大学の非常勤の教員をしたり、趣味に打ち込んでいたりしている。
概して、女性の方が元気で、「亭主は元気で、留守番がいい」と外に出て好きなことをしている人が多い。とにかく健康で、あることが一番大事ということを確認しあった。もう少し頻繁にクラス会を開催しないと、会える機会が少なくなると、自分たちの歳を自覚させられる会であった。

敬愛大学父母懇談会

今日(7月7日)は、敬愛大学父母懇談会が幕張のホテルスプリグス幕張で開催されていたので、参加してきた。豪華なホテルの会場に学生の保護者100名近くの参加で、5時間に渡り多彩なイベントがあった。三瓶・新学長の挨拶、卒業生6名のトーク、歌手/庄野真代さんのトーク&ミニライブが特に印象的であった。学友会の在校生も接待に大活躍。
敬愛大学も6月に三瓶新学長に代わり、改革の意気込みが感じられる。卒業生のトークは皆いい話で、敬愛大学の教育の成果が感じられた。庄野真代さんは、紅白にも出た有名な歌手だが、今は「国境なき楽団」http://www.gakudan.or.jp/の代表理事で、世界の子ども支援、東北の震災支援にも活動を広げている方で、その活動と歌に感銘を受けた。私も本に、サインをいただいた。

カントリー意識とネーション意識 2

西島氏からは、これまで書いた論文の出典とその内容に関して、補足の説明も送ってもらった(一部転載)

<論文は
「想像の『にっぽん』」『教育学年報4』(1995)世織書房,
「学校音楽はいかにして国民をつくったか」『近代日本の文化史5編成されるナショナリズム』(2002)岩波書店 です。
 前者は唱歌の歌詞分析、後者は唱歌の授業実践や儀式での唱歌斉唱といった音楽行動の身体性を扱っています。
そのなかで、ネーション意識:複数の政治的共同体の中で、他者に対して自己主張するときに、たとえば公権力によって方向づけられたイデオロギーや伝統のような特徴を、ヘゲモニーとして認知的に感じ取るレベル。具体的な指標としては、制度や儀礼、伝統などが含まれる。これらは、他の政治的共同体との明確な区別のために用いられる国民一体性の意識であり、政治的共同体の主権と国境線に対する意識が内在している。
カントリー意識:人々が自分の生活している場とその中間を自然発生的な共同体とその構成員であるという意識をもつときに、言語的・領域的・文化的要因が組み合わされた生活様式の同一性を共同意識として、視覚や聴覚などを通じて感覚的に感じ取るレベル。具体的な指標としては、偶然以外には象徴的な機能をもたないルーティンに含まれる前近代的共同体の人間形成機能とその諸要素が考えられる。ここには、集団内の言語、文化的伝統、生活様式といった文化的属性が共有されているという意識が内在している。と定義していました。久しぶりに読んでみたら、くり返しも多くて、やや稚拙ですが・・・。
ちなみに、唱歌の分類として、カントリー意識だけまたはネーション意識だけに関わる内容の歌もある一方で、《ふるさと》や《我は海の子》なんかは、カントリーからネーションに展開していくんですね。
(ふるさとの場合は、うさぎ追いなどの日常生活から、こころざし・・・立身出世観へ)
(我は海の子の場合は、海辺の漁村の日常生活から、いまは歌わない後ろのほうでは軍艦を浮かべて国を守るという話になります)
 政治学的にまたは社会学的に見たときの良し悪しは別として、そういうふうにつなぐことによってバランスが維持されていた部分があると思うのですが、戦後日本は、社会統合を意識的にしなければ国はまとまらないということに対する認識が、政治の世界ではもちろん、学術の世界でも、他の国々に比べて、薄かったと思います。
 認識が薄かったということと、実態として、潜在的にどこかで何かが機能してくれていたということは別です。
 藤原さんの問題提起は、水俣の頃は潜在的にどこかで何かが機能してくれていたことのうち、今回は、カントリーの部分が壊れちゃったじゃないか、失われちゃったじゃないか、にもかかわらず、その状況で、ネーションばかり強調する政治をしていて、この国は、この国に住む人たちはどうなっちゃうんだろう・・・という、国民国家としての危機を迎えていることに自覚があるのか、ということだったのではないかと思います。
《ふるさと》ブームは、新聞記事で書いていただいたように、一般の人々のレベルでは、被災地とは違うところ(具体的には関西のほうとか)にカントリーを感じていた人々に、
「いや、あなたのカントリーの延長に、同じネーションにいるあの人たちのカントリーがあるじゃないか」ということを思いを至らせる役割を果たしました。僕は、そのことは高く評価しているし、震災以前からこの実践をしていた者としては、やっとこの歌を評価してくれるときがきたか、という思いもあります。
 しかし、そうであれば、次は、ではあの人たちのカントリーってなんだろう、ということに思いがいかなきゃいけないと思うのです。ところが、現実に起きていることはそうではない。それは、もしかすると、ネーションに飲み込まれてしまって、いまはどこにもない(と言い切るには、まだまだ日本にもうさぎ追いや小鮒釣りに近い光景はたくさん残っていると思いますけれど・・・)
 《ふるさと》に描かれるカントリーを共同幻想のように共有してしまっているからではないか、と思うのです。
 でも、我々が、ネーションの面で政治的社会的にはさまざまな考え方をもっているにもかかわらず、1つの国民国家としてまとまっていられるのは、どこかでカントリーは一緒だという思いがあるからです。まだネーションに飲み込まれた《ふるさと》でなんとかつなぎ止めていられるうちはいい。
 しかし、もしいまの週末の首相官邸前のデモにしても、福島の人たちにしても、ひょんなきっかけから、その箍が外れてしまったとき、1つの現れは、、別々のカントリーを希求する動きや、そんなことが起きたりするのではないか、と僕は強く強く心配しているのです。
 この《ふるさと》の続きを作る実践は、(ちなみに、本当は授業では《ふるさと》の4番を作る、というネーミングでやっています)震災より前からやっていますが、それは、上述したようなカントリーの共有状況に前々からなんとなく危惧を抱いていたからです。
(最近の音楽の教科書は、まったくふわふわした毒のない夢やら何やらをテーマにしたものばかりで、文化人類学的に歌のもつ機能を、意識してか無意識かはわかりませんが、放棄しているように思うのです。)
 そこで、《ふるさと》を含めていろいろな歌を紹介し、自ら歌詞づくりをしてみることを通して、自分のカントリーを意識し直してみよう、というのが、本来の授業の狙いでした。
 ただ、一気にこんなことになるとは思っていなかったので、ここ数年、学術的には、もう少し現実味のある部活・・・甲子園なども、ネーションのほうからカントリーへとつながっていく仕掛けの1つだなあと思っていますが・・・を通して、社会のまとまりのことを考えようとしていたのでした。
 すっかり長くなりましたが、長くなりついでにもう一つ、よく授業で使うのですけれど、 世界の国歌の歌詞を見ていくと、その国の成り立ちと歌詞のカントリー的な内容やネーション的な内容の扱いとが、意外と相関しているように思えてきます。
学術的に厳密さを問えば、もっときちんとつめなければいけないところもあるでしょうが 小ネタ的には・・・学部学生向けに1コマ分くらいのお話としては・・・、多様な国のあり方を学ぶいいきっかけになると思っています。