私の敬愛大学での後期の講義科目は2科目。「教職概論」(こども学科2年生、97名)と「教育課程論」(こども学科1年生、73名)である。 以前に書いたように、資料を読んで、質問に解答するような形式が続いている。今週のテーマは、「教職概論」は教師論、「教育課程論」は、特別活動についてである。それぞれの授業のリアクションを、2つずつ、掲載しておく。教職概論で、映画「二十四の瞳」を観てもらおうとしたが、時間がなく最初だけで終わってしまった。
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秋の夕焼け
これって アクティブ・ラーニング?
大学の授業では、一方的な講義型ではなく、学生が授業の中で主体的に学べるアクティブ・ラーニングの手法を取り入れるように、盛んに推奨されている。
必ずしもこれ(アクティブ・ラーニング)を意識したわけではないが、私の最近の授業(講義)は、私が話す時間は少なくして、テキストや配布した資料を各自読んでもらい、その内容を読み取って、質問に答えてもらうという方式をとることが多い。私のグダグダした説明より、説明の文章を読んでもらった方が早い場合が多いと思うからである。学生は、そのくらいの読解力を持っている。
質問に対する解答はリアクション用紙に書いてもらい、その解答を黒板に出て書いてもらい、解答を皆で共有する時もある。次回に一部をプリントして配る場合もある。
リアクション(授業のコメント)はこれまで、質問や感想等を自由に書いてもらっていたのが、最近はあらかじめ授業の流れに沿った質問をいくつか用意して、書いてもらうという方式をとっている。その質問の解答は、配布資料の内容を読み取らないと答えられないようなものを用意しておく。さらに、単に内容の読み取りだけでなく、それを理解して上での自分の考えを書くように仕向けている。
この方法は、学生の志向を一定の方向に誘導する面ももち、自由な思考が求められる
大学にはふさわしくないかもしれないという危惧も感じながら、試行している。
敬愛大学の学生たちは、私の出した質問によく答えてくれているように思う。書かれたリアクションを読むとそれが感じられる。それは、一部の学生に限らない。多くの学生がかなりの分量の解答を、的確に書いていることからもわかる。そのいくつかを、例として示す。
敬愛フェスティバル
ミステリー(推理小説)のリテラシーについて
マンガにリテラシー(解読能力)があるように、ミステリー(推理小説)にも、リテラシーがあるようだ。
少し前、R.チャンドラー(村上春樹訳)「ロング・グッドバイ」を途中で読むのを放棄し、今回は(水沼さんお薦めの)D.フリ―ドマン(野口百合子訳)「もう年はとれない」を何とか終わりまで読んだがかなり難儀した(後半は、面白くスピードアップしたが)
私はこれまで、ミステリーをほとんど読んだことがない。わずかに関連するものとして、エドガー・アラン・ポー、江戸川乱歩、松本清張のものを少し、読んだことがあるくらいだ。
今回のように、外国の長編のミステリーを読むのは、(翻訳でも)初めてで、登場人物の名前が覚えられず、人間関係がぐちゃぐちゃで、訳が分からなくなる。
それに、文字(文章)による心理描写が、どれが正しく、どれが間違い(うがちすぎ)なのかが、全くわからない。ミステリーでも映画やテレビの映像であれば、誰かがすぐ区別できるし、その登場人物の心理は表情(映像)に表れるのでで、解読可能である。
何か、ミステリー小説解読には、高度なリテラシーが必要のようだ。
上記に関して、水沼さんから、下記のコメントをいただいた。
<推理小説はなんらかの事件・犯罪の発生とその解決へ向けての経過を描くものですが、作者が仕掛けた「罠」を推理しながら読むのですから確かに「慣れ」が必要です。私が最も好きな推理小説はジョルジュ・シムノンの「メグレ警視」ですが、ミステリーというよりは純文学だと思っています。それにしてもソフィーの目つきがフィリップ・マーロウになっていますね。>(水沼)








