村上春樹の小説の解説を読む

年末に見た村上春樹原作の映画「バーニング(納屋を焼く)」の感動がまだ心に残っていて、この間村上春樹に関する解説書を本箱から引っ張り出して読んでいる。

また、敬愛大学の准教授で比較文学・文化翻訳論が専門の芳賀理彦氏より最近の氏の著書『アメリカは日本文化をどう読んでいるのかー村上春樹、吉本ばなな、宮崎駿、押井守―』(春風社、2018、12)をいただき、読んでいる。 芳賀氏の本は、比較文学や文化翻訳という観点から、村上春樹他の小説がアメリカ人によってどのように翻訳され、受容されているのかを、具体的に示したもので、とても興味ぶかい。

翻訳というものがどのようなものなのか、何を目指しているのか、原作に忠実に行うべきことなのか意訳すべきことなのか、なぜ人は外国の文化に惹かれるのかなどいろいろなことを考えさせられた。村上春樹解釈に関しても、新しい視点が提示されているように思う。

4年生の話を聞く

敬愛の教育子ども学科の1年生の受講している私の授業(「教育課程論」1月11日)で、国際学科で教職を取っている4年生6人に、大学生活や教育実習や教員採用試験の話をしてもらった。

一人15分程度であるが、それぞれの体験に基づいたいい話をしてくれた。1年生が先輩の話に熱心に耳を傾けた。 4年生ともなると、それぞれ思慮深く、頼もしい青年に育っていることを感じた。黒板の前に立ち話す態度は皆堂々としていて、ユーモアもまじえて、話し方も上手で、感心した。今の若者の話上手ということであるが、教育実習から学んだこともあるのであろう。 これは本人たちの努力の賜物だが、大学教育の成果でもあるのだろう。 

教員採用試験に合格した苦労話(野球部の部長ながら中高の英語に合格した者がいる)は、教職を目指す1年生にとって参考になったと思うが、それ以上に、教職を目指したが、様々な理由で途中進路変更した学生の体験談((一般企業への就職が多い)にも、心打たれるものがあった。 大怪我をして長期に入院し目指した教職の単位が取れなかった学生、教育実習に行き教師の多忙さと超真面目さに直面し自分には合わないと進路変更をした学生など、いろいろな「挫折」を味わっている。一般企業に就職することになったが、教職の勉強や実習は企業への就職にも役立っているという考察は何人からも聞かれ、とても納得できるものであった。

1年生にとって、心に残り、今後に役立つ話であったことであろう。 このような機会を提供してくださったS客員教授とそのクラスの4年生に心より感謝したい。1年生にとって、心に残り、今後に役立つ話であったことであろう。

久しぶりの外出

家にいることが多くなったが、久しぶりに外に出ると、いろいろなことが新鮮に感じる。 昨日(7日)は、朝7時半にはバスに乗り、8時過ぎの通勤電車に稲毛駅より乗る。通勤の人々を見るのは久しぶり。皆、これから働くぞという意気込みを秘めているようにも見えるし、眠そうで疲れているようにも見える。(私は内田樹『村上春樹にご用心』2007を立って読む)。秋葉原から赤羽までは空いていて座り、橋爪・大澤・宮台『驚きの中国』2013)を読む。昔の習慣で電車の中は集中して本が読める。

戸田葬儀場に行き、大学時代の友人の葬儀に参列。亡くなった友人の冥福を祈ると同時に、大学時代の友人や知り合いと昔の思い出を語る。他の学科だったが文部省のキャリアだった二人にも半世紀ぶりくらいに会い、恩師の思う出や教育のことをいろいろ話し合う。

午後は、歯医者と内科に行き、歯の治療と血液検査の結果を聞く。医者に行くと、病人になった気分。

少し外に出るとやはり疲れる。明日は、昨年転んで打った肩が少し痛いし、テニスのクラスは休んで、家で本を読もうと思う。

昔の読書会の思い出

若い頃に参加していた鑿壁(さくへき)読書会について2015年1月2日と12月24日のブログに詳細を書いたことがある。

そのメンバーの一人である辻秀幸氏より、氏が80歳の記念に作った素敵な冊子(「秀幸・アルバム編」)をお送りいただいた。

鑿壁(さくへき)読書会の会合や皆で出かけた時の写真にコメントが付され、半世紀前の出来事が鮮明に思い出される仕組みになっている。感受性豊かな若いころの体験がいかに重要かということを思い知らされた。

追記 卒業生のI氏がブログの内容にコメントを寄せてくれた。一部を掲載。

鑿壁(さくへき): 意味, 貧しい生活をしながらも勉学に励むこと、苦学のたとえ。 「鑿壁」は壁に穴を空けること。 匡衡は家が貧し>く、灯火を買うことができなかったので、壁に穴を開けて隣の家の明かりで読書をしていたという故事から。この言葉自体、初めて知りました(漢検1級レベルでしょう)。「蛍雪の功」という言葉すら、今の学生には通じなくなってきています。旺文社の『蛍雪時代』はいまだに出ており( https://passnavi.evidus.com/keisetsujidai/ )ますが、正直、前世紀の遺物です(初版は 1933年)、せめて阪大・京大の受験生あたりが買ってくれないと、誰も買ってくれない。

「昔お正月はお寿司屋以外の店が閉まり、独身者は食べるものがなく困り、「来年は結婚しよう」と思い婚姻率が維持されたと言われるが」―これも私は初耳でした。堀江貴文や ZOZO の前澤社長のような IT 長者(下品なヒルズ族)は、明確に結婚制度を否定していますね。資産数千億~兆の彼らからすれば、財産分与で妻に半分持っていかれるリスクのある結婚など論外でしょう。

おせち料理

お正月のおせち料理の内容は昔からそんなに変わっていないように思う。ただ、その作り方や食べ方は変化している。うちでは妻が材料から作り、お正月に家で皆で食べるという伝統的な方法だが、おせち料理のセットを購入する家庭もあるだろうし、旅行先で旅館やホテルでおせち料理を食べる人もいるであろう。

昔はお正月はお寿司屋以外が店が閉まり、独身者は食べるものがなく困り、「来年は結婚しよう」と思い婚姻率が維持されたと言われるが、今は元旦から多くの店は開いていて、独りでも食べるものに困ることはない。

さらに、下記のように、ホテルでおせち料理のバイキング(ブッフェ)あり、優雅なおせち料理が、苦労することなく食べられる。(結婚費用と比べると、格段に安い。またおいしいかもしれない)

<RESTAURANT 1899 OCHANOMIZU では、元旦から3日間おせちブッフェを開催いたします。伝統的なおせち料理を、平成31年にちなんで【31品目】ご提供いたします! ブッフェ台に並べるおせち料理は、数の子や、黒豆、伊達巻など伝統的な王道のものから、今回は一風変わった「平成のおせち」と「お茶おせち」もご用意いたします!是非当店でおせちをお楽しみください。当店のおせちは和食の料理人が12日間かけて仕込む本格派。「おせち料理は1日だけあればいい」といった方や都内に残る若い方など、多くの方のご要望にお応えできるのが、このブッフェ形式のおせち料理です。 おせち料理を存分に召し上がりたい方、手軽におせち料理を味わいたい方など是非お越しください。>

http://www.1899.jp/ochanomizu/osechi2019.html