日本教育社会学会71回大会に参加する。

9月12日、13日に教育社会学会第71回が大正大学で開催され参加した。ただ、懇親会は今回はじめて欠席した。体力的に自信がなかったからである。大会には私より年上は2~3名(望月さん、大淀さん、塚田先生)しか見かけなかったように思う。同期で見かけたのは久冨氏くらいである。

高齢者が大会に参加するメリットは何であろうか。私の場合で考えてみると、昔から親交のある懐かしい人に会えるというのが一番である。学会でもないと人に会う機会がない。昔からの友人や知り合いに一言~三言言葉を交わすだけでうれしい。それから学会発表を聞いていて、旧い世代の伝統はしっかりと次の世代に受け継がれていることを感じるのも喜びである。学会運営についてもそれは言える(ただ、総括討論が十分なされていないという評議委員会での岩見氏の指摘は当たっているように感じた)

をさらに、研究の最先端も学ぶことができる。統計的分析では、最新の手法で目の覚めるような明解な結果を知ることができる、質的な調査をしてデータの蒐集にかける時間の多さとその分析のみずみずしい感受性を感じる、比較研究も外国に住みその知識と思考を深く理解している考察がある、外国の理論の最先端の紹介などにも感心する。

課題研究は、「カリキュラムの社会学のこれからを問う」を聞いたが、教育社会学の手薄の分野での報告者の澤田稔氏(上智大学)、渡邉雅子氏(名古屋大学)、山本雄二氏(関西大学)の報告と広田照幸氏(日本大学)のコメント(添付)が素晴らしく、いろいろ考えさせられた。

OASYS、QUEENについて

かっての教え子に音楽好きの人がいる。私がOASYSやQUEENについて、ブログに(無知な)短い文章を書いたところ、長文のコメントを送ってくれた人がいる。了解を得て、その一部を転載する。

いつも先生のブログを拝見しており、OASYSのことを書かれていたので(少し前に、QUEENのことも書かれていましたよね!)ぜひ、連絡してみようと思っていたのですが、台風以来、しばらくブログが更新されていなかったので、控えておりました。ご無事で何よりです。

OASYSは、東京でやったコンサートにはほとんどいっています。今年の5月でしたか、千葉の幕張で行われた「Noel Gallagher’s High Flying Birds」(OASYSはNoel GallagherとLiam Gallagherの兄弟が主要メンバーだったのですが、兄弟げんかが絶えず解散し、その後、お兄さんのNoelが始めたバンドです)のコンサートにも、行ってきました。先生が指摘した、「労働者階級の洋服」という記述に、改めて「そうだったか…」と思いました。彼らのファッションや階級のことは全く気にしていませんでした。ですが、OASYSが人気を持ち始めたころ、同時期にデビューしたBlurというバンドとしばしば比較されていたことを思い出しました。Blurは中産階級出身のメンバーなので、当時、イギリスでは労働者階級VS中産階級と騒がれたとか。ジョン・レノンが「working class hero」という曲を書いており、オアシスのメンバーもたまにインタビューでその話をしていますが、OASYSやビートルズは、イギリスでは、ワーキングクラス・ヒーローなのだそうです。

ブレイディみかこさんという方がこんな記事を書いています。https://news.yahoo.co.jp/byline/bradymikako/20150226-00043362/ 

OASYSの「Don’t Look Back in anger」という曲は、日本のテレビCMにも使われたことがあり、ファンでなくても知っている人が多いのですが、イギリスでは「国歌」といわれることもあるそうです。2年ほど前ですが、マンチェスター・アリーナで行われたアリアナ・グランデのコンサート後、自爆テロ事件が起きました。その後、現場となった場所に追悼に訪れたある女性がこの曲を歌い出し、周囲の人たちを巻き込む大合唱となったそうです。このガーディアンの記事は、その動画も見ることができ、市長のコメントまで載っています。この曲は、先日のNoel Gallagher’s……のコンサートでも演奏され、会場内がやはり大合唱になりました。

https://www.theguardian.com/uk-news/2017/may/25/dont-look-back-in-anger-becomes-symbol-of-manchester-spirit

で、クイーンの話です……。中学後半から高校時代は、イギリスのパンクロック(これこそ、労働者階級の魂の叫び的音楽です)にはまり、大学時代からはレゲエやソウル、OASYSなどブリティッシュ・ロックといろいろ移り変わり、大学を卒業後ですが、現地でライブをみるためにイギリスに1人で何度も行きました。クイーンはもちろん知っていましたが「ヒット曲だすねー」「フレディ、死んじゃったね」くらいの認識でした。小学5年生の息子を連れて「ボヘミアン・ラプソディ」の映画を観に行ったところ、ドはまりしてしまいました。ライブさながらの雰囲気がよかったようです。映画を観おわった後、「あのシーンのあの曲がよかったよねー」と、息子と意見が一致し、「ああ、子育てしてきてよかったな」と心から思いました。今は、気乗りのしない宿題をやるときは、必ずクイーンのCDをかけるようになり、また、息子の小学校では、「自主学習」というテーマ自由の宿題があるのですが、これがでると、クイーンの曲の歌詞をプリントアウトし、わかる単語をピックアップして意味を書いたり、訳を調べたりして提出していました。

悪夢

幼い頃や小学生の頃、怖い夢をよく見たように思う。その内容はよく覚えていないが、次に怖い夢を見た時はほっぺたを抓り、目を覚まそうと思うのだが、夢の中で抓っても一向に目が覚めないで閉口した。

最近も時々怖い夢を見る。それは入学試験が迫っているのに勉強がはかどっていないという夢や、大学の授業の時間なのに遅刻して学生を教室に待たしている夢や、講義の時間がまだたっぷりあるのに講義ノートは白紙で何を話して時間を潰していいのかわからず途方に暮れる夢である。いずれも、夢から覚めホットする。他の人はどんな夢を見ているのだろうか。昔苦労の多かった祖母が、よく夢でうなされ、苦しそうなうめき声をあげていて、よくゆすって起こしたことを思い出した。そのようなことのないことを願う。

ネクタイは時代遅れ?

最近の私は、千葉の自宅の周囲3キロくらいが生活圏で、バスに乗ることはあっても、電車に乗ることもない。一昨日(9月12日)、日本教育社会学会が東京(西巣鴨)の大正大学で開催されるというので、朝の通勤時間に電車に乗った。

学会なのでラフな服装というわけにはいかず、背広にネクタイで行こうと考えたが、あまりの暑さに上着は間際で家に置いて、ワイシャツにネクタイという服装で出かけ、電車に乗った。

途中で車内を見渡しで、びっくりしたのは、ネクタイをしているのは私だけで、乗客の男の全員が私を除き皆ノーネクタイであった。それは、稲毛から乗った総武線快速の乗客だけでなく、東京の地下鉄の車内もそうであった。いつの間に、人々の服装は変わってしまったのか、と驚いた。 学会に行ってみると、私のようにまだネクタイ姿の時代遅れの人(大学教員)もいて、少し安心したが。

千葉と台風

昔小中学生の頃、市川の平屋の古い家に住んでいて、台風が来ると雨戸が壊れたり雨漏りがするというので、親は雨戸に板を打ち付けたり、雨漏り対策に洗面器やバケツを用意したり、停電に備えてローソクを用意したりで大変であった。それでもいろいろ被害があり、台風は恐いという印象がある。近くに川は流れていなかったので水害(床下浸水等)というものはなかったが、溝の水が溢れ長靴でなければ外は歩けないということはよくあった。中学生時、国電の下総中山駅からお茶の水駅に通う総武線の窓から、水浸しになった江戸川区(亀戸近辺)の街並みをよく見た記憶がある。

その後、千葉は台風の被害はほとんどなく、そんなに備えはしなくても大丈夫という気持ちを持っていたと思う。今回の台風では、明け方の四時過ぎに、千葉市に上陸したとのことで、大変な暴風で、屋根が吹き飛んだり、木が折れたり、停電になったり、断水したりした。私の住んでいるところは、停電が30分だけだったので(それも不意を突かれ、慌てたが)、助かったが、ニュースで報じられているように、房総半島の大半は、停電、断水、交通のマヒが続き、困った人が多かった,今も困っている人が多いと思う。

千葉市に住んでいる私のところにもたくさんお見舞いのメールをいただき、恐縮した。30分間の停電以外何の被害もなく、変わらない日常を送っている。千葉県で災害に合われた家や人の一日も早い修復を願う(修復の遅れは、木々の倒れではなく、多くの電柱の倒壊によるという説もあるwww.fujiwarashinya.com/talk/)。今後に備え、懐中電灯、ろうそく、飲み水などの用意はした。皆さんも気をつけて。