2人称小説について

これまで多くの小説を読んできたが、小説の人称に関しては、気にかけてたことがない。しかし、小説には、1人称、2人称、3人称で書かれた3種のあることをはじめて知った。それは、今回の芥川賞の受賞作品の井戸川射子「この世の喜び」に関して、平野啓一郎が二人称で描いているという指摘をしているのを読んでのことである。

藤野可織『爪と目』には、日本語的には理解しがたい次のような文章があるという。すなわち、<はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。>という文章。これは、2人称小説として読めば、理解可能であるという。つまり<(父は、)はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって「きみとは結婚できない」と言った。>という風に。

小説は、通常1人称か3人称で書かれ、2人称で書かれるのは稀であるという。1人称小説は、「私が」「僕が」というように登場人物の目線から語られる物語。3人称小説は 「彼女は」「彼が」というように、客観的視点から語られる物語である。2人称小説には、語り手の「わたし」が「あなた」に話しかけるという体裁の小説と、もう一つは「あなた」が主要な作中人物の一人として動き回り、考え込むものがある。また、2人称小説には私が心の中のもう一人の私に語りかけるものもあり、さらに、読者(翻訳者)が勝手にそのように解釈したり(村上春樹の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳)と、とても複雑のようで、まだ理解できないでいる。そのあたりのことは、下記に詳しい。(中井秀明「二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』」>https://nakaii.hatenablog.com/entry

春の南房総を楽しむ

千葉ではまだ朝晩は寒いが、昼間は暖かい日があり、南房総に、海と花を見に出かけた(2月27日―28日、白浜に1泊)。内房の保田海岸からの富士山がくっきりと綺麗に見えた(8162)。そこから少し内陸に入った「佐久間ダム」では、河津桜(ここでは頼朝桜という名称)が満開であった(下記,8228)。途中菜の花も咲いていた(8264)。千倉のお花畑では、ストックやポピーを摘み、矢車草やキンギョソウの苗を購入した(8300)。千倉の穏やかな広い湾内では若者がサーフィンを楽しんでいた(8306)。今回、南房総の保田、館山、白浜、千倉、鴨川、勝浦、御宿(8318)と車で回ったが、それぞれ海岸の趣が違い、楽しめた。

第40回 学校社会学研究会お知らせ

毎年年1回開催されている「学校社会学研究会」の第40回大会のお知らせが送られてきた。

日時  2023年3月26日(日) WEB開催

研究報告(午前の部)

10:45~12:15

児玉英明(名古屋大学)

「主観・客観、エンパシーの育成を目的とした社会科カリキュラム」

司会者:宮﨑義久(仙台高等専門学校)

研究報告(午後の部)

13:30~15:00

野崎與志子(学習院大学)

「多民族/多文化社会と教育:問題の整理」

司会者:濱嶋幸司(函館大谷短期大学)

15:15~16:45

白石義郎(久留米大学)

「「成熟性」の成長物語:『千と千尋の神隠し』の物語構造分析」

司会者: 谷田川ルミ(芝浦工業大学)

参加希望の方の問い合わせ先は、下記。

世話役 児玉英明 氏 (email  kodama@ilas.nagoya-u.ac.jp

佐藤厚志「荒地の家族」を読む

東日本大震災に関しては、写真やドキュメンタリ―映像や体験者の話によって記録され、人々はそれらに接することにより、その恐ろしさを記憶にとどめることができる。同時にそれは、文学特に小説という形でも残すことは可能であろう。

第168回令和4年下半期の芥川賞を受賞した小説、佐藤厚志「荒地の家族」は、その優れた例である。選者の一人の小川洋子は、「この小説は、東日本大震災を文学として記すためにはどうしたらいいか、1つの道筋を明示している」と称賛している。9人の選者の講評を一部転載しておく(『文藝春秋』2023年3月号からの引用)

「復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く」(平野啓一郎)、「リアリズムの技法を徹底することで成功した」(奥水光)、「震災によって失われた土地や風景、コミュニティの再生に取り組む主人公の苦闘のルポルタージュ」(島田雅彦)、「主人公は造園業を営む。土地を掘り、樹木を切り、苗を植える。常に両足は大地を踏みしめ、そこに埋められた死者たちとつながり合っている」(小川洋子)、「3・11を生き延び人々の人生を重厚且つ誠実に描く。この災厄を『風景』の喪失として、これほどなまなましく物語った小説は過去になかったのではないか」(松浦寿輝)、「震災後の荒涼とした海辺だけでなく、記憶を奪う引き波への抵抗が描かれる」(堀江敏幸)、「正視するとつらいさまざまな事々を、つらさの強調にも安易な解決にも向かわせず,公正に描き切るという、胆力の必要な作業を経た作品」(川上弘美)、「震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。悲痛な日常を書いて、なお小説としておもしろい」(山田詠美)、「読後、胸に熱いものが込み上げてきた」(吉田修一)。

千葉でダイヤモンド富士

今の季節、千葉でダイヤモンド富士が見えるという。今日(2月23日)は富士山の日でもある。検見川浜に日の入りを見に行った。家を車で出たのは16時前で、17時28分の日の入りには早過ぎ、海浜幕張の「コストコ」で買い物をしてからと思ったが、祭日で「コストコ」に入る車が列をなしていて諦め、検見川浜を散歩して時間を潰した(8054)。天気は晴で太陽がまぶしいくらいであったが、富士山の周囲は雲で覆われ、富士山が見ることができるかどうかは危ぶまれた。夕日は富士の頂上ではなく、少し横の斜面に沈み、ダイヤモンド富士は見ることができなかったが(下記)、綺麗な夕日と富士山のシルエットと、穏やかな海を見ることができた(8090)。