「末席を汚す 」の意味

ある冊子を読んでいて、「末席を汚す」という言葉を使って感想を書きたいと思った。その意味が曖昧(他者を非難する言葉なのか、自己卑下の言葉なのか)の為で、生成AIに聞いてみた。以下がその回答

Microsoft Bing― 「末席を汚す」は、「参加させていただく」という謙遜の意味で使われます。 会合に出席したり、仲間に加わったりすることを謙遜していう語 です。「汚す」は「けがす」と読みます

ChatGPT―「末席を汚す」という表現は、日本語の慣用句の一つです。この表現は、そのような人を他者が貶す言葉ではなく、むしろそのようにした(と思った)人が自分を卑下する言葉です。この表現は、主に自己評価が低く、自分の能力や地位に自信を持てない人が、自らの行動や存在に対して否定的な意味を込めて使います。たとえば、会議や集まりなどで自分が参加者の中で地位やスキルが低いと感じた場合、自分の存在が場の中で浮いている、役に立たないと感じることから、「末席を汚す」という表現を使うことがあります。

あまりに素敵な「同窓会」(ウーラント同“窓”会)

私たちは歳を取ってくると昔を懐かしみ、学校や大学の同窓会を開催し恩師も招いた同窓会を開くことをするが、それと違った「同窓会」(ウーラント同”窓”会)のあることをこのブログでも紹介したことがある(https://www.takeuchikiyoshi.com/2022/10/07/)。 

その私のブログに関しては、ウーラント同”窓”会の中村喜一氏が次のように書いている。

<語り継ぎの足跡-2 ―ブログ「武内清(教育社会学)研究室」に、平成24年(2022)10月7日、「同窓会について」と題した記事を掲載し、その後半で「変わった同窓会」として、詩「渡し場」、ウーラント同”窓”会、および『「渡し」にはドラマがあった』などを紹介した。>(https://uhland.anjintei.jp/uh4-551-watasi-katari-takeuchi.html)

その同窓会は、ドイツ語の詩「ルートヴィヒ・ウーラント(1787-1862)作 Auf der Überfahrt(渡し場)」に感銘を受けた人が集まり、その感銘をもとに「同“窓”会」を作り(2006年8月16日発足)、その詩の由来や関連事項を調べ、交流を続ける会である。メンバーのひとり(中村喜一氏)がその記録をホームページに残すと共に、皆で歴史的な考証の本まで出版している(『「渡し」にはドラマがあった』2022年1月14日 刊)。

その同窓会のメンバー6名が、この5月下旬に、ドイツ詩の書かれた現地(ドイツのウーラントゆかりの各所)を訪ね、さらに研究を深めたとのこと。現地でも大変な歓迎を受け、現地のウーラントの専門家とも交流している。その記録と写真が、ホームページに掲載されている(下記参照)。世には、素敵な「同窓会」があるものだと感心した。

<5月下旬に、友を想う詩の古里・誕生の舞台を訪ねるために同好の仲間に誘われて、ドイツ旅行に出かけました。ロシア上空を飛べないので、往路はアラスカ上空経由での約15時間のエコノミー席は、辛かったです。ドイツで、ウーラントゆかり各所を訪ねた記録写真を、Webサイト「按針亭」のサブサイト「友を想う詩!」のうち「詩の舞台」に新たに設けたページ「5. 誕生2百年 ホーフェン訪問」にまとめ、公開しました(https://uhland.anjintei.jp/index.htm 参照)。ホーフェン郷土史家ヴォルフガング・ツヴィンツ氏には、ご一家挙げての歓迎を受けたことは、想定を越えたものでした。老いの身に鞭打って出かけてよかったと思っております。(中村喜一氏からのメールの一部転載、氏の按針亭サイトマップ https://anjintei.jp/sitemap.html

検見川浜の夏

このところの暑さで、近くの海浜を散歩することもしていない。今日(22日)は夕方、思い立って久しぶりに近くの検見川浜に行った(車で13分)。浜辺の近くの道路わきの夾竹桃(キョウチクトウ)の花が満開で綺麗で見とれてしまった(この花に目がいったのははじめてかもしれない)。海は少し風があり、夏の涼しさを感じた。近隣の中学生の描いた海辺の壁画も上手で感心した。水遊びを楽しむ家族も1組いて、水難事故が多く報道されているなかで大丈夫かと心配して少し見守った(中国人家族のようであったが)。夏の解放感を、近くの検見川浜で味わった夕方であった。

雨の功罪

この間、豪雨で河川が氾濫したり土砂崩れがあったりと、日本列島で災害にあったところが多く、それがニュースのトップを占める日が続いた。被災地の1日も早い復興を願う。関東でも北の方は極地的な雨に見舞われたところがあったが、千葉県ではずーと雨が降らず、暑い日が続いた。雨が降らないと、植物にとっては命にかかわる。1日水が切れても、ぐったりとしてしまう花々も多い(その点雑草は、水なしでも元気でたくましい)。昨日(22日)は千葉市の稲毛地区では久しぶりに午後に土砂降りの雨が2時間近くあり、外で遊んでいた子ども(孫)達は帰れなくなったが、草木にとっては恵みの雨となった。うちの庭の草木(花)と雑草も、いつもになく生き生きとしていた。

魅力的な山梨県

同じ関東地方でも県によって雰囲気が大分違う。先日(7月11日)、千葉発で山梨県の観光地を回るバスツアーに参加したが、山梨県は山に囲まれ緑が多く、広大な甲府盆地があり、景色がよく、桃や葡萄の産地でなかなか魅力的な県だと感じた。リフトで登った先の「清里テラス」(https://www.sunmeadows.co.jp/livecamera/)からの眺めは八ヶ岳ブルーが見え、なかなかのものであった。

千葉からの行帰りは首都高で東京のど真ん中をバスが通るので、都心の密集したビル群と車の渋滞を経験し、よくこんな過密の中で人は暮らせるものだと呆れ(私も半世紀そこに通い学び、働いた)、そこを抜け日常の千葉に着きほっとした。千葉県は観光地も美味しものも何もないけれど(ピーナツと海の幸くらい)、それがよさという説もある。