今日の授業―学生の学習定着を目指す

今日(24日)の敬愛大学の1時限の授業は、「こどもと地域の教育論」。受講生約40名。
まず、先週の続きで、地域定住と地域移動のことを話した。先週は「コミュニティー」について話し、自分が生まれ育ったコミュニティー(地域)(敬愛こども学科の学生は千葉県出身者が多い)に将来も住みたいと思うかどうかを聞いたところ、生まれた地域(千葉)に住み続けたいという学生が圧倒的に多かった。そこで、その意味を、対極の事例から考えてもらった。
つまり、見田宗介の有名な論文『まなざしの地獄』(河出書房新社)の冒頭部分(「幻影の都―都市の対他存在、黄金の卵―労働力商品の矛盾」)をコピーして渡し、説明した。1960年代の集団就職の時代、多くの青少年は、地方から都会へ地域移動せざるを得なかったこと、そこには、ピストル連続殺人事件が起こってもおかしくない家庭的・地域的・社会的軋轢が存在していたことを説明した。

今日の授業のテーマは。「学校と地域の連携」。A3のプリント2枚(3ページ)を配り、主にそれを読んでもらい、コメントを求めた。
 このテーマに関して、とてもよく論じられている論文があった。つまり柏木智子「子どもを共に育てる―学校と地域の連携」(『教育社会学への招待』13章、大阪大学出版会2010年収録)の約3分の2と、佐藤晴雄「地域協働型学校」(『最新教育キーワード13版』時事通信社)を配った。
今の学生に「プリントを読みなさい」と言ってもなかなか読んでもらえない。そこで、プリントを読まないと、コメントが書けないような課題を最初に出し、強制的に(いや自主的に)プリントを読ませた。
黒板に書いた課題は、次の3つ
1 学校と地域の連携はなぜ必要か。
2 学校と地域の連携は、歴史的にどのように変遷してきたのか。
3 学校と地域の連携にはどのようなタイプがあるか。また、あなたの通った学校(小中高)は、そのどのタイプだったか。
 学生はプリントをよく読み、書いたコメントは概ね私の期待する内容で、今日のテーマ・内容の学生への定着には成功したと思う。しかし、私の話した時間は短く、話も切れ切れで、講義者としては不満が残った授業であった。学生が学んでくれさえすれば、教員の満足などなどなくてもよしとすべきか?

入学時期の歴史

秋入学が東大が言い出し、少し話題になっているが、「そもそも明治・大正期の50年近い間、日本の大学は秋入学だった」という記事が2012年4月4日の東京新聞に載っている。 東大名誉教授の寺崎昌男先生の「東京大学の歴史」にその記載があるという。確かに漱石の「三四郎」(1908年)でも主人公の大学がはじめるのは9月だ。
一方、高等師範学校が1887年に4月入学に転換している。その理由は、東京の小学校は4月入学、役所の会計年度と合わないなどの理由の他、「1886年に徴兵制期日が9月から4月に変更され、9月入学では新入生の徴兵猶予が受けられず、健康で学力の高い人材を軍に取られてしまう」という理由からだという。そして東大も1921年(大正10年)から4月入学に移行したという。

このような、入学時期の変遷の歴史を知ると、「昔に戻せ」というよりは、優秀な人材を教育界が確保した「4月入学への転換」は評価されるべき歴史のような気がする。

大学教授の定年後の過ごし方

4月16日のブログで、定年の過ごし方を紹介させていただいた松井さん(宮野木卓球愛好会のメンバー)より、英米の大学教授の過ごしたかに関する興味深い本(英文)の内容の紹介をいただいた。そのまま本人の許可を得て掲載させていただく。日本の大学教員の過ごし方への研究へも貴重な示唆になると思う。

「米(英)国大学教授の定年後」を読む              松井昭男
(原文Lorraine T.Dorfman著The Sun Still Shone-Professors Talk about Retirement,p.203) (1997年IOWA大学出版)

定年後の過ごし方については米国並びに日本でも多くの出版物がある。しかし大学教授の定年後について書いた書物としてはこれが始めてであろう。これは米国中西部にある州立研究大学、総合大学、人文系カレッジ並びに英国の伝統ある市立大学3校の定年を迎えた400人以上の人から聴取して纏めたものである。以下に簡単にその内容を紹介する。

1. 準備期間
精神的打撃を受けないよう早くから心的準備をする必要がある。
或る賢人が言うには明日への最も良い準備は今日を上手に生きることだという。定年を迎えた80%の人は定年後も専門職に付きたいと考えている。事実英国の或る化学者は84歳まで教えていたし、音楽専攻の老婦人は86歳まで音楽レッスンを又96歳の元文学部教授は看護病棟のべットの中でチョーサーやシェークスピヤを読んでいた。このように定年後も自分の専門の延長の仕事に付くことを望んでいる。
2. 何処に住むべきか
出来るなら住みなれた同じ街に住みたいと考えている。
3. 定年を迎える
一般に定年を迎えて最も良いことは自由な時間を持てることであるし
最も悪いことは最早教えることが出来なくなることである。心するべきことは何もしないでいることが最もいけなく忙しく何かをしているべきである。仕事を続ける場合、現役時の専門を生かして教育を続ける、研究を続ける、若しくはコンサルタント業をする等がある。
4. 仕事から完全に離れた場合
ボランティア活動の他余暇の過ごし方としては以下に示す。
オペラ鑑賞、楽器演奏、小説読書、料理、サイクリング、旅行、山登り、ヨット、ゴルフ、バードウォチング、ヨガ、ガードニング、専門外の勉強等
その他、著者はIOWA大学の社会科の教授で大学の加齢研究グループ長として永年活動している人である。
備考:インタビューした人の年収入についての記述があったので参考のために示すがなんか信じられないような数字である。勿論ばらつきがあり$1,000~$100,000の範囲であるが米国研究大学の平均$19,500、総合大学$17,000、英国の大学の場合、この数字の70%とのこと。

歴史の語り

歴史には疎い私であるが、歴史を知ることはこれからの未来を考える上でも重要なことは認識している。
歴史的事実を、今生きている人が語り、それを記録に残すことも重要であろう。

ここに、戦時中の生徒の勤労奉仕や勤労動員 について、当事者が語りそれが草稿になったものがある。(公益財団法人中央教育研究所【中研ニュース】24年4月19日発行)  近〃、印刷物でも出るものと思われるが、その一部(最初と最後)を紹介させていただく。語っているのは、東大名誉教授の水野丈夫先生

 戦時体制下における横浜二中   水野丈夫 

 翠嵐100年の歴史を顧みるとき、二中の占める時代は33年間であって、ちょうどその三分の一に相当する。そしてその後半にはとりわけ悲惨な戦争があり、国家による総力戦体制の中に「中等教育」も巻き込まれていく。本稿では、そのプロセスに注目しつつ、二中生がおかれた状況を記録する。 

(中略)

 以上、本稿は、戦争の不条理と、若者の自由といのちを踏みにじった国家権力の愚かさと恐ろしさを記述するとともに、戦時体制下における二中生の健闘ぶりを概観した。本稿に記載しなかった勤労奉仕や勤労動員がこのほかにもまだ多数ある。飢えた、暗い時代で、空襲があって、“いのち”と向き合う日々が続いた。家や家族を失った生徒も多い。子どもや夫や父親を失った家族の悲しみは永遠に消えることがない。そして、海に沈み、大空に散った先輩がたの遺骨は永遠に戻ってはこない。私たち一人ひとりの目を見据えて情熱的に英語を教えられた宗 盛治先生も出征され、戦死された。生きた生身の人間の思いが無視された時代であった。悲惨と苦難の連続ではあったが、二中生たちは多感な青春を生き、よくこれに耐えた。この困難な時代に、生徒たちをあたたかく見守り、ともに行動された先生がたの苦悩は大きかったと思う。 
 稿を終えるにあたり、世紀を超えていまも浮かび上がるのは、あの時代に生きた人間の志の残照である。戦争を体験したすべての二中関係者の魂が、母校に集合して二中時代を語り合い、同窓会である「翠嵐会」の暖かなふところの中で安らかに憩ってくださるよう念じている。  

震災復興支援・音楽CDの紹介

このような試みは、いくつもあると思うが、音楽のCDの売り上げの一部を、震災復興支援に寄付するというものがある。
これは、神戸の震災で被災したことのある若いプロデューサーがそのレーベルから出したCDで、これまでの売り上げの50 %(20,1000円)を寄付したという報告を読んだ。さらに支援を求めているようなので、紹介させていただく。

BIGMADE MUSIC所属アーティストによる初のオムニバス作品が誕生!CDの売上の一部(本体価格の約50%)は、東日本大震災の復興支援義援金として、特定非営利活動法人「日本雲南聯誼協会」を通じて被災地へ寄付されます。
CD「Next Frontier」(品番:TXTR0012)、 CD売上金の一部からの寄付金額  期間 「Next Frontier」発売以降~2012年3月29日売上分 金額 201,000円)

http://bigmade.shop-pro.jp/?pid=34531644