ツツジとサツキの季節

これからツツジとサツキの季節。相変わらず、ツツジとサツキの区別はよくわからない。生成AIに「ツツジとサツキの違いは何ですか。見分け方を教えて下さい」と聞くと、いろいろ答えてくれる。「葉の特徴:ツツジの葉は、裏側にうぶ毛があり、フサフサして柔らかい感触です。また、葉は大きいです。サツキの葉は、テカテカして光沢があり、硬い感触です。葉は小さいです。開花時期:ツツジは4月下旬から5月上旬に開花します。サツキは5月下旬から6月に開花します。その他の違い:ツツジは大きめで、葉っぱにうぶ毛があります。サツキは小ぶりで、葉っぱが光沢を持っています」(Bing Chat)。これを読んでも、開花時期(ツツジが早い)以外よくわからない。またウィキペディアには、「サツキはほかのツツジ類と比べて花形や樹形についてはほとんど相違がないが、開花期が異なるために園芸的に区別されている」と書かれていて、結局、見た目ではわからないのかもしれない。

近所でもうちの庭でもツツジらは少し咲いている。うちのものはヤマツツジあることは確かだが(下記写真)、近所のものは、相変わらずそれがツツジなのかサツキなのかわからない(下記添付写真)。昨年確か検見川浜の側道の土手のツツジ(かサツキ)が綺麗だったので、昨日(21日)午後3時過ぎに思い立ち、もう開花の時期かと思い、(カモメの餌をやりも兼ねて)行ってみたが、まだ葉ばかりで花は咲いていなかった。行った時間が遅くてカモメも一匹もいなかった(海岸にいた鳩たちが餌のパンくずを代わりに食べてくれたが)。海は海風が心地よく、ウインドサーフィンとヨットがたくさん出ていた(最下段の添付写真)。

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佐倉のチューリップを見に行く

春を感じるのは、やはりチューリップということで、いつもこの時期に行く「佐倉ふるさと広場」にチューリップを見に行った。ついでにチューリップ堀りも。http://xn--https-f83dze7d4i//www.sakurashi-kankou.or.jp/event/%E4%BD%90%E5%80%89%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF2024/

家から車で、高速道路(千葉北―四街道、350円)も少し使い30分ほど。今年の「チューリップフェスタ」は3月27日~4月21日(日)までということで、旬な時期に間に合った。100種類以上のチューリップが広い畑にたくさん咲いている。好きなチューリップを球根から掘り起して持って帰ることができる(13本600円)。長靴もバケツも用意して出かけたのでチュ-リップ掘りを楽しみ(26本)、家の庭に植えた。家の庭も春爛漫(山ツツジも咲きはじめた)。

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桜の開花(その6)

昔、12月のはじめにいつも京都で日本子ども社会学会の理事会があり、日帰りで千葉―京都間を往復したが、お昼からの理事会が始まる前に、京都の紅葉を見たいと、清水寺や南禅寺、哲学の道などを駆け足で廻った。ただ12月のはじめは京都でも紅葉の時期はほぼ終わっていて、わずかな残った紅葉と萎れた葉を見ることが多かった。花も紅葉と同様、旬な時に見てこそ、そのよさがわかる。

桜の場合も旬な時が綺麗だが、花弁が落ち始め、花吹雪のような光景もなかなか風情がある。遠くまでそれをわざわざ見に行くことまではしないが、近くの公園や小学校の桜は花が散り始めて、そのなりに楽しむことができる。

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「リトルロック高校事件」ついての論稿への礼状

Wさんへ。いつもN高等学校中学校の年報を送っていただき、ありがとうございます。最初にWさんの書かれた論稿「子ども向けに書かれた英語の本ー3}を、興味深く読ませていただきました。「リトルロック高校事件」扱った内容ですが、生徒たちに一般的に説明するのではなく、彼ら(彼女ら)が具体的にイメージして感じられるような,具体的事例を詳細に語ることや、読ませることの重要性が、論稿からよく理解できました。その授業の為に、Wさんがこの事件に関する英語の資料を詳細に調べた経緯が論稿に書かれていて、歴史小説を読むような感じで、興味深く一気に読ませていただきました。「抽象的な一言で纏められたものの背後にある小さな具体的な出来事」「個別具体的な出来事が作り出す変化」(生徒への影響)という指摘が納得できます。私は「リトルロック高校事件」について無知でしたので、ウキペディアや生成AIにも聞いて、概要を確認しました(下記に一部転載)。Wさんが独自に調べた詳細なエピソードを読んだ後だからこそ、一般的な概略が、実感として理解できたのだと思います。

Q. What happened at Little Rock High School in 1957?

A. ChatGPT

In 1957, a significant event known as the Little Rock Crisis took place at Little Rock Central High School in Arkansas, USA. This event was a pivotal moment in the Civil Rights Movement. Here’s an overview: / Background: In 1954, the Supreme Court of the United States ruled in Brown v. Board of Education that racial segregation in public schools was unconstitutional. This decision was a major victory for the Civil Rights Movement./Integration of Little Rock Central High School: Despite the Brown v. Board of Education ruling, many schools in the Southern United States resisted desegregation. Little Rock Central High School was one such school. In 1957, the school was ordered by the federal court to integrate and admit African American students./ The Little Rock Nine: Nine African American students were selected to integrate Little Rock Central High School. They became known as the “Little Rock Nine.” On September 4, 1957, these students attempted to attend classes at the school, but they were blocked by the Arkansas National Guard under orders from Governor Orval Faubus, who opposed desegregation./Federal Intervention: The situation gained national attention, and President Dwight D. Eisenhower intervened. He federalized the Arkansas National Guard and ordered them to support the integration process, ensuring the Little Rock Nine could attend classes./Challenges and Struggles: The Little Rock Nine faced immense challenges, including harassment, intimidation, and violence. Despite these difficulties, they persevered and attended classes, marking an important step forward in the fight against racial segregation in education./The events at Little Rock Central High School highlighted the ongoing struggle for civil rights in the United States and the resistance faced by those advocating for equality and integration.

アメリカの学校や大学の人種差別事件に関しては、30年ほど前、アメリカのUW(ウシコンシン大学)で、1つの授業を聞いた時、担当の若い先生が、人種差別の映像を学生に見せていたことを思い出しました。20名ほどのゼミのようなクラスには、黒人の女子学生が一人いたのですが、人種差別と教育のようなテーマも扱ったその授業で、その黒人学生に話しかける白人学生が一人もいなかったことが、印象に残っています。そのことに関して、上智の教育学科の紀要の30集(1996年)に昔少し書いたことがあります。御礼まで。