半年に1度の卓球

このところ、半年に1回くらいの割合で参加する会がある。M卓球愛好会の会合(練習)である。
今日(5日)、たまたま時間ができたので、半年ぶりに参加した。場所は、小学校の体育館で、いつも日曜日の10時30分から2時間。
皆で、倉庫から卓球台を出し、準備体操の後、卓球練習と練習試合をする。私は10年以上前から参加し、一時は毎週参加していたが、このところ半年に1度とご無沙汰。
メンバーには、学生時代から卓球が好きで、何十年もやり続けてきたという人が多い。私のように、体を動かせれば何でもいいという「不謹慎」な人はいない。平均年齢は男性の場合60歳を優に超えている。老人クラブのような感じがしないでもない(失礼!)。
ところが、今日半年ぶりに参加したら、私を除く参加者12名のうち、私の知っている顔は6名しかいなくて、6名は新しいメンバーであった。しかも、女子中高生の姉妹が参加していて、若い人の参加で活気づいていた。孫の参加で、祖父母が舞い上がってという感じであった(若い人に感謝)。
メンバーが永く固定していて平均年齢の上昇していた卓球愛好会になぜ新しい人が入ってきたのかが不思議だったが、新しく参加した人に聞いたら、最近アップされたネットで会員募集のチラシを見て参加したのだという。ネットの効果は大きい。
https://sites.google.com/site/gongyemuzhuoqiu/
 次の半年後の参加の時には、メンバーがどのようになっているのか、楽しみだ。

個人への関心、他者(集団)への関心

 学校の道徳教育の教える内容に4領域(自分、他者、自然、社会)がある。
放送大学の院生のKさんの研究で、「道徳教育で子どもに教えるのにどの領域が重要か?」と尋ねる質問を、教師と親(保護者)にしたところ、親(保護者)は「(子どもの)自分自身に関わること」を一番に挙げ、教師は「他者とのかかわりに関すること」を一番に挙げるという興味深い差が得られたという。
 このように、親と教師では、子どもに対する思いや対処の方法に違いがある。親はわが子のことばかり考え、自分の子どもがどう成長していくかにもっぱらの関心があり、親は教師がわが子にどのようにかかわってくれるのかに注目するのに対して、教師は一人ひとりの子どもの成長や教育に注目するにしろ、学級全体の雰囲気やクラスの人間関係のことが気になり、子ども達がクラスメイトと仲よくして、学級全体で成長していってほしいと願う。
 親はわが子(個人)を見ていて、教師はぅラス(集団)を見ている。子どもの立場も親と同じで、自分(個人)を見ていて、クラス(集団)は目的というよりは手段であろう。

 大学における教員と学生の意識の違いも同様にあるように思われる。教師は自分の授業やゼミの雰囲気の人間関係を見ていて、学生は自分のことを中心に考え、それに大学の授業やゼミ、また教師がどうかかわるかに関心がある。
 したがって、学生にとって、自分の名前も憶えない大学教師というものは、「許せない」と思うのは当然で、それに大学教師は気が付いていない(自分も含め)。

ピクニック

昨日(2日)は、娘がお弁当を作り、家族でピクニックに行った。車で東京ドイツ村に行った。東京ドイツ村は、東京と名前がついているが、房総半島のほぼ中央部にあり、車で高速道路を使い、家から40分ほどである。今は、中途半端な季節で、春の芝桜も終わり、冬のイルミネーションの準備中で、ただ、広い芝生の丘陵地があるだけだった。
それでも、ピクニック気分を味わうことができた。日頃、家族で外で外食したりすることはあっても、家でお弁当やサンドイッチを作り、広い自然の中で食べるというこは、今はほとんどしていない。
それが今回、20年ほど前、家族でアメリカのMADISON(WISCONSIN州の州都)に1年間滞在していた時に、よく行ったピクニックの気分を味わうことができた。

Shinya talk

藤原新也のcatwalkは、会員制のサイトで外には開かれていないが、時々、公開のshinya
talk にそれが公開される。それは、藤原新也が世の動向に、よほど腹を据えかねてのことが多い。
昨日のshinya talk も、公開され、それが感じられる。
  http://www.fujiwarashinya.com/talk/

9月末の御宿海岸

9月最後の日曜日(28日)、千葉外房の御宿海岸は、台風の余波で、波が高く、怖いほどであった。
それでも、ライフセービングの大会が開かれていて、20近くの大学のテントが並び、競技が行われていた。

伊勢えびも、生きたままのものが販売されたいた。あまりの大きさ・立派さに、伊勢えびを水槽で飼うことができたら、どんなに素敵だろうかと思った。そんな贅沢をできる人はいないのであろう。
海岸には、ウミガメの巣もあり、それが孵る時が見られたら、感動ものであろう。
海や砂浜は犬(ソフイー)ならずとも、楽しいことが多い。