教育社会学について

  教育について考える時、幅広くものごとを考えてほしいと学生に言っている一見教育とは関係ないようなことの中にも、教育的なことが含まれていると。
 非常勤先の神田外語大学で「教育社会学」の授業を担当していて、最初に「教育社会学とは」ということを話す前に、英米語学専攻の学生が多かったので、ディズニーランドの思想について尋ねてみた。「なぜ、アメリカ人のディズニーは、ドブネズミというペストを流行らせ、ヨーロッパで一番嫌われている動物を、ヒーロにしたのか」と。
 語学系の学生は、その国の文化や思想にあまり興味を持たないのか、最初はキョトンとしていた。そこで、藤原新也の「アメリカ」の中の「ミッキーマウス」についての文章を読読んで、考えてもらった。
 学生のリアクション(コメント)を読むと、多くの学生がこんな見方があるのかと納得してくれたことがわかる。
『「そうゆうことだったのか」というふに落ちる快感』を竹内洋は教育社会学の魅力の1つにあげている(AERA Mork13「.教育学がわかる)1996年」)ので、これはなかなかいい題材(藤原新也の考察が冴えている)だったことがわかる。
 しかし、中には、「それは深読み過ぎ、子どもはストリーが面白かたったり、かわいかったりすれば好きになる。それだけのこと」というコメントも2〜3あった。この学生の意見をどう考えればいいのか。
 教育社会学的なことを一生懸命話しても、「それは考え過ぎ、そんな穿っ見方をしないで、単純に考えたい」と言われそう。やはり、教育社会学に向いている人とそうでない人がいるのであろうか。
 教育学はひたすら理念や理想を語り、教育社会学は現実の利害や裏の意図を探ろうとする。後者は、今の学生にピンとくるのであろうか。

 教育社会学は、教育という現象を社会学という方法(見方)で研究する分野として、社会学の見方に関しては、私なりに、簡単に次の3つを説明した。
 一つは、行為の3類型(目的合理的、価値合理的、感情的行為)
二つ目は、相互作用の互酬生(報酬/努力の均衡、恋愛関係の例で)
三つ目は、AGIL理論 (集団存続の機能要件、テニスサークルの例で)
これは、一応、社会学についてはじめて聞く学生も納得してくれるものが多かった。

本格的な後期の授業は、これから始まる。
micky

庭の花

時々庭にある植木鉢に花を植えるのだが、忙しいと何もせず、庭には何も花がなく殺風景だったり、雑草が伸び放題だったりする。それでも、前からある草木が花を咲かせたり、少数ながらけなげに咲いたりしてくれる。

DSC_0241

DSC_0243

DSC_0245

外房-御宿秋祭り

伊豆や湘南の海に比べ、千葉の海は景観も単純でおしゃれな店もなく、人も少ない。それでも、最近テレビでも千葉の海が紹介されることがあり、千葉に住む人間にとってうれしい(昨日もテレビ朝日で、外房御宿の伊勢えび祭りの様子が放映されていた)

あいにくの天気であるが、今日から御宿では、秋のお祭りがあるようである。いつも見ている御宿の不動産屋のブログ(http://www.himawari.com/blog/blog/13)に下記のようか書き込みがあった。(私は授業の準備や原稿のことでいけなく、残念だが。)

<さて房総では大原のはだか祭り、勝浦の大漁祭りが終わりを告げましたが、御宿町では明日から御宿秋祭りが行われます!秋まつりは豊作と豊漁を祝い、春日神社の境内から神輿が出発することから始まります!大神輿2基と小神輿11基、山車10基が岩和田、須賀、新町、浜の各地区を練り歩き春日神社へ帰ってくる勇壮なおまつりなのです♪ 御宿町の観光協会のホームページに、去年の祭りの動画があるので是非観てみてください!! 迫力ありますよ!!>

教育と社会化は違う&実証性

デジタル教科書の導入について考える時、次の2つ点を考えてほしいと思う。(結論的には保守的になってしまうかもしれないが)

① 教育は、社会に適応していかなければいけないが、社会の論理と教育の論理は違う面がある。何でも、社会に適応(後追い、迎合)すればいいわけではない。教育と社会化は同じではない。
文化的遅滞というものがあり、教育のシステムや意識はいつも社会のシステムや意識に後れをとるという側面もあるが、教育は、社会の動きとは違った動きをすることにより、成長過程にある子どもの教育に資する場合もある(学校の週5日制度の実施は、社会に学校が合わせるという論理で行われたが、その弊害が言われ、今見直しが行われている。)。したがって、子どもの成長のしくみ、学習のしくみから、どのような方法がいいかも、これまでの学問の積み重ねから考える必要がある。
社会がほとんどデジタル化しているからこそ、学校はそれとは別の方法(紙の教科書)で教育する方がいいという考えもできる。(実際は、電子ブックや電子新聞が出ても、紙媒体はなくなっていないのが実態である。多くの社会の会議は紙媒体で行われている)

② 普通、医学の世界で新薬や機器を導入する時は、既存の薬や機器との効用の比較の実験を繰り返し行い、はっきりと新しいものの効用が高く、副作用がないとデータで確認された段階で、導入が決まる。
誰も反対できない殺し文句(「アクティブ・ラーニング」と「障害者への効用」)で、導入を決めるのではなく、はっきりした実証的データ(エビデンス)を得て、政策を決めてほしいものである。

教育政策の決定過程

教育政策はどのような過程を経て、決まるのであろうか。
教育に関する政策は、それが影響を受ける人が多い(日本の全児童・生徒)ので、しっかり見守る必要がある。時に、その決定過程に意見を言う必要もあるだろう。
たとえば、これまでのことで言えば、「学校週5日制」や「総合的学習の時間」の導入「小学校への英語教育」の導入、「道徳教育の教科化」など、どのような決定過程を経ているのであろうか。

今あまり知られていないかもしれないが、学校の教科書(学習者用)をデジタル化して、紙媒体を全廃しようとする文部科学省の動きがある。それに関する有識者会議というものもあり、もうすぐ答申を出すようだ。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/110/index.htm

この答申に基づき、子どもの使う教科書が全部デジタル化され、紙の教科書がなくなれば、その影響は、歴史の教科書に戦争中の「侵略」をどう記述するのか〔しないのか〕ということなど比べものにならないほど、大きな影響を子ども達に及ぼす。
有識者会議のメンバーがどのような人で、文部科学省は、どのような理由でこのようなことをしようとしているのか、この政策によって、誰が得をするのか、本当に未来の子ども達の為になるのかということを、研究者も教師も親も考える必要があるだろう。

上記に関して、いろいろご意見をいただいている。
「児童生徒数は約1千万人、タブレット1台が2万円として、いくらの金額になるのでしょうか? 原発同様、利権絡みでかなりの金が流れています。」(M)
「文科省の意向については、私たちからどうこういうことはできないと思います。調査をして、数値を報告することに徹したいと思います。さまざまなデータを提供し、最終的に政策立案者がお考えになればと思います。ただ、その気運でない時にあれこれすると現場に混乱を及ぼすことは確かでしょう。」(H)
「私は、ディジタル教科書の導入によって、今までにない学習の質が達成できるのではないか、と思っているところがあります。新しい「アクティブ・ラーニング」に役立つものになるかな、というものです。ただ、デジタル教科書はあくまで学ぶための手段で、それが目的化してはいけません」(K)