教育と社会化は違う&実証性

デジタル教科書の導入について考える時、次の2つ点を考えてほしいと思う。(結論的には保守的になってしまうかもしれないが)

① 教育は、社会に適応していかなければいけないが、社会の論理と教育の論理は違う面がある。何でも、社会に適応(後追い、迎合)すればいいわけではない。教育と社会化は同じではない。
文化的遅滞というものがあり、教育のシステムや意識はいつも社会のシステムや意識に後れをとるという側面もあるが、教育は、社会の動きとは違った動きをすることにより、成長過程にある子どもの教育に資する場合もある(学校の週5日制度の実施は、社会に学校が合わせるという論理で行われたが、その弊害が言われ、今見直しが行われている。)。したがって、子どもの成長のしくみ、学習のしくみから、どのような方法がいいかも、これまでの学問の積み重ねから考える必要がある。
社会がほとんどデジタル化しているからこそ、学校はそれとは別の方法(紙の教科書)で教育する方がいいという考えもできる。(実際は、電子ブックや電子新聞が出ても、紙媒体はなくなっていないのが実態である。多くの社会の会議は紙媒体で行われている)

② 普通、医学の世界で新薬や機器を導入する時は、既存の薬や機器との効用の比較の実験を繰り返し行い、はっきりと新しいものの効用が高く、副作用がないとデータで確認された段階で、導入が決まる。
誰も反対できない殺し文句(「アクティブ・ラーニング」と「障害者への効用」)で、導入を決めるのではなく、はっきりした実証的データ(エビデンス)を得て、政策を決めてほしいものである。