住むところ

 都内の河縁の高層マンションが立ち並ぶ一角の部屋を訪ねる機会があり、出入り口で待っている間、そこのマンションに出入りする車や人を少し観察させてもらった。
 車はベンツやBMWなど外車が多く、日本車も高級車のレクサスがほとんど。住んでいる人は皆セレブに見えた。
 部屋の分譲価格はいくらかわからないが、ここは都心(中央区)で、借りると2DKで20万円以上するという。夜は部屋からは隅田川や遠くに東京のマンション群の明かりが見え、なかなかの眺めである(下記写真1)。

 本日(4日)、自転車で通りかかった千葉(検見川浜)の団地は5階建でエレベーターもなくもう築40年以上立っているので、その価格は、上記の東京のマンションの5分の1以下であろう(10分の1かもしれない)。それでも海や稲毛海浜公園に近く、団地内は紅葉もきれいで住みやすそう(下記写真2~3)。

 東京も千葉もそれほど離れているわけではない(50kmくらい)のに、この違いは何だろう。
 人は、どちらが住みやすいと感じるのであろうか。子どもを育てるのはどちらが適しているのであろうか。(自分が選択するわけではないが)いろいろ考えさせられた(もっとも私などは、収入によって選択の余地はないのだが)

追記、Mさんより、下記のコメントをいただいた。
<私の友人は都心の会社に勤めていましたが、住まいは電車で1時間半かかる埼玉の郡部でした。彼が述懐するには、何十年もの間、通勤時間を読書の時間に充て人生をより豊かなものにしてくれた、また子ども達も田園風景の中でのびのびと育ってくれた、田舎に住んだ本当に良かった、と言っています。>

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菊の季節

秋になると、やはり菊の花を見たくなる。
稲毛海浜公園で菊展をやっていたの見に行く。
家から(電動アシスト)自転車のペタルをこぎ、30分かけて海浜公園にたどり着いた。
公園では凧が上がり、海にはヨット、そして菊の花展。植木鉢に植えられた菊も買い、ちょっぴり秋を楽しんだ。

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私的なことに人に集まってもらうことについて

結婚式や退職の会など、個人的なことに、(忙しい)多くの人に集まってもらう必要があるのだろうか。自分でそのようなことをやりながら、疑問に思うことがある。
現代は親類縁者が集まるのは葬式や法事を除けば結婚式だけということもあり、結婚式は親類そして新しい親類との交流の場になり意味はあるともいえる。
「この自分の(結婚披露宴や退職の)会にいろいろな人が集まり親睦を深めていただければありがたい」ということを会の主役が挨拶することもあり、それは確かで、社会的な絆を深める役割を結婚式や退職の会が果たしているともいえる。
 人々や社会の絆が、このような会によってやっと築けているというのが現代なのかもしれない。

 最近の結婚披露宴は、昔よりスピーチが少なく、いろいろ楽しませる仕掛けが工夫されているものだと、久しぶりに甥の結婚式に出て感じた。

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同世代

私の同世代の教育社会学の研究者にはすぐれた人が何人かいるが、その一人は、竹内洋氏(京都大学名誉教授・関西大学東京センター長)であろう。
同姓(漢字は違う)、生まれが同じ(佐渡)*ということで、若い頃から近さを感じていたが、その優秀さ、業績の多さに近寄りがたさを感じていた(今もそれは変わらない)。私が上智大学に勤務していた時、教育社会学会の大会を引き受けたのも、竹内洋氏が会長でその依頼を引き受けた為である。
昔、全国大学生協のシンポジウムで、ご一緒した時、竹内洋氏が話した後、私が話すと順で、会場を沸かせる卓越した話し手の竹内氏の後で、青ざめたことがある。
ただとても気さくな方で、昨年の学会の後の2次会では一緒に飲み、いろいろな話ができた。氏はもう大学の授業は断っているけれど、原稿はよく頼まれ書いているとのこと。現役退職後の研究者の理想的な生活のように思えた。
 昨日(31日)の朝日新聞でも、リベラルに関する優れた洞察を述べていた。(朝日新聞、10月30日、朝刊より転載)

<自民に対抗、新しい言葉で 竹内洋さん(関西大学東京センター長)
 立憲民主党の枝野幸男さんは、結党直後から「自分は保守リベラル」「保守とリベラルは対立しない」などと発言していました。選挙後にはテレビで、自分を「30年前なら自民党宏池会です」とも言っていました。「リベラル派」の印象を薄めたいかのような発言に聞こえました。
 リベラルという概念は、複雑な要素はありますが、55年体制の「右・左」「保守・革新」という2大軸の延長線上にあると思っています。「保守・革新」で色分けされた戦後政治の記憶がある人たちなら、現在の「リベラル」が何を指すのか、何となくはわかります。冷戦崩壊を経て、今は保守と対抗する概念に「革新」ではなく「リベラル」が使われていますから。
 ただ、左右の対抗軸は今や実線ではなく、見える人にだけ見える点線のような分岐線にすぎません。若い世代には、その点線さえも蒸発していて見えません。そもそも「自民」の英訳は「リベラル・デモクラティック」であるし、長年、一貫した主張を続けているように見える共産党や社民党がなぜリベラル勢力なのかもわかりません。
 私が「革新幻想の戦後史」という連載を約10年前に始めたとき、「革新」の文字だけでは、それが社会、共産党などを指すことがわからなかった大学院生がいました。戦後の「保革」の対立図式は若い世代にはもう縁遠いのです。
 一方で、右派であるはずの安倍政権は同一労働同一賃金や教育無償化といった、ある意味、革新的な勢力が長く主張してきたような政策を取り込み始めています。
 そんな現在、マスコミが好んで使う「保守」「リベラル」という図式は、実は選択の軸たり得ないような気がします。枝野さんはそれを察知しているから、自分たちの政治姿勢を「リベラル」という言葉では表現できず、「まっとうな政治」「下からの草の根民主主義」といった政治スタイルへの言及が多くなったのかもしれません。もとより立憲民主党は希望の党に向けて一瞬吹いた風が、袋小路で行き場を失って流れてきたという恩恵を受けたのですから、この機に、自民党と対抗できる社会像を新しい言葉で提示してほしいと思います。
 現在の安倍政権に非寛容や独善、おごりがあるなら、それは一強で「外部」がないからです。かつて自民党政権には、党内に権力を狙う違う派閥が控え、国会には一定数の無視できない野党がいました。「外部」との緊張関係にさらされていたのです。
 立憲民主党も、反対だけの党になったり、数合わせに走ったりせず、自民党に柔軟な態度で臨み、だからこそ自民党が無視はできないような、存在感のある「外部」になってほしいと思います。 (聞き手・中島鉄郎)>

* 正確には少し違うかもしれない。竹内氏は東京生まれで佐渡育ちかもしれない。私は佐渡で生まれで千葉育ちである。(これは個人的で些細なことだが)

授業の記録ー「教育課程論」

敬愛大学での後期の私の授業の記録を少し残しておきたい。
科目名は「教育課程論」、対象は教育こども学科の1年生、受講生は37名である。

第1回(9月29日)教育課程とは何か(定義)を説明した。
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第2回(10月6日)学習指導要領の歴史的変遷の説明をする。学習指導要領は10年ごとに改訂され、「注入」(学力重視)と「引き出す」(個性重視)が、振り子のように行き来する。
戦後の教育状況と学習指導要領の変遷に関して、的確な二つの論稿、つまり新田司「教育課程・カリキュラム 教育内容」(『教育の基礎と展開』学文社、2016年)と岩田弘三「学習指導要領の変遷と子ども」(『子どもと学校』学文社、2010年)を読んでもらい、そのポイントを説明し、その要点をリアクションに書きとってもらった。
そのリアクションを読むと、学生たちは戦後の教育の内容の変遷の要点を理解してくれたことがわかる。
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第3回(10月20日)最近の学習指導要領の「生きる力」やこれからの「キー・コンピテンー」「21世紀型能力」について、説明した。使った資料は文部科学省のHPや、松尾知明氏の著作(『教育課程論・方法論』学文社、『21世紀型スキルとは何かーコンピテンシーに基づく教育改革の国際比較』明石書店、2017)。

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第4回(10月27日)
 教育課程論 第4回(10月27日)リアクション  教育の社会学的見方について 
1  前回のリアクションを読んでの感想
2  学校には、どのような行事があるか。学校の行事や年中行事には、どのような意味や機能があるか。
3  「社会関係資本」の獲得には、「同類的関係」の他に何が必要か(「教育社会学会参加記(その2)参照」
4  戦後の社会や教育環境の変容と教育(社会学)の研究のテーマとの関係をプリント(藤田英典「教育社会学のパラダイム展開と今後の課題」『改訂版・教育社会学』放送大学)とビデオから読み取りなさい。(教育環境の特質―研究方法、内容)
 ~1950年代、 1960年代、1970年代、1980年代、1990年代~
5  パラダイム(paradigm)とは何か。教育言説とは何か。

最初にハロウイーンに関連して、年中行事や学校行事の話をし、その意義を学習指導要領のなかの記述も読みながら、考えてもらった。   
以前に、教育課程は広義には児童・生徒が学校で学ぶすべてのこと、という説明もしているので、教育の社会的側面に焦点を当てている教育社会学についての話しをした。
教育社会学に関しては、まず私の「教育社会学会参加記」の最近のブログの記事を学生に配り、教育社会学会の話をし、特に参加記「その2」の「社会関係資本」のところを、大学の友人関係のことと絡めて説明した。その要点を読み取りリアクションに書いてもらった。
学生にプリントを配るだけでは、学生は面倒くさがって読んでくれない。そうかといってそれを読みあがると時間がかかる。そこでポイントだけ話し、詳細は各自読んで要点を読み取ってリアクションに書いてもらうことをしている。
次に、これまでの教育社会学研究の流れを知ってもらうために、藤田英典氏が、放送大学テレビ番組「教育社会学」(第2回)で、戦後の教育環境の変化とそれに対応した教育社会学研究の変遷の講義をしているビデオを見てもらった。(40分と短いものだが、密度の濃い的確な内容で、これは歴史に残る名講義であろう)。該当の箇所のテキストもコピーして読んでもらった

学生達には以前に、戦後の社会の変化と学習指導要領の変遷の関連を学んでもらっているので、戦後の教育環境の変化と教育社会学の研究の内容や方法の変遷との関係に関して、すんなりと理解できると思った。。学生の書いたリアクションをみると(下記参照)、学生たちは皆その講義の難しさもものとせず、その内容を聞きとってくれたことがわかる。
リアクションの例
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