教員志望の減少について

現在教員志望の学生が減り、教員採用試験の倍率も下がり、教員の質の低下が懸念されているという。朝日新聞10月7日の朝刊に編集委員の氏岡真弓氏が詳細な記事を書いている。(https://digital.asahi.com/articles/DA3S14207818.html?iref=pc_ss_date) この記事の内容に納得しつつ、別の側面も考える。

教員の労働環境が劣悪で、給与月額の4%上乗せ一律施行の「教育職員人材確保法」(人確法)以上の長時間労働(「過労ラインを超える教員が小学校で約3割、中学校で約6割いる」)が常態化し、教員という職業が魅力を失っている時期に、それでも教員になりたいという強い熱意のある人が教員になるといことであれば、それは逆境を強みに変えるという意味で、いいのかもしれないと思う。(もちろん、優秀な人材が教員以外を志望したり、採用倍率が低く楽をしても安定した給与が得られる職業として安易に教員を選ぶ輩が増えることは困ることで、それは少なくなるようにしなければならないことであるが。)

「これからの時代、教員はマニュアル通りではなく、自分で工夫して教えることが求められる。20年度からの新しい学習指導要領や大学入学共通テストで重視されるのは、自ら問いを立てて議論し、社会について批判的に考える力をつけることだ。」と氏岡氏が書いている。これまでの教員採用試験の型にはまった知識のテストに高得点を取る学生ではなく、「自ら問いを立てて議論し、社会に対して批判的に考える力」をもった学生が、教員を志望してくれるであれば、日本の教育の未来は開ける。その為には、批判性を重視する「教育社会学」はもっと教職科目の中で尊重されてもいいのだが、実践に役立ちそうな科目ばかり重視されている。

どんでん返し

最近ドラマや新聞小説を読んでいて、ストーリーの作りがうまいなと感じることがある。話の流れから、次はこうなるなと視聴者や読み手に予感させながら、どんでん返しをして、びっくりさせる。その鮮やかな描写に感心する。

朝のテレビドラマ「スカーレット」でも、女の子が借金取りが入っている風呂を熱くして追い返す場面が次に来ると予想させて、実は逆に借金取りに諭される展開になり驚いた(10月7日)。朝日新聞朝刊の小説「カード師」(中村文則・作)でも、賭けポーカーで素人が玄人に騙される場面を巧みに予想させ、最後にどんでん返しの起こるストーリーは見事である。(下記に一部転載)論文や授業でもこのようなどんでん返しが起こせれば、楽しくなるのに。

<プロがまた弱気な雰囲気で賭け金を吊り上げる。既にゲームを降りた客達(たち)は皆プロが彼を騙してると知っていたし、見え見えともプロも知っていた。自営業者にはわからないと。僕も含め客達は黙ったまま、自営業者が破滅するのを見つめていた。人が破滅する瞬間には快楽がある。 プロが金を吊り上げ、自営業者も乗っていく。自営業者は蒼白になり、首からも汗が流れていた。素人が陥る、引けない感覚に覆われていく。ここで引けばこれまでに賭けた分が全て取られる。素人は思い切って引くことができない。プロが被害者の振りをし、破れかぶれの演技で全額を賭けた。 場に緊張が走る。乗れば自営業者は全額失う。彼はすぐ手持ちの金をチップに替え、負けを取り返そうとするだろう。再び負け、また手持ちの金を出すだろう。脳裏に負けた額が増えていく――刻まれ続け、人生までも振り返り、あの時勝負を避けたから人生はぱっとせず、でも賭博での自分は違うと強気に勝負し続けるだろう。人生での敗北まで、賭博で取り返そうとするだろう。「一発逆転」もちらつくだろう。自分の存在そのものを放り出す無意識下の快楽に、彼自身が気づいているかどうか。 周囲の者達は沈黙しながら、しかし彼を誘う空気をわざと作り続ける。自営業者はその賭けに乗った。もう乗るしかない。自分を越えた押す力と惹き込まれる力があり、抗えない。 互いの手札が開示される。プロはキングのスリーカード。だが自営業者はエースのスリーカードだった。 プロの目が驚きで見開く。自営業者はいつの間にか、完全な無表情になっていた。熟練のプロプレイヤーのように。>(朝日新聞 10月7日朝刊)