自分のセンスのなさに呆れるが、、、

自分に芸術的、音楽的、文学的センスがないのは自覚している。でも、誰かの丁寧な説明を聞いりすると、その内容が理解できる場合がある。それにはかなりの時間がかかるが。一生理解できないよりはましであろう。

音楽で言えば、若い時、「マドンナ」の音楽やテレビから流れる映像を見ても、全然いいと思わなかった。マドンナの露出の多い衣装や挑発的なダンスを見て、「えげつない」という印象で、それ以上マドンナの音楽を聴いたり映像を見ようとは思わなかった。ところが、後年、友人の山本雄二氏の訳したフィスクの本『抵抗の快楽』(世界思想社、1998)のカルテュアルスタディーズ観点からの卓抜的なマドンナ解釈を読んで、マドンナの意図とその音楽性の高さを知り、マドンナのビデオやCDを買い集め聴いた。そしてそのよさを少し理解した。大学の授業でもマドンナの歌と映像を流して学生に説明するようなこともした。

今回、同じようなことを「クイーン」についても感じた。クイーンの音楽をまともに聴いたことはないし、フレディのステージは何か品が欠けるというくらいしか思っていなかった。それが先日たまたま「BS世界のドキュメンタリー『クイーン 素顔のボヘミアン・ラプソディ』2019年3月3日(日)を見て、フレディの素顔にふれ、(それ自体一つの見方に過ぎないかもしれないが)、その観点からクイーンを聴き観てみたいと強く感じた。                                  この番組を観て、「すごい才能にあふれたバンドだったことを改めて感じた。その影には人に言えないくらいのコンプレックスや、苦悩があったんだとも感じた。命がけでたくさんの名曲を生み残してくれた彼らに、最大の感謝と敬意を表する。」と書いている人もいる。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/253/2145705/index.html

センスのない人間は、このように学んで、センスのなさを補うしかないのであろう。