地名に隠された意味

谷川彰英先生の『地名に隠された「東京津波」』(講談社α新書2012年)があり、地名により東京のどこが危ないかがよくわかる。
 
 今回災害が起こった広島県の八木地区は、「八木蛇落地悪谷」(やぎじゃらくじあしだに)が元の地区名で、その後「八木上楽地芦谷」(やぎじょうらくじあしや)に改名され、さらに現在の八木となったという。
 <「蛇(じょう)」が「上」(じょう)」となり「落」が「楽」となり「悪(あし)」が「芦」と改名され、縁起の悪い文字をことごとく縁起の良い当て字に変えている。
 言葉を言い換えてもその現実が一向になくなるわけではない。 まった同じ現実がそこにあるわけだ。というよりむしろその現実と等価な言葉を失ったがゆえに、現実認知手段や能力を失うという危ないことが起きてしまう。>(藤原新也)
 
このことは、ラベリング理論や構築主義理論の限界をよく表している。ラベリングや人の認識を変えても、客観的な現実は変わらず、現実乖離が危機を増幅する場合がある。

7分間スピーチ(中央教育研究所 2014年8月28日)

 この3月に出した本のことを話させていただきます。本の題は、『学生文化・生徒文化の社会学』(ハーベスト社、2014年)というものです。
 「学生文化・生徒文化」というのが、私の主な研究テーマなのですが、なぜこのようなことに関心を持ったかということを、12章に書きましたので、そのことを、今日は話させていただきます。
それは、以前に、新井郁男先生がお話になったことに関係があります。つまり、「青年期の経験がその後の人生を形作る」ということです。 私の場合は、自分の出身階層や出身地のことが関係していると思いました。青年期の高校時代の経験が大きかったということです。
 私が生まれ育ったったのは、千葉です。千葉は土地や家の値段が安く、東京より階層の低い人たちが住んでいたと思います。私は家の近くの中山小学校に通いましたが、それが、なぜか間違えて(?)、高校は、東京都心にある都立日比谷高校に通いました。
 当時都立日比谷高校は、東大に進学する数が毎年150名〜180名という全国トップの進学校でした。ただそれだけでなく、都立高校の伝統を引き継いで、文化祭や合唱祭、部活動が盛んで、文化的社会的な面でも最先端を行くという自負や雰囲気のあった高校でした。
 千葉の田舎からポット出てきた私は、文化的なショックを受けました。クラスメイトのやっているスポーツは、硬式テニスやラクビーといった私の見たことのないスポーツでしたし、聴いている音楽は、クラシックを通り越してのジャズやポピュラー音楽でした。英語の授業のサイドリーダーは文学的なもので、受験勉強しかしてこなかった私の理解を超えていました。生徒同士の会話も人生や政治のことに及んでいました。。
 自分の育ってきた階層や地域の文化と、通った高校の文化の違いを感じ、ショックを受けました。私は、そこで、日比谷高校の文化を必死に学び、大学(駒場)に入学しましたら、しかしそこはなんと「大いなる田舎」大学で、また不適応を起こしました。
 なぜ、自分は高校や大学で不適応だったのか、自分の性格のせいや能力のなさということではなく、もう少し広い社会的文化的な要因から考えたいと思いました。
 教育のことを考えるとき、学校や大学の文化と、生徒や学生の育ちや文化との関係から考える必要があると思いました。つまり、生徒文化や学生文化の視点が必要ということです。
 大学教育についていえば、大学制度や大学内の集団や人間関係と、学生の心情や意識との関連を考察し、なぜそうなるかというメカニズムを実証的に考察する必要があると思いました。
 私の学んだ東京大学の教育社会学研究室の学風は、教育を社会的事実(もの)として捉え、それに厳密な社会科学の方法でアプローチし、教育のシステムや制度のメカニズムを明らかにし、それに基づく政策提言を行うというものでした。それは今の社会や教育界や教育現場で求められているものを的確に把握し、改革の方法を提示するものです。
 そのような研究室の学風の中で、私の研究関心や研究方法は少しずれていました。自分との関わりのある現象の中に、自分の研究テーマを探していきました。 
 それは、高校生や大学生の時、自分の育ってきた家庭や地域やの文化と、通った高校や大学の文化との間には大きな文化的ギャップを感じ、それが研究テーマの底流に据えたせいだと思います。
 以上、「青年期の経験がその後の人生を形作る」ということを、私の事例で報告させていただきました。