毎日のことだが、電車やバスの座席のどこに座るかは、悩むところである。私はこれまでは、「絶対優先席には坐らない」という原則を守ってきたが、このところその原則を守れないことがあり(混雑時など)気を付けなければいけない。
若い人が、優先席に座るのはどのような習性から来ているのであろうか。大体優先席は隅の方にあり、人の目線を避けることが出来、落ち着くのかもしれない(電車やバスは多くの人の目線が行きかい、乗るだけで疲れる)。
優先席のことより、二人分の座席を占拠して、人に傍に来させないようにしている若い人(小中高校生も含む)のことが気になる。運動部の生徒が大きな荷物を自分の席の隣に置き、4人のボックス席を2人で占拠し、人に隣に来ることを拒絶している様子は、千葉の先ではよく見かける(混雑時でも)。
電車やバスに乗る時のマナーに関しては、学校でもまた家庭でも教えていないのではないか。
「優先席には若い人は座らないこと、混雑時には席を譲り合うこと」は、常識的なマナーであることを、小中高校生に誰が教えなければいけないのではないか。
電車の席のことでは、水沼文平さん(中央教育研究所)から、下記のコメントをいただいている。
「日本の電車の中で概ね座らないのが野球やサッカーの中高生です。監督やコーチから厳しく躾けられているのでしょう。優先席で化粧をしたり物を食べたりしている若い女を彼らはどう見ているのでしょうか。」
「手元に司馬遼太郎の『街道をゆく40 台湾紀行』があります。1994年司馬遼太郎は台湾を訪問、高尾駅から台湾東部に向かう列車に乗ります。指定席で満員、そこに五十年配の女性が孫らしい女児を連れて入ってきます。女児はしきりにむずかります。司馬さんの通路を隔てた席に、髪を短く切った眉間に険がある背の高い青年がすわっています。正体不明のその青年が、以下本文「かるがると立ち上がって、通路の老夫人と女児に席をゆずってやったのである。女児は大よろこびだった。老夫人は何度も謝謝をくりかえした。青年は、はにかんでいる。人は見かけで判断すべきでない。」その青年が軍人であることが後で分かります。
私は司馬さんの14年後の2008年12月に台北に行きました。台北駅から淡水行きの電車(MRT)に乗りました。立っている人が多く、座席は疎らに空いていました。よく見ると立っているのは学生らしい若者でした。同行の台湾大学の学生によると、日本統治時代の道徳教育が家庭教育の中で生き続けているとのことでした。「見失ったもの」にほとんどお目にかからない日本の現状ですが、時々電車の中で年配の女性に「かるがると立ち上がって席をゆずる」中高年の男性に出会うと握手したくなるような親しみを覚えます。」