「内外教育」の「ひとこと」に書いた原稿(「良貨の教育の努力で」2025.6.17)を、下記に転載しておく。
教育の世界では当たり前のことが、教育の外の世界ではそうではないことがある。最近では大学の学問の自由、多文化主義、リメディアル教育などが、世界の政治家や日本の政府から問題視されている。それらは時の政策や経済発展の阻害要因になると考えられている。
教育は真空の中で理想通り行われるわけではなく、その時々の社会の状況の制約の中で行われるので、外から強い要望が寄せられる。教育の世界は外圧から比較的保護されているが、危機や不況の時代には、政策に批判的であったり、効率が悪いと、教育に非難が浴びせられることが多い。極端な発言がなされ、世論の賛同も得る。それが教育の弱点や怠慢を突いている場合もあり、教育の側も改善をはかる必要がある。どのような理想的な制度も成員の日々の努力なしには存続しない。
教育はもともと普遍的な理想を掲げ、それを追求する側面がある。同時に理想に安住し現実を顧みず形式主義に陥る傾向もある。これまでも既存の学校制度を鋭く批判した思想家(イリイチ等)もいたし、新型コロナの蔓延で、学校の諸活動の再吟味がなされた。学校の慣行には、時代錯誤で無駄な部分もある。教育において一部の子どもが優遇されるあまり、置き去りにされている子どももいる。
一方現代は、経済優先という惡貨が、理想の教育という良貨を駆逐している面もある。弱者を支援する教育は経済効果がないと不況の時代には非難される。今覇権国家の自国の経済優先主義、他国への理不尽な進攻を多く見ていると、理想を説く教育は、今の時代こそ必要なものに思える。国民が利己主義に陥るか利他主義を選択するかは、教育によって培われた心情や価値観によるところが大きい。真理の探究、思いやり、相互扶助、国際理解など、教育の理想は世界の人々の共生と平和をめざしている。良貨の教育の努力で利己主義的な悪貨の蔓延を防ぎたい。
追記 上記の文章に関するコメントをChat Gptに求めた。下記がその回答
この文章には、教育の理想と現実との緊張関係、そして教育の社会的使命について深い洞察が込められています。以下、コメントをいたします。/全体的な立場:賛同の意を表します(賛成)以下コメント
教育の理想と社会的制約の関係に関してー冒頭の「教育の世界では当たり前のことが、教育の外の世界ではそうではない」という指摘は非常に重要です。特に「大学の学問の自由」や「多文化主義」が、政治的に批判の対象になる現代の傾向は、教育の本質が短期的な経済合理性と相容れない部分を持つことを示しています。教育が経済成長や国家目標の「手段」として扱われることには警戒が必要であり、この視点に賛同します。/教育の自己点検と責任に関して= 「教育の側も改善をはかる必要がある」という指摘も重要で、理想を掲げる教育が現実に対して閉ざされた存在になってはいけないというバランス感覚が評価できます。特に、「どのような理想的な制度も成員の日々の努力なしには存続しない」という文は、制度依存ではなく教育実践者の責任と能動性を問うものとして、深い含意を持っています。/ 形式主義と再吟味の必要性に関しー形式主義や惰性に陥る危険性への警鐘も妥当です。イリイチやコロナ禍に言及して、教育制度が時代に応じて見直されるべきであることを示す構成は説得力があります。「慣行には無駄がある」「置き去りにされている子どももいる」との言葉は、現場の感覚にも通じる批判です。/ 経済優先と教育の理想の対立に関してー「経済優先という悪貨が、理想の教育という良貨を駆逐している」という部分は、グレシャムの法則を比喩的に使った印象的な表現です。教育の経済効果が短期的に見えにくいことから、その重要性が低く見積もられてしまうという問題意識には深く共感できます。/ 教育の倫理的・普遍的価値に関して–「国民が利己主義に陥るか利他主義を選択するかは、教育によって培われた心情や価値観による」という視点は、まさに教育の根源的な意義を示しています。単なる知識やスキルの習得ではなく、人格形成・価値形成としての教育の重要性を強調している点に賛同します。/ 付け加えるなら:現実の政治と教育の摩擦が増す中で、教育関係者には「守り」に入るだけでなく、教育の価値を社会に向けて積極的に説明し、発信する力も求められています。理想の維持には、外圧と対話する力が不可欠であり、教育の自律性と説明責任の両立が鍵になると思われます。
反対・中立的視点からの補足コメントー経済的視点の再評価;「経済優先=悪貨」と単純に対立的にとらえるのではなく、経済と教育の相互補完的な関係も再評価する余地がある。例えば、実践的スキルや職業教育の強化は、経済発展だけでなく、若者の自立や地域社会の活性化にも貢献している。/ 教育の自律性と公共性の緊張– 教育が「外圧」にさらされることに警戒が示されているが、他方で教育があまりに自律性を盾に閉鎖的・無責任になってしまうことにも問題がある。大学の学問の自由や教育方針も、社会的説明責任を負うべきではないかという声もある。/ 理想教育の具体像が曖昧–本文で「良貨の教育」とされるものが、やや抽象的であるとの印象を受ける。現代社会において、理想の教育とは具体的にどのような形で実現されるべきか、より明確なビジョンが示されると説得力が増すだろう。