今年最後の日の入りを見に行く

今年最後の日の入りを、稲毛海浜公園に見に行く。
生憎、大きな雲がかかり、日が沈むのも、夕日に映える富士山も見ることができなかったが、風もなく静かな日の入りで、穏やかな大晦日な夕暮れであった。
ソフィー(犬)も齢ながら、今年はいくつかの病気を乗り越え生き延び、それなりにいい1年であった。
来年も穏やかな1年でありますように。

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NHK特集ドラマ「バーニング」を観る。

昨日(29日)、新聞のテレビ欄に村上春樹の「納屋を焼く」(1980年)が原作の韓国映画がNHKの第1で放映という記事を見て、軽い気持ちでテレビのスイッチを入れた。
その映画のすばらしさにびっくり。
村上春樹の1980年の原作が、現代の韓国を舞台に、韓国の巨匠の監督が、韓国の有名な俳優を使い、日本語の吹き替え(ヨン様の声も)で、映像も素晴らしく、内容がミステリアスで、久々にいい映画を観ることができたと感じた。
凡庸な私には今、この映画の魅力を言葉にできない。原作も読み返し、いろいろネットにある解説も参照しながら、この感動の理由を解き明かしたい。(ネットの解説の一部を転載)。

<ドラマのきっかけは作家・村上春樹さんが2012年に書いた、新聞への寄稿文でした。
当時、尖閣諸島をめぐる問題、そして竹島の問題など、日中、日韓の領土問題が注目を集めていました。村上さんは朝日新聞への寄稿文(2012年9月28日)で、領土問題は避けて通れないイシューだが解決可能な案件であるとして、「我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となる、と記しました。
この村上さんの思いをもとに始まったのが「アジアの映画監督が競作で村上春樹さん原作の短編の映像化に取り組む」プロジェクトです。(中略)
原作『納屋を焼く』が書かれたのは1980年代。監督のイ・チャンドンさんは舞台を現代の韓国に設定しました。監督は、原作を読んで、映画的な方法によって多層的なミステリーに広げることができると感じたそうです。
ドラマのストーリーには、原作を忠実に映像にしているように見える部分と、原作をもとに監督が大胆に物語を引っ張っている部分があります。
小説家を目指す青年が、同じ農村で育った幼なじみの女性と都会の片隅で再会する。2人はひかれあう。しかし、女性が旅行先のアフリカで出会った謎の男を男性に紹介したことで、3人の運命は複雑に絡みはじめる。ある日、女性と一緒に青年の家を訪れた謎の男は、夕暮れのベンチで秘密を打ち明けた。「僕は時々ハウスを燃やしています──」。そして……、というもの。www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=16862>

<村上春樹の短編小説にアジアの巨匠監督たちが挑む!イ・チャンドン監督が選んだのは「納屋を焼く」。舞台を韓国に移し、3人の若者たちが織り成すミステリー世界を大胆に映像化した。何が真実で、何が現実なのか?監督が仕組んだ繊細かつ大胆なストーリーから目が離せない!
主演3人は、韓国の人気俳優ユ・アイン、世界的スターのスティーブン・ユアン、大抜擢の新人のチョン・ジョンソ。さらに、吹替を担当したのは、柄本時生、萩原聖人、高梨臨。緊張感あるストーリーを声の演技で盛り上げる。繊細な心の動きをつむぎ出す演技に注目!
放送日時: BS4K 12月2日(日)午後9時00分~ ※BS4K再放送 1月3日(木)午後5時00分~ 総合 12月29日(土)午後10時00分~
http://www4.nhk.or.jp/P5336/>

追記 村上春樹の「納屋を焼く」の原作をまだ読み返していないが、その原作も作者により改編されていて、そこには作者の本質的な視点が込められているようだ。卒業生のI氏が優れた文芸批評を送ってくれた(下記)。
「納屋を焼く」は何かの比喩とは感じていたが、それが「殺人」の比喩とは気が付かなかったし、「殺人説」をめぐってこのような複雑な議論があるとは思いよらなかった。文学の世界は深い。村上春樹にも敬服(この映画は、村上春樹の小説をかなり忠実に再現しているような気もする)
「納屋を焼く」論 (1)

水仙を房総に見に行く

近所の友人夫妻と房総へ水仙の花を見に行く。
水仙は、蝶や虫のいない冬に咲く珍しい花だが、可憐でいい香りがする。
家からは房総は近く、2時間もしなくて、目的地の佐久間ダムに着き、ダム沿いの水仙の花を楽しんだ。
帰りは、もみじ(紅葉)ロードを通って帰ると、まだ紅葉が残っていて、千葉にもなかなかいい所のあることを知った。

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年末に思う

このところ私の自宅のパソコンの調子がよくなく、それは体の一部が不調のような気分。早く何とかしなければと思う。
先週の金曜日(21日)に敬愛での今年最後の授業が無事終わり、晴れ晴れとした気分になっていいはずが、そうでもない。
授業の最後の週は、教員たちの挨拶は、「やっと今年も終わりますね」というもので、授業の苦労から暫く解放される安堵を表明したものである。
その気持ちはよくわかるが、非常勤の身としては、授業を担当させてもらっていることがありがたいので、それが終盤に近づいたことへの寂しさも感じる。

先週の敬愛の「教育課程論」の授業は、教育哲学・異文化理解が専門の佐藤邦政氏(敬愛大学専任講師)に教育思想、教育哲学のことを話してもらった。ルソーの思想を中心に含蓄のある講義*で、私の苦手な分野を補えてよかった。学生は、熱心に講義を聞いてくれていたので、社会学や心理学や教育実践とは一味違う哲学的な教育学の面白さを知ってくれたことであろう。

今巷では、「終活年賀状」のことが話題になっている。年賀状のよさと煩わしさは両面あって、なんとも言えないが、私は今年は喪中なので(喪中はがきを出したが、住所不明で戻ってきて来たものもかなりあった)、来年に考えたいと思う。

このブログは私のメモ(日記)のようなものなので、そんなに読んでくれる人がいるわけではないが、シアトル在住のSさんから素敵なクリスマスカードを頂き、ブログの記事への言及があり、感激した。

パソコンの不調もあり、自分の感じたことを文章にできないもどかしさを感じている年末であるが、今年もいろいろお世話になった人や思い出深い出来事に思いを馳せ、新しい年を迎えたい。

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教授会の懇親会に参加させてもらう

一昨日(18日)、敬愛大学国際学部の懇親会に呼んでいただき、6年間教授会でご一緒した懐かしい先生方と楽しいひと時を持つことができた。
偶然座った席が三幣学長の隣だったので少し緊張したが、「ブログは何人ぐらいが読んでいるのですか?」とか気楽に話しかけて下さり、料理と会話を楽しんだ。
また途中から「人当てゲーム」があり、大変盛り上がりであった。それはひとりひとりカードに5つの質問の答えを書いておき、司会者がそれを読み上げ、誰が書いたかを当てるゲームである。
その5つの質問は、下記。
1 カラオケで歌うとすると何の曲を歌う
2 100万円臨時収入があったら、何に使う
3 一番おいしい料理は
4  秘密の特技は
5 会いたい歴史上の人物は

敬愛の国際学部の教員のメンバーは、少人数ということもあり、お互いにプライベートなこともある程度知っているのだが、なかなか誰が書いたのか当たらないものが多く、教員の隠れた一面を知り楽しめた。
私は最初に真面目に回答を書いたが、それではその場にふさわしくないと考え、一部書き換え、受けを狙い、ある程度成功したと思う。
私の回答は下記
1 感謝知らずの女(井上陽水) 2 敬愛大学に寄付 3 妻の料理 4 妻を怒らせないこと 5 夏目漱石
(でも、このブログを読んだら、妻は怒るかもしれない)