フランス映画

敬愛大学のある先生が、これから学生に見せようとするフランス映画の紹介をしていて、その内容に心動かされたので、一部転載させていただく。確かに、フランス映画とアメリカ映画の終わり方は、違う気がする。昔、よくアラン・ドロン主演のフランス映画を見たが、大体最後は失意の底に落ちるか、逮捕されるか、死ぬかで終わっていたように思う。

「パリ20区僕たちのクラス」
(原作の訳書はF.ベゴドー著・秋山研吉訳『教室へ』早川書房2008年,DVD は映画と同じ題名)

 この映画は一昨年岩波ホールで上映されました。もちろんあの映画館で上映する作品はまず大衆受けはしないので、あまり話題にはなりませんでしたが、教育関係者にはとても面白い映画です。2008年のカンヌ映画祭でパルム・ド-ルを取りました。パリ20区という貧民・移民を多くかかえる区にある中学校のフランス語教師(べゴドーが主演)が、それらの子弟たちに対して悪戦苦闘するさまを描いた作品です。フランスの事例ですが、少子化を迎え労働力が絶対的に不足することが分かっている日本の将来の学校の姿を読みとることが出来るのではないかと思っています。そのような意味で普遍性があるテーマを扱っているのですが、ハリウッド映画と違って決してハッピーエンドにならず、あとは観客の皆さんの問題ですよ、と突き放して終わるところがなんともフランス的で気にいっています。
 日本ではアメリカの文化的な影響力が強いので、学生たちにはこの一種の突き放しに違和感があるかもしれませんが、圧倒的な文化体系(この映画の場合はフランスの)に異なる文化的バックグラウンドを背負った感じやすい思春期の子供たちが入ってくるとどのようなことが起こるのか、教師は身をもってどのように事態を打開しようとするのか、などなど参考にすべきところはとても多いと思います。さて、この思いが学生たちに伝わるでしょうか、楽しみにしています。(メールからの転載)

http://class.eiga.com/cast.html
http://d.hatena.ne.jp/mayuna629/20110626/1309056961

研究室

上智大学に勤務していた時の研究室は四ツ谷の14階にあり、部屋からは東京タワー、ホテルニューオータ二、迎賓館、ミッドタウンなどが見え、展望のよいところだった。
現在の敬愛大学の研究室は、稲毛駅から坂を上がった高台の6階にあり、そこも展望がいい。研究室の窓からは学園のグラウンドと遠くに千葉市内が見える。廊下に出ると総ガラス張りで、稲毛の浜や富士山が見える。定年で某所に置いた本もこちらに移さねばと思っている。14階という高層だと、地上の人の動きは点としてしか見えず、景色は壁絵のように固定化されてしまうが、6階だと人の動きも面として見え、飽きずに眺めることができる。特任の身分なのに、このような快適な研究室を提供してくれる敬愛大学に感謝している。

花や緑に目がいく

昨日(20日)は、神田外語大学(幕張)→敬愛大学(稲毛)と千葉市内の移動。神田外語大学では、キャンパスで咲き誇っていた桜の花は終わり、学生も室内へ。
敬愛へ行く途中の放医研の八重桜が満開。敬愛大学の正門脇の菜の花も満開。敬愛の講師室にはメダカと藻がいっぱいの水槽。私の研究室にも緑を置いている。
植物に目がいく日々―歳のせいか?

ブログへのコメント

このブログを見てくれた「公益財団法人中央教育研究所」の水沼文平さんより、下記の素敵なコメントをいただいた。転載させていただき、御礼を申し上げる。

先生と岡崎さんの写真、よく撮れてますね。
友だちとはいいものです。
今の世、いくら平和に見えても「一寸先は闇」、その通りです。
京都市の繁華街で暴走した車が交差点に突っ込み、通行人18人がはねられ、男女7人と運転手が死亡したという事故がありました。
死亡した県外者は多分観光客、誰がこんな事故に遭うなんて考えていたでしょう。
葉隠の「武士とは死ぬことと見つけたり」、自己流に解釈すると「人の命には限りがある。事故や病気でいつ死ぬかもしれない。
だから何時死んでもいいという覚悟で、この一瞬一瞬を大事に生きる」ということになりますが、これがね、なかなか難しいことです。
やはり死ぬのは怖い、嫌だ、という気持が先行します。
そんな時、強烈に味方となってくれる至言があります。
それは、
「今生きている人間は100年経てばみんな死んでいる」という言葉です。(水沼文平)

了解を取っていないので、お名前を出せないが、高名な教育学の先生からも下記のコメントもいただいている。拙いブログを読んでいただき、恐縮している。

武内先生のブログ、読ませていただきました。特に「教育とは」は、逆説的で面白いですね。もし何かを注入して、日本が再興するのなら、「そんな簡単な方略はない」と思います。創造性のないところに、国の再興も、民族の再生も、そして、今日でいえば、地球の救済もないと思います。
「定年後の過ごし方」、放送大学で学ぶ教育関係者の意気込みに「希望」を託したいと思います。
 ところで、先週、何げなく放送大学のチャンネルを見ていたら、大学紹介で、武内先生と先生の授業風景が出ていました。

平和な東京

今日JRと地下鉄合わせて8つ駅を乗り降りした。東京はそれだけ鉄道網が張り巡らされていて便利ということであろう。
十条駅の近くでは、友人の岡崎友典氏と一緒に昼食を食べ、統合された区立の中学校を見学に行こうと約束した。原宿は、平日なのに賑やか。修学旅行生もたくさん見た。赤坂はまだ桜がきれい。テレビ局(TBS)の周辺は、やはり華やいだ雰囲気。東京は平和だ。
でも、首都圏を襲う地震の「予知」のニュースを聞くまでもなく、3・11以降、皆「一瞬先は闇」という不安感を抱いての日々のような気がする。