中国の大学・学生の風景

中国の大学の学生達の様子を知りたくて、セミナーを途中に抜け出して、大学構内を歩き回った。
4万人の学生が通うという同済大学の構内はかなり広い。川や池のある庭園もあるが、全体にはそっけない構内である。一昔前の日本の国立大学といった感じである。端の方には学生寮もたくさんあり(1部屋に4~5人とのことであった)、窓の外には洗濯物が干してあって、美観を損ねていた(昔の東大の駒場寮のような佇まい)。
学生の食堂は、雑然としていて、混雑していて、日本の私立大学の食堂のように小奇麗というわけではない。
学生の服装はカジュアルで、女子学生に化粧気がなく、真面目な、日本の理系の学生という雰囲気であった。
これは、同済大学が日本の東工大と一橋を合わせたエリート校の位置にあるせいなのか、それとも、中国の大学には共通の佇まいなのか、今回は同済大学しか見なかったからわからない。

上海にいく

この週末(6月8日ー10日)は、上海の同済大学で開催された「2012年日本語教育と日本学研究・国際シンポジウム」に参加してきました。
「これから日本語教育に求められるもの」というパネルディスカッションのパネラのひとりを頼まれたため。
加藤幸次先生(上智大学名誉教授)の基調講演を、聞くのも目的の一つ。
そこでの様子は、追々報告する。

日本子ども社会学会・奨励研究基金の募集

私の関係している「日本子ども社会学会」が、若手の研究者に研究助成基金を交付することになり、今応募者を募集している(締切を6月18日まで延ばしたと、学会のHP http://js-cs.jp/ に出ている).

学会員で、若手(40歳未満)の方、是非、応募していただきたい。複数の人に交付されるのに、現在応募者は少ないらしい。
 
<本基金のねらい>学会の趣旨と研究知見の発信に貢献するテーマを研究している若手の研究者に、毎年、審査の結果に基づいて研究助成金を交付する。その研究成果を学会の紀要や大会の研究発表として公表し、学会の活性化を図ることをねらいとし、本基金を創設する。
<応募テーマ> 子ども社会学会の趣旨に即して、学際的で自由なテーマの設定を奨励する。子ども社会の  理論と実践に関する学際的、総合的研究の発展に資するテーマの設定を重視する。

応募の詳細は下記
http://js-cs.jp/0001/kodomo/e05.html

アフリカからのメール

  知り合いで今アフリカにいる方から、ブログを見たと、メールをいただいた。遠くアフリカの地で、このブログを見ていただけるなんて、感激である。
とても興味ぶかい内容だったので、一部転載させていただく。

(○○に)来てからは、直接子どもとかかわるという仕事をしているわけではないですが。○○も男の子はサッカーをするのが好きで良くサッカーで遊んでいるのを見かけます。それに比べると女の子は、なかなか一つのもので遊んでいるのは見つけにくいですが。
途上国では、学校教育、基礎教育そのものが、まずは課題ですが、共通する課題等もあることと存じます。
先生のブログを拝見し、今の大学生の生活スケジュールのハードさが書かれたところが興味深く感じました。
私の肌感覚では、とても個人差があるように感じてきました。ゆっくり過ごす人と、やりたいことで忙しくする人、やらなければならないことも合わさって忙しくせざるを得ない人etc。しかし、やはりバイトをしないと厳しいというケースが基本だと思いますので、単純にゆっくりとだけは過ごせないようには感じます。
何に時間を費やしているかということと、学生の背景、将来の方向性を併せてみると、興味深いです。
日本は、梅雨のころでしょうか。どうぞご自愛ください

日本高等教育学会を聞きに行く

 今日は、東京大学(本郷)で、日本高等教育学会第15回大会が開かれていたので、朝から、いろいろ発表を聞き、勉強してきた。自由研究は、同時に7つの部会があるので、どれを聞くかは迷ったが、「学習成果」や「国際化」の部会を聞き、午後の課題研究では「大学教員にとっての授業」を聞いた。
 今いろいろな大学で大学や学生の様子を見ている体験からすると、発表が大学の教育現場を知らずに上滑りだなと感じることも少なくなかったが、質問もせず、おとなしくしていた。
 大学教員の授業観が、「自分の受けた授業に影響される」「自分の専門に固執する」「ゼミで学生が成長すると思っている」「学生の学習実態と乖離している」などの、課題研究での指摘は、いろいろ考えさせられるものがあった。
 学会は、多くの人に、年に一度会えるという楽しみもある。潮木守一先生、天野郁夫先生のお元気な姿にも接し、挨拶することが出来た。昔、(教育社会)学会の事務局のあった東大で助手をしていた頃は、学会に来る人の8割方は顔見知りであったが、今日は会場で見渡すと、9割は知らない人であった。そして、高等教育学会は昔は年配の男ばかりであったが、若い人や女性がかなり増えたように思う。
 東京大学(本郷)は、私が学部2年、大学院6年、助手で4年と12年間過ごしたころだが、必ずしも明るい時代ではなかったし、久しぶりに訪れる東京大学は、昔のことも思い出し、複雑な気持ちのところであった。