知らない単語―「ディアスポラ 」と「アフォーダンス」

時々、知らない単語が、当たり前のように出て来て、議論が進んで行くことがある。周りの人が知っていて、自分だけ無知らしい場合もあり、無知を恥じざるを得ない場合がある。若い人と話していて、私が知らないことは、世代ギャップと片付けられるのでいいが、そうでない場合もある。
最近遭遇したのは、「ディアスポラ 」と「アフォーダンス」いう単語。

「ディアスポラ 」は、映画『エレニの旅』を解説する本(「映画で入門 カルチュラル・スタディーズ」大修館書店(2006) )に、出てきた言葉で、私ははじめて聞く単語であった。あわてて、ネットで調べる。Wikipedia に次のように載っている。

ディアスポラ(διασπορά、英:Diaspora, diaspora)とは、(植物の種などの)「撒き散らされたもの」という意味のギリシャ語に由来する言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。難民とディアスポラの違いは、前者が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、後者は離散先での永住と定着を示唆している点にある。歴史的な由来から、英単語としては、民族等を指定せず大文字から単に Diaspora と書く場合は特にパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指し、小文字から diaspora と書く場合は他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味する[1]。よく知られる例ではギリシャ人、フェニキア人、アルメニア人、華人などの本国外に居住する該当集団をディアスポラと呼ぶことがある。また、近代奴隷制によって新大陸に連れてこられたアフリカ人の子孫に用いられることもある。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団など.

もう一つは、「アフォーダンス」。これは、「小学生たちが下校時に遊びのアフォーダンスを見出し」と青井倫子「幼児の遊びと仲間」住田正樹編『子どもと地域社会』(学文社、53ページ)にあるものである。学生に質問され、すぐにはわからなかった。これもネットで調べる。

アフォーダンスaffordance
我々は、環境を捉えるときに、行動を促進させたり、制限させたりするような特徴を読みとっている。 ギブソンという認知心理学者は、環境のこのような性質をアフォーダンスと呼んだ。彼は、「環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、良いものであれ悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。」と述べている。ギブソンの挙げた例で説明しよう。 「陸地の表面がほぼ水平であり、平坦で、十分な拡がりを持っていて、その材質が固いと判断されたならば、その表面は、我々の体を支えることをアフォードする。」 我々は、確かにそういう場所を選んで歩いている。行動するときには、無意識であるにしろ、環境がどのような行動に向いているのかという情報を環境の中から得ているのである。アフォーダンスは、何も場所や空間だけに備わっている性質ではない。ステレオは音楽を聴くことをアフォードするし、本は読むことや枕にすることをアフォードする。 (槙 究http://www.jissen.ac.jp/kankyo/lab-maki2/maki/scripts/script01.html)

「学校社会学研究会」のお知らせ

毎年、夏に開催されている「学校社会学研究会」が、今年は、関西学院大学の冨江英俊氏が幹事役で、関西学院大学で、下記の予定で開催される。
誰でも参加可能。プログラムが決まり次第、お知らせする。

2012年度 学校社会学研究会のお知らせ
○日時 2012年 8月23日(木)~24日(金)
       23日 13時頃 集合 24日 13時30分頃 解散
○場所  関西学院大学 大阪梅田キャンパス(K.G.ハブ スクエア大阪)1406号室
 〒530-0013  大阪市北区茶屋町19-19アプローズタワー14階
  (阪急「梅田駅」 茶屋町口改札口より 北へ徒歩5分。   JR「大阪駅」御堂筋出口から徒歩10分、
   地下鉄御堂筋線「梅田駅」から徒歩7分、「中津駅」から徒歩4分。)
  http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/
○今後の予定  発表申し込み    6月下旬、   プログラムの決定  7月中旬
 

アウトレットへ行く

最近、スーパーへ食品を買い物に行く以外、買い物に行くことはめったにない。たまたま娘が家の近く(車で15分)の海浜幕張の三井のアウトレットに行く用があったので、ついて行った。
JR京葉線海浜幕張の駅前でもあり、人はかなり出ていたが、千葉では最近木更津のアウトレットが出来たせいか、そんな混雑をしていない。若者向けのファッションの店ばかりあり、あまり年寄り向けの店がない。ただ、学生の姿もあまり見かけなかった。有名ブランドの店ばかりで、値段はそんなに安くはなく、普通の、お金のない学生には無縁のところなのであろうか。レストランでテーブルが屋外にも出てペット可の店があり、そこでは、犬のオフ会らしきもの(私の知らない上品な同じ犬種の犬の飼い主が数匹集まっていた)も開かれ、リッチで、楽しそうな団欒を見かけた。
アウトレットは、一種のお祭り気分の場所であり、気が緩む。私は今必ずしも必要がないリュックを衝動買いし、散財した一日であった。

元新興住宅地

私の母の住んでいる千葉県市原市ちはら台は、今から4半世紀前に住宅公団が分譲した1戸建ての住宅地である。山林や原野を切り崩し整地し、そこに各ハウスメーカーが建て売りの住宅を建てた。まだバブルの絶頂期で、都心の住宅地が高くて手の届かない庶民が、駅から遠く不便を覚悟で、高い抽選倍率を経て、購入したものである。都心に近い浦安の新興住宅地(今回液状化の被害を多大に受けた場所)に比べ、3分の1くらいの値段だったと思う。
小奇麗だけど同じような感じの家が作られたことから、藤原新也は、それら郊外の新興住宅を「ショートケーキ・ハウス」と名付け、揶揄していたように思う。歴史も文化も個性もない家々という意味であろう。
それから4半世紀経過し、その住宅地はどのようになったのであろう。ひとつは、駅から遠く(バスで10分~15分)、交通は相変わらず不便で(千葉からの外房線は本数が少ない)、都会のような活気は見られない。もう一つは、計画的に植えられた樹木は大きくなり(綺麗な桜並木もある)、各家庭は庭にも趣向を凝らし、個性的な佇まいになっている。
 住宅選びは、交通の便をとるか、環境をとるかの二者択一になっている(両方が得られるのは富裕層のみ)。今の若い人は後者をあまり選らばす、都心を選ぶようになっている。したがって、老若の住み分けが進行しているように思う。

介護

我々の世代は、介護の問題を避けて通ることはできない。それぞれさまざまな形で対処していることであろう。上野千鶴子が言うように、介護保険制度のおかげで、どれだけ助かっているかわからない(上野千鶴子・古市憲寿『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』光文社新書、2011、p78-79)。
うちでも90歳になる母親の介護をきょうだい3人で、交代で見ているが、週3~4日、日中母を世話してくれるデイケヤセンターの存在はとてもありがたい。介護保険で料金が安い(実際かかる費用の10分の1)だけでなく、親身の介護をしてくれる(それも若い夫婦が。とても感心する)その間に、介護している妹たちは、自分の家の家事をしたり息抜きをしたりできる。
 私がしていることは、せいぜい週末に妹たちと交代し、出来あいの総菜を買ってきて母に食べさせたり(味噌汁は作れる)、母親を車椅子に乗せ、散歩するくらいである(男はどうも役に立たない?)
 少子化の中で、我々の世代は、誰が介護してくれるのであろうか。心配である。