会話の楽しみ

 「会話の根っこは、話す/聞く、の繰り返しによるリズムと転調自体にあって、話されている事柄は会話の端緒のコードに過ぎないかもしれない」
「言葉をとり交わすことは、互いの内面を侵食し合うエロティックな行為で、 終わりのない、果てしなく展開し漂う触れ合い(会話)の快楽」
 (朝吹真理子 書評「松浦理英子 奇貨」 読売新聞・2012年12月9日朝刊)

この文章を読んで、会話に関して思いを馳せた。
私たち大学教員は、学会や研究会が好きで、また会議が好きで、講義より学生との会話がある演習(ゼミ)を好み、飲み会もよく開き、多くの時間を会話で過ごしている。
 議題が決まっている会議は退屈だが、大学教員同士の自由な会話は、会話の背後に多くの(読書に裏打ちされた)教養も感じられ、リッチな気分になる。(ただ、これは、別に大学教員である必要はなく、教養に裏打ちされた自由な思考の持ち主同士であれば、誰でもよい)。
 本を読む楽しみもあるが、それとは別の楽しみが会話にはある。われわれ人間は、生物的な欲求より、会話という社会的欲求の方が強いのかもしれないと、上記の文章を読んで思った。
 
 
 

優れた社会学者の文章

5年に一人くらい、東大社会学科から卓越した社会学研究者が生まれるという話を聞いたことがある、橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)もその一人であろう。多くの著作を出し、その話を社会学会で一度聞いたことがあるが、他の人と、オーラが違った。
橋爪氏の書いた書評「日本近世の幅と奥行き;『定本 上田秋成研究序説、高田衛著』」を読んだが、いい文章で、文学的香りに満ちていた。さすがだと思った(一部書き写して、勉強しておこう)。

 「高田衛氏の文体は端然、透徹,創意に満ち、柔軟なバネのような弾力でためらいなく議論を思う方向に進めていく。江戸中期、政治や経済の選択肢が限られていた時代に、かえって思索の翼を自在に羽ばたかせた知性がいた。秋成という個性の解明でありながら、国文学の枠を越えた普遍的な視野を与えてくれる」 「縦横で実践的な精神。市井に生まれ権威と無縁に生きた秋成を通して、日本のプレ近代の幅と奥行きが照らし出される。後世に残したい秀作である」( 読売新聞・2012年12月9日朝刊)

新井真人氏の冥福をお祈りする

 大学院時代6年間一緒に学んだ新井真人氏(元秋田大学教授)のご逝去の知らせを先輩から受けとった。心からお悔やみ申し上げる。
 新井真人氏は、埼玉大学教育学部出身で、東大の大学院に進学してきた人で、とてもまじめで語学もよくできた人だった。一緒に、行った大学院合宿や、T.パーソンズの社会学理論の本を当時助手だった小野浩氏の指導の下に読んだことや、新井郁男先生のもとで、一緒に「道徳教育」の本の翻訳をしたことが懐かしい。
 お互いに就職してからは、年に1度の「教育社会学会」の大会や、「学校社会学研究会」の夏の研究会で会うだけだったが、同期ということで、何でも話せる数少ない友人の一人という気持ちでいた。私たちの結婚式の司会も、新井氏にお願いした。その親しい友人が先に、旅立たれたのはさびしい。
 新井氏の「職業的社会化」の業績(論文、著書)を読み直し、新井氏を偲びたい。

就職フェア(懇談会)

今日(12月11日)は、敬愛大学の就職フェア(懇談会)が海浜幕張のホテルで開かれ、参加した。地元の企業と地元の大学の関係は、中央にはないあたたかさがあった。ホテルの外は、クリスマスのイルミネーションが綺麗であった。

学生のスピーチ

今日(12月11日)の敬愛大学の「教職概論」の授業では、学習指導要領の総則部分の説明の後、学生のスピーチを行った。
どちらも、教員採用試験を意識しての内容である。前者は1次試験対策、後者は、プレゼンの要求される2次対策。
しかし、後者は、試験対策以上の成果があった。学生のプレゼンの仕方や内容がよく、私も教えられることが多くあった。
今日のスピーチは、自主的なスピーチで、5人4組のプレゼンが行われた。スピーチのテーマ自由で、今日は、「国語辞書について」「死刑廃止論について」「スピーチの仕方」「相田みつを」の4つがあった。それぞれ、10分程度のプレゼン(スピーチ)であったが、話し方も工夫され、内容も心打たれるものであった。学生たちも「私の講義の時には見られない真剣さ」(?)で聞き入っていた。
「相田みつを」のプレゼンでは、その詩が展示されている美術館(http://www.mitsuo-tv.com/index.php)に行き、学生(二人)が、心打たれた詩の紹介があった。それぞれいい言葉だ、と感心した。