大学の授業の参観

今週は、敬愛大学では、FDの一貫で、他の先生の授業を参観する週になっていた。昨日(5日)、それぞれ短時間だったが、4つの授業を見学させていただいた。他の先生の授業を見学すると、自分で教壇に立っている時にはわからないことがいくつか見えてくる。以下、その感想。

① それぞれの先生は、それぞれの授業スタイルで、一生懸命に授業をしている。ほとんどの教員はプリントを配り、板書をしながら、わかりやすい説明をしている。抽象的な内容も、身近な例を引き、学生の興味を引く工夫をしている。映像でリアリティを出す先生もいる。実技の授業もある。
② 先生たちの熱意や思いが、学生に伝わっているかと言うと、必ずしもそうとは言えない。どの授業も私語はなく、静かであったが、前の方に座り熱心に聞く学生もいるが、後ろの席に座り、肘を枕に寝ている学生や携帯をいじっている学生も、授業によっては少なからずいる。
③ 学生に話しかけるように講義する先生の授業は、好評のようで、多くの学生が顔を上げ、熱心に聞いている。実技の授業も皆楽しそうである。大学の講義らしく、先生がアカデミックな内容を、学生の受講態度に関わりなく、一方的に話す授業は、学生が顔を上げている率が低く、全く聞いていない学生もかなりみられる(私の授業はこれに近いかもしれない)。
④ 一つの授業で、リーダーシップのタイプの講義があり、「仕事志向」と「人間志向」で、リーダーシップのタイプが4タイプできるという説明があった。さらにどのタイプが有効かは、フォロワーの「成熟度」によるという説明があった。これから言うと、学生の成熟度により、どのようなスタイルの授業が有効化かが、決まると思った。
⑤ 学生達は、授業の内容以上に、先生(講義者)が自分達にどの程度関心を示し、向き合ってくれるのかということも期待しているらしいことが感じられた(それだけ、今の大学生は幼く、生徒化している)。
講義を聞かないで、携帯をいじっている学生や、寝ている学生に対しては、(怒りを感じながら)その存在を無視して、授業をすすめる大学教師が、一般的には多い(私もそうだと思う)。 ところが、学生からすると、見捨てられ、無視された、さびしさも感じているのではないかと思った。今度、学生の感想も聞いてみたい。
⑥ 1時間半の授業は、聞く方からすると、かなり長く感じた。

関西学院大学での日本子ども社会学会開催

クラシックで、スペイン風の、あるいはスタンフォード大学を彷彿させる美しいキャンパスの関西学院大学で、第20回日本子ども社会学会が開催された(6月29日ー30日)。
大会校の先生方の、行き届いた大会運営と細かい心遣いに、に、心より感謝。
とても、快適で、充実した2日間であった。
宿泊は、大阪梅田の温泉付き宿(ドーミ イン梅田)。梅田の賑やかな街も満喫した。
関西は、東京より、なんとなく、おっとりとしていて、人々にもあたたかさがある、ように感じた。

正統と異端

卒業生のS氏より、学生文化に関する興味ぶかいコメントをいただいた。感謝。
(下記)
<文化論ではメインカルチャーがあってサブカルチャーの存在が認めらるという構図があると思います。
だとするなら、学生文化というサブカルチャーにあっても、その中を分ければ、真面目というメインカルチャーと不真面目というサブカルチャーが存在し、通常はメインカルチャーが一定の存在感を明示するが、時期によっては、サブカルチャーとしての不真面目な学生文化が顕在化し、反対にある時期には通常以上にメインカルチャーである真面目な側面が強調されて顕在化する。つまり、学生文化の不真面目な側面というのは、学生文化のサブカルチャーとしての地位しか持たない。不真面目な学生文化は異端なのではないでしょうか。
異端が正当な学問の追究者から通常の能力評価と異なる評価を得ることは、それがプラスである場合、理解できない謎とならざるを得ないと思います。なぜなら、それが異端であるということ示すものでもあるからです。
このような学生文化論は学生が増えてユニバーサル化するにしたがって階層化し、大学の序列化が一層進むように思われるのに、旧帝大は疲弊し、新規大学の新設が衰えないのはどういうことなのだろう。
大学の学生文化は大学の既存の文化とは一致しないものなのであろうか。就職という時に威力を発揮していると思われるイメージとしての大学固有の文化は今の学生文化から隔たりがあるのか?
大学の学生文化を捉えるのは容易ではないようです>

 是非、異端と正統という図式で考えてみたいと思った。同時に、以前に書いた次の文章を思い出した。

「学生文化」(サブカルチャー)は、大学文化(トータルカルチャー)との関連で、それへの適合、葛藤,反抗などを起こしつつ、発生、消滅していく存在であり、学生の成長、生活に多大な影響を与えている」(武内清編『キャンパスライフの今』玉川大学出版部,2003年、169頁)*。

*この本は、9名の研究仲間と書いたとてもいい本(装丁も素敵)だと思うが、今アマゾンで安く売っている。世の中の人は本の価値がわからないのか。
(http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4472302764/ref=sr_1_1_olp?ie=UTF8&qid=1372368898&sr=8-1&keywords=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%81%AE%E4%BB%8A&condition=used)

日本子ども社会学会20回大会

明日(6月29日)、明後日(30日)と、日本子ども社会学会第20回大会が、西宮の関西学院大学で開催される。プログラムは下記
http://js-cs.jp/0001/pdf/20program.pdf
多くの参加があれば、嬉しい。
共同発表ながら、久々の発表もあり、少し緊張気味。

NY Timesに Rikejo に関するのコメント

山形大学の河野銀子さん(先に紹介した「ジェンダーと学校教育」の章の執筆者)より、日本のRikejo(理系女子)に関するコメントが、ニューヨーク タイムス(NYTimes)に、載ったという知らせをいただいた。

 河野さん自身は「前後の文脈が切り取られていてコメントの趣旨が伝わっていない」と少し不満のようだが、ニューヨーク タイムズに、コメントが載るなんて、すごい。(下記に一部転載)

The topic of women entering these fields has suddenly become fashionable. They even have a nickname: “Rikejo,” roughly meaning “science women.” Publishers print magazines for young women interested in science, and there is even a novel about a “mathematics girl.”
Masao Togami, editor of Rikejo magazine, a free publication with 17,000 subscribers, said he wanted to give young women encouragement, career tips and a vision for the future. “Universities have been strengthening efforts to recruit more female students,” Mr. Togami said. “That’s clearly evident just in the last few years.”
“Rikejo fairs” aimed at high school girls have become popular. When TiTech announced campus and lab tours online last year, the slot for about 30 students “was gone in one minute,” said a university official. “We wish we could let in more.”
The tide turned around 2008, when the government began subsidized programs to support scientific research conducted by female scientists and increased funding to help universities employ more of them, said Ginko Kawano, associate professor of social education at Yamagata University