場所の空気を感じる

それぞれに場所には、その場所特有の空気のようなものあるように感じられるのは何故なのであろうか。
 それは感じる人の先入観によるもので、客観的な違いはないのかもしれない。ただ、主観だけで説明できない何かがあるような気がする。
ここからは、私の先入観や偏見のせいも多分にあると思うが、次のような場所による違いを感じることがある。
① 東京の山の手と下町では、何か空気が違う。芥川は下町育ちなのに無理して、山も手の文化にコミットして、失墜して自殺したという吉本隆明の分析もある。
② 乗る路線により、電車の車内の空気が違う。私の場合は、総武線に乗ることが多いのだが、中央線に乗ると垢抜けた明るい空気を感じる。同じ地下鉄の丸の内線の車内も
銀座を拠点に新宿方面に向かうと洗練さを、池袋に向かうとダサさを感じる。
③ 千葉の海と湘南の海では、(残念ながら)明るさや洗練度が違う。サザンのような明るい音楽は湘南のもので千葉からは生まれない。
④ 軽井沢には、独特の文化、空気を感じる。人や建物だけでなく、そこに植わっている植物にも上品さを感じる。軽井沢から蓼科に行って時、歴史がなく、明るさだけがあるように感じたしたことがある。軽井沢でも北の方のNという地域には、妖気のようなものを感じたことがある。
⑤ 大学も構内に足を踏み入れただけで、空気が違う。先週土曜日早稲田大学の構内を歩いたが、何か知的な逞しさを感じた。多くの早稲田の卒業生の顔が浮かんだ。

 以上、偏見に満ちた非科学的なことを書いてしまったが、空気というものは全体的なもの総合的なもので、皆が同じように感じることがあるのかもしれないとも思う。

電子黒板の実演

今、教育現場にデジタル化の潮流は流れ込んでいる。特に、電子黒板は一番手軽で、見易く、児童・生徒たちの興味をひくことであろう。
これから教師を目指す学生にとって、電子黒板(プロジェクターを使う場合もある)に関する知識と技術を身に付けておくことは必須であろう。
そこで、今週の私の授業(「教育課程論」)では、電子黒板を使っての授業を、最新のデジタル教材を使って実演してもらうことにした。

日時 2016年1月13日(水) 13時~14時30分 (3時限)
教室 敬愛大学3号館3階  3301 教室  
授業名 「教育課程論」(武内清 担当) 
実演 東京書籍株式会社ICT事業本部 事業開発部  

放送大学の大学院

放送大学には、大学院課程がある。その修士課程の口頭試問の会(岡崎友典氏担当)を今日は、オブザーバーで見学させていただいた。
口頭試問といっても、個別の試問ではなく、公開発表会のようなもので、執筆者が自分の論文の要旨を報告し、それに質疑が行われるというものである。院生は、それぞれ自分の職業と関連するテーマで修論を書いていて、内容に熱い思いが込められている
今回は、10名ほどの発表があり、主任教授の岡崎氏の他に、2名の教員(永井氏、夏秋氏)の厳しい質問とコメントがあり、院生の今後の研究に役立つことが多く議論されていた。
口頭試問が終わった後の懇親会の雑談でも、社会人ならではの有意義なおしゃべりが続いた。例えば、次のような話は印象に残っている。
「子ども教育の責任は、家庭にあるとした新教育基本法は、ある種の教師にとっては歓迎すべきものであろう。なぜなら、教育の責任は家庭にあり、自分達にないのだから」「上海では、万博の時、スラム街が一掃されきれいになったが、それが終わるとまた人々が戻って来て、元に戻った」「江戸の時代は、いろいろ隙間の仕事があり、皆何とか食べていけた。今は、そのような仕事はなくなり、生きにくい社会になっている」「自立とは、何でも自分でやるということではなく、自分のできないことを人に頼める能力である。自立の反対は依存ではなく孤立である」
 社会人になっても、学ぼうとする意欲の高い人たちの意気込みや見識には、教えられることが多い。

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八方除けのお祓い

<数え年9の倍数の年は「八方塞がり」の年。厄年と同じように、色々と新しいことをするには向かない年だとか。><八方塞がりの年は、物事を始めるのによくない年周りと言われていて、生活環境が変わる人は特に注意が必要。対策として、八方除け(厄除け・厄祓・厄払い)の祈祷やお祓いをして貰う、または、厄除けお守りを持ち歩く、などがあるようです。>(ネットからの転載)

 上記をどの程度信じていいのかわからないが、私の歳は八方塞がりの歳とのことなので、今日は家の近くの稲毛浅間神社に行った折、八方除けのお祓いをしてもらった。
 他のお祓いの人と一緒にお祓いをしてもらうのだが、名前を読み上げてもらったり、いろいろお札やお守りをもらったりで、なかなかいい体験だった。

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新年の集い

いつの頃からか、大学でも新年の集いというものが開かれるようになった。それは、大学置かれた厳しい状況を乗り切る為に、教職員一丸となって乗り切ろうという決意を固めるような儀式で、理事長の話しが最初にあり、後は新年の祝宴となる。
敬愛大学でも、学園の教職員の集まりである新年の集いがあり、理事長の挨拶の後、学生の合唱やダンス、歌手の独唱、懇親会が開かれた。
学園や大学の一体感や団結をはかるために、なかなかいい会だと感じた。また、同時に「そんな暇があったら研究をする」と、欠席する教員が少なからずいるのも、大学らしくていいと思った。

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