定年後の社会貢献活動

私の世代では、定年後の過ごし方に関していろいろ工夫している。仕事をしている時にできなかった趣味に没頭している人が一番多いと思うが、社会貢献の活動行っている人も、少なからずいる。自分のそれまでの専門を生かした形の小さな組織を作り(NPOにする場合もある)、ネットでも発信し、社会的な活動を行っている。以下では、私の知り合いの活動を3つほど紹介しておきたい。前の2つは元大学教員の活動で、最後は民間の教育関係の企業に勤めていた人の活動である。いずれも、社会的、地域的な絆を強めようとする有意義な活動である。

「馬居教育調査研究所」(www.uer-labo.jp/

「㎡&㎡研究所」(https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/104000421

「未来メッセージ社」(message.ne.jp/message/index.html)

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桜の開花

一昨日(3月18日)に、飛行機の離着陸が真近かで見られる成田の「さくらの山公園」に行ったが、桜はまだ開花していなかった。昨日(3月19日)家の近くの桜を朝見た時は、開花はまだと思ったが、お昼には一気に開花して、ちょうど卒業式を終えた小学生や中学生が、学校の桜の下で、写真を撮る姿が見られた。

千葉でこのような状態なので、東京の桜はもう満開のことであろう。このコロナウィルス騒ぎで、各種の会合が中止になり、電車に乗り東京に行くこともなくなったが、例年見る千鳥が淵の桜は是非見てみたい。でもコロナが怖い。

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文脈の大切さについて

話ことばでも書きことばでも、前後の文脈がわからないと何を言っているのかわからないことが多い。逆に言うと、前後の文脈がわかっていれば、語られた内容が、明確に聞き取れないあるいは読み取れなくても理解できる場合がある。このように前後の文脈を知っているかどうかということは重要なことである。

外国語の理解の場合は、それが一層顕著である。語られたあるいは書かれた外国語の内容が理解できるかどうかは、個人の語学力に帰されることが多いが、そうではなく、文脈の理解の有無による場合も多い。したがって個人の語学力を判定するのであれば、前後の文脈によらない論理的な内容の理解を問うべきであろう。

実際の大学入試の問題に、映画やドラマの中の会話を出す大学があると聞く。きっとそれは出題者の心を動かされた映画やドラマを使っているのであろうが、前後の文脈を無視して、映画やドラマのある部分を切り取り、そこの会話を穴埋めさせても、それは正しい語学力の判定にはならないのではないか(このようなことをするのは外国人教師が多いのかもしれない)。

「(それは)標準英語から外れている表現があったり、話の途中から出してくる上に、そもそも映像がないので内容がよく分からなかったりで、解答する側(受験生)からすると迷惑なタイプの問題です。解答の客観的根拠も出しにくい」という専門家の声も聞こえてくる。文脈を大切にしてほしいものである。このような問題を出すのなら、その前後の文脈をきちんと説明する必要があろう。一般に国語の問題で、長い文章が出題されるのは、文脈を大切にしているからであろう。

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Gleeの続きを見る(その4)

アメリカのテレビドラマGleeについて、私のブログで3回ほど言及している(2017/8/15,2017/9/24,2018/6/3).(下記に一部再掲)

「<『glee/グリー』は、20世紀フォックステレビジョンで制作されフォックス放送で放送された米国のテレビドラマシリーズ。2009年5月19日から2015年3月20日にかけて全121話が放送された。英語の “glee” とは「自分を解放し歓喜すること」また合唱部の「合唱」のことであるが、本作におけるグリー(合唱)とは、チーム一丸となり歌とダンスの芸術性を競いあうパフォーマンスを意味する。」「これはアメリカの公立高校が舞台であり、アメリカの高校生の生徒文化の実際がわかる。gleeでは、アメリカの高校の授業場面は、あまり出てこないが、一番出てくるのは、合唱とダンスの練習と発表会、ロッカーのある廊下の生徒たちの人間模様、人間関係である。」(2017/8/15)。「異質なものを偏見なく取り入れその中に没入し、その良さを体得した後、自分たちの本来のものに立ち返り、何が大事かを模索するGleeの姿勢には、教えられるものがある。(2017/9/24)。「アメリカの高校のグリークラブのメンバーが、毎回ドラマをまじえていろいろな曲をダンスと一緒にカバーするもので、ドラマもダンスも歌もよかった。登場人物が多様で、人種、民族、性(趣向)、障がい者など多様な生徒が、教師の協力も得て1つのクラブとしてさまざまな困難に立ち向かい、毎回違った曲を歌い、それに合わせたダンスを踊っていく姿には、感動を覚える。」(2018/6/3)。

最近ネットフリクスでこのドラマが無料で見られることを知り(アマゾンだと1回分150円のレンタル料)、1日に1回分あるいは2回分見るようになった。現在見ているのはシーズン5~6で、舞台は、ニューヨークであったり、ホームカミングデイで訪れた高校だったりする。主役だったフィン役のコリー・モンティスが途中で亡くなり、今は準主役だった何人かにスッポトライトが当たり、その友情物語が主要なテーマになっている。さまざまな恋愛関係(ゲイ、レスビアンのカップルもいる)も描かれているが、それより友情が最高の価値のように描かれ、友人同士の壮烈なケンカもありながら、友達の励ましを支えに、どん底から立ち直る姿には共感を覚える。最初の頃より、歌やダンスが数段上手になっているような気がする。

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清水睦美・堀健志・松田洋介他『震災と学校のエスノグラフイ―』(勁草書房、2020)を読む

半世紀以上前のことになるが、学部時代に読んだ専門(教育学)の本で一番感銘を受けたのは、卒論のテーマも決まらず悶々としていた4年生の秋に読んだ本、木原健太郎『教育課程の分析と診断』(筑摩書房、1958年)である。当時の教育社会学の研究室の先生たちの関心は「経済発展と教育」や「社会開発と教育」といったマクロなところにあり、そのマクロな問題がミクロな人々の関心や心理とどのように結びつくのかわからなかった私は、教育社会学への関心を失っていた。教育実習に行った直後、偶然図書館で手にした『教育課程の分析と診断』は、教育社会学にもこんな面白い本があるのかと驚いた。

その内容は、教育社会学の研究者の木原健太郎氏が、名古屋の小学校に通い、一つのクラスの授業と子どもたちの様子を丹念に記録に残したものである。授業を手作りのアナライザーで分析し、教師と子どもの関係、子どもたちの集団構造をデータで明らかにし、教室の様子、教師と子どもたちの思いも生き生きと記録に描いている。学校社会学の祖と言われるW.ウオーラーの『学校集団』に触発されてての研究とのことであるが、実証的なデータ分析とその生き生きとした学級集団の描写に魅せられた。

その後日本の教育社会学の分野でも、エスノグラフィー研究という形で、優れた研究が続いていった。その流れの1つだと思うが、今回清水睦美・堀健志・松田洋介他『震災と学校のエスノグラフフィ―』(勁草書房、2020年)を著者から贈っていただき、読む機会があった。とても素晴らしい本で、昔、木原先生の本を読んだ時の感動を思いだした。

次のような礼状を書いた。<このたびは『震災と学校のエスノグラフイ―』(勁草書房、2020)をお送りいただきありがとうございました。とても感銘を受け、現在1章ずつ、丹念に読み進めています。読みやすい内容ですが、いろいろ教えられること、考えさせられることがたくさんあり、安易には読めないなと感じています。清水さんの生徒の作文の分析や堀さんの教師のインタビューやその他のエスノグラフイ―分析の見事さに、驚いています。被災状況や人口動態、進路選択などのマクロ分析も精緻になされています。またその分析の背後の理論的な枠組みは、教育社会学の理論や最新の社会学の枠組みが的確に入っていて感心しました。この理論枠組みが共同研究者の中に共有され、全体に筋が通り、いい本に仕上がっていることを感じました。皆さんの研究と教育に対する熱い思いと冷静な分析がマッチして、とても素晴らしい、歴史に残る著作になっていると思います。>-

勁草書房のサイトには、<東日本大震災後、学校は災害経験とどう向き合ってきたのか。陸前高田の中学校における8年にわたるフィールドワークを基に描き出す。/被災の前後で、学校のありようはどう変わり、変わらなかったのか。統計データ分析、中学校におけるエスノグラフィー、教師インタビュー調査、生徒の作文の分析等により、教師・生徒にとっての震災経験の位置づけや学校文化の変容を明らかにする。また、近代教育システムとの関連で、災害が近代学校に何をもたらしうるのかを検討する。>と、紹介されている。(www.keisoshobo.co.jp/book/b498138.html)

本書の魅力の1つは、震災以降の学校教育が、教育社会学の手法で分析されていることである。それは、「個々の教育実践は社会的に規定されているという視点であり、ある程度の自律性を有した教育システムが成立しており、そのシステムに制約されながら、実践がつくられていく様相を重視するという視点である。これは教育社会学が近代教育システムという近代特有の学校制度を主たる対象にしてきたことと関わっている」と、松田洋介氏は述べている(10ページ)。しかし、このことは教師の教育実践を軽視することではない。「個々の学校は、それぞれの学校が置かれた社会的文脈にそくして変化する。そして、そうした個々の学校の変化が、教育システム全体の変化にいかに連動しているのか/自律しているのかを追求することは教育社会学の中心的な課題のひとつである」(11頁 同)。「ローカルレベルでしばしば生起する文脈志向のペタゴジーが、(近代教育システムが基本にする)脱文脈志向のペタゴジーが支配する教育システムのあり方を変えること可能性も追求する」(14頁、同)と、バーンステインの文脈志向ペタゴジーvs脱文脈志向のペタゴジーという分析枠が興味深い。さらに分析では、<震災からの自由(震災の忘却)>と<震災への自由(震災経験の乗り越え)>という2つの力学の葛藤という視点、子どものヴァルネラビリティやレジリエンスという視点が、全体の分析に貫かれ、その具体的な様相がエスノグラフィーデータで考察されている。その他、興味深い分析が盛りだくさんで、多くのことを教えられる。東日本大震災からちょうど9年が経過した今―2020年3月に―、読むのにふさわしい本でもある。

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