昔の自分の書いたものを読む

自分が昔書いた原稿を後になり何度も読み返す場合もまれにあるが、多くの原稿は書いたことも忘れてしまうことが多い。

今回、たまたま友人の馬居政幸氏から、「私が『今年の青少年問題から考える』という原稿を書いた『青少年問題』第38巻 (1991年12月号)に、武内先生は「青少年の友人関係とテレビゲーム」を執筆されています。覚えておられますか」というメールをもらい、(全く忘れていた)30年前に書いた自分の原稿も読み返す機会があった。とても不思議な感覚で、今の自分が30年前の自分(半分他人)を冷やかに見ているという感じであった。自分と関係があるようで自分とは無縁のような人が、こんなことを考え、こんな文章を書いていたのだと。

一方、今から25年前に、家族で1年間過ごしたアメリカでの生活は強烈に覚えていて、その記録を書いた「アメリカの教育事情」(上智大学教育論集30号、1996)は今読み返しても違和感はない。(再掲)

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定年後の社会貢献活動

私の世代では、定年後の過ごし方に関していろいろ工夫している。仕事をしている時にできなかった趣味に没頭している人が一番多いと思うが、社会貢献の活動行っている人も、少なからずいる。自分のそれまでの専門を生かした形の小さな組織を作り(NPOにする場合もある)、ネットでも発信し、社会的な活動を行っている。以下では、私の知り合いの活動を3つほど紹介しておきたい。前の2つは元大学教員の活動で、最後は民間の教育関係の企業に勤めていた人の活動である。いずれも、社会的、地域的な絆を強めようとする有意義な活動である。

「馬居教育調査研究所」(www.uer-labo.jp/

「㎡&㎡研究所」(https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/104000421

「未来メッセージ社」(message.ne.jp/message/index.html)

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桜の開花

一昨日(3月18日)に、飛行機の離着陸が真近かで見られる成田の「さくらの山公園」に行ったが、桜はまだ開花していなかった。昨日(3月19日)家の近くの桜を朝見た時は、開花はまだと思ったが、お昼には一気に開花して、ちょうど卒業式を終えた小学生や中学生が、学校の桜の下で、写真を撮る姿が見られた。

千葉でこのような状態なので、東京の桜はもう満開のことであろう。このコロナウィルス騒ぎで、各種の会合が中止になり、電車に乗り東京に行くこともなくなったが、例年見る千鳥が淵の桜は是非見てみたい。でもコロナが怖い。

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文脈の大切さについて

話ことばでも書きことばでも、前後の文脈がわからないと何を言っているのかわからないことが多い。逆に言うと、前後の文脈がわかっていれば、語られた内容が、明確に聞き取れないあるいは読み取れなくても理解できる場合がある。このように前後の文脈を知っているかどうかということは重要なことである。

外国語の理解の場合は、それが一層顕著である。語られたあるいは書かれた外国語の内容が理解できるかどうかは、個人の語学力に帰されることが多いが、そうではなく、文脈の理解の有無による場合も多い。したがって個人の語学力を判定するのであれば、前後の文脈によらない論理的な内容の理解を問うべきであろう。

実際の大学入試の問題に、映画やドラマの中の会話を出す大学があると聞く。きっとそれは出題者の心を動かされた映画やドラマを使っているのであろうが、前後の文脈を無視して、映画やドラマのある部分を切り取り、そこの会話を穴埋めさせても、それは正しい語学力の判定にはならないのではないか(このようなことをするのは外国人教師が多いのかもしれない)。

「(それは)標準英語から外れている表現があったり、話の途中から出してくる上に、そもそも映像がないので内容がよく分からなかったりで、解答する側(受験生)からすると迷惑なタイプの問題です。解答の客観的根拠も出しにくい」という専門家の声も聞こえてくる。文脈を大切にしてほしいものである。このような問題を出すのなら、その前後の文脈をきちんと説明する必要があろう。一般に国語の問題で、長い文章が出題されるのは、文脈を大切にしているからであろう。

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Gleeの続きを見る(その4)

アメリカのテレビドラマGleeについて、私のブログで3回ほど言及している(2017/8/15,2017/9/24,2018/6/3).(下記に一部再掲)

「<『glee/グリー』は、20世紀フォックステレビジョンで制作されフォックス放送で放送された米国のテレビドラマシリーズ。2009年5月19日から2015年3月20日にかけて全121話が放送された。英語の “glee” とは「自分を解放し歓喜すること」また合唱部の「合唱」のことであるが、本作におけるグリー(合唱)とは、チーム一丸となり歌とダンスの芸術性を競いあうパフォーマンスを意味する。」「これはアメリカの公立高校が舞台であり、アメリカの高校生の生徒文化の実際がわかる。gleeでは、アメリカの高校の授業場面は、あまり出てこないが、一番出てくるのは、合唱とダンスの練習と発表会、ロッカーのある廊下の生徒たちの人間模様、人間関係である。」(2017/8/15)。「異質なものを偏見なく取り入れその中に没入し、その良さを体得した後、自分たちの本来のものに立ち返り、何が大事かを模索するGleeの姿勢には、教えられるものがある。(2017/9/24)。「アメリカの高校のグリークラブのメンバーが、毎回ドラマをまじえていろいろな曲をダンスと一緒にカバーするもので、ドラマもダンスも歌もよかった。登場人物が多様で、人種、民族、性(趣向)、障がい者など多様な生徒が、教師の協力も得て1つのクラブとしてさまざまな困難に立ち向かい、毎回違った曲を歌い、それに合わせたダンスを踊っていく姿には、感動を覚える。」(2018/6/3)。

最近ネットフリクスでこのドラマが無料で見られることを知り(アマゾンだと1回分150円のレンタル料)、1日に1回分あるいは2回分見るようになった。現在見ているのはシーズン5~6で、舞台は、ニューヨークであったり、ホームカミングデイで訪れた高校だったりする。主役だったフィン役のコリー・モンティスが途中で亡くなり、今は準主役だった何人かにスッポトライトが当たり、その友情物語が主要なテーマになっている。さまざまな恋愛関係(ゲイ、レスビアンのカップルもいる)も描かれているが、それより友情が最高の価値のように描かれ、友人同士の壮烈なケンカもありながら、友達の励ましを支えに、どん底から立ち直る姿には共感を覚える。最初の頃より、歌やダンスが数段上手になっているような気がする。

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