お正月の富士山とカモメ

正月には、富士山が見たくなる。うちから一番近くで富士山を見ることができるのは、車で15分ほどところにある検見川浜である。今日(4日)は、天気がよかったので、卓球の初打ちを1時間で切り上げて、検見川浜に行った。

白い雪を被った富士山がいつもより大きく見えた。浜では、たくさんのカモメが日向ぼっこをしていて、それにパンを小さく切ったものをやると、数十匹が集まってきて、我先に食べようとする。それに鳩も混ざっている。かなりの量を持っていったつもりがアッという間になくなり、私達が食べる分までおすそ分けした。少しでも空いたお腹を充たしてくれたのであれば嬉しい。お正月を穏やかな千葉の浜で、シドニーから里帰りした孫たちとのんびりと過ごした1日であった。

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風の便り87-新年号

高齢になってから感じることは多々あるが、その1つに自分はなんて無知なんだろうということがある。専門以外の本(特に小説や評論)は、興味に任せ読んできたつもりであるが、最近人から聞いたり新聞を読んだり、生成AIに聞いたりしてはじめて知ることは多い。

辻秀幸氏の「風の便り87」は、お正月特集で「神様ほとけさま」の話であるが、辻氏の書いていること、つまり「観音とは最高位の『ほとけ』にはあと一歩の菩薩という修行段階の姿の1つです。様々な菩薩か手分けして、忙しいほとけ様のお手伝いをします」「『仏・ほとけ』とはお釈迦様のことを指します。修行中でまだほとけになっていない観音、地蔵や警護役の四天王、仁王や、人間であるお坊さんの像は厳密には仏像ではありません」ということは、はじめて知った。高齢者こそ、生涯学習でいろいろなことを学ばなけれならないのかもしれない。生成AIにも聞いてみた。

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新年のご挨拶

 新年明けましておめでとうございます。 皆さまにとって、今年がよい年でありますように。 今年もよろしくお願い致します。

 元旦には年賀はがきの年賀状をもらい、長く会っていない友人や教え子や知り合いの心のこもった一言を読み、近況を知ることは、大きな喜びである。

 しかし、皆年賀状書きは忙しい年末に負担になっているのではないか、長年続き辞めるに辞められないのではないかと思い、私の高齢を理由に「年賀状は今年限りにします」と添え書きをした。人生の1つの楽しみを失ったような喪失感もあるが、ネットの時代、はがきの年賀状以外の他の手段を考えたい。WEBの年賀状は昔流行った時もあるが、今は少なく私が今年受け取ったものは3通だけである。

私の場合、ブログに近況を書いているので、それを読んでいただければありがたいが、アドレスを探すのは面倒だし、わざわざ日記状態の人のブログを読む気はおこらないであろう。万が一読んでもメールアドレスがわからず返信できない。やはり、1年に1回近況を伝える年賀状は価値があるのであろう。季節の挨拶を、生きている証にどこかで出したいと考えている。これまで長く年賀状を送っていただいた皆様に心より御礼申し上げる。

 

歴史的な彫刻や造形物の表象するもの

私は、彫刻に関して、また歴史的な記念の造形物に関しても、特にその意味を考えるということはしてこなかったように思う。12月26日の朝日新聞の朝刊には、彫刻家の小田原のどか氏の「モニュメントあるだけでは」というインタビュー記事が掲載され、次のような言葉が掲載されていた。<「ある造形物や空間が、なぜ、何をどのように表象しているのかについて、思いを致したことはあるでしょうか」 「たとえば、あの長崎の平和祈念像を制作した彫刻家の北村西望は、戦意高揚の作品も制作していました。戦前・戦中は、国策遂行を後押しするための作品を作った芸術家がたくさんいました。その一人が戦後、平和を表象しようとしたのが、あの巨大で男神像的な造形だった。そうした背景を考えるかどうかで、あの像が表象しているものが、また違ってみえてくるのではないでしょうか」> 小田原氏は、「この作品にはどんな意味があり、なぜ今これを作らなければならないのかということを,可視化していくことが必要ではないでしょうか」「芸術家が何に加担しているのかが、つねに問われるべきだと考えます」と述べている。

そこで、この小田原氏の意見を、生成AIはどのように考えるか、聞いてみた。回答は以下。

NHKの夜ドラ「ひらやすみ」の魅力

テレビのドラマは、決まった曜日や時間に放映されるので、視聴すると毎日の生活を規則正しくするのに役立つ。さらにNHKのドラマは、なかなか質のいいものが多く、しかもコマーシャルがないので、落ち着いてみることができる。最近終わってしまったが、月曜から木曜日の夜10時45分からの「夜ドラ」の「ひらやすみ」が、心休まるるドラマで、終了しロスを感じる人が多いと聞く。私もその一人だが、アマゾンでもまとめて見ることができるので、2度見している。なぜ心が安らぐのか、WEBに載っている解説や感想の一部を、下記に転載する。

NHK夜ドラ「ひらやすみ」が4日で終了し、SNSに「ほのぼのラスト」「ゆるい生活が羨ましい」といった同作の味を改めてかみしめる声のほか、「しばらくロスるよぉ」といった喪失感、続編リクエストなどが視聴者から投稿された。/ 俳優をやめた主人公のヒロト(岡山天音)が、偶然親交を深めた一人暮らしの老女はなえ(根岸季衣)の死後に平屋を譲られる。そこに、美大入学のため上京したいとこのなつみ(森七菜)が同居。フリーターで釣り堀バイトのヒロトと、陽キャの美大生たちにどこかなじめず、モヤモヤするなつみの日常が、周辺人物もまじえて描かれた。 何気ない日々がゆる~く進んでいくドラマ。ヒロトの友人ヒデキが、家庭で子育てする妻に当たられ、仕事では同僚のモラハラ攻撃に遭って精神が壊れかかった終盤のエピソード以外、深刻な話や大きな事件、ロマンスも生じない。/ 森七菜、夜ドラ『ひらやすみ』で“こじらせ系女子”を熱演 「ぶすっと顔が可愛い」と反響続々.考察したくなるサスペンス要素もない。キュンキュンする恋愛要素もない。それでも視聴者の心を惹きつける。/  時代からとり残されてしまったものを愛する主人公の日常を丁寧に描いている。遠い未来ではなく、まずは目の前の幸せ、自分で作れる日々の喜びを追求することの大切さを描いた作品が、今の時代、特に求められているのではないかと感じる。/ 本作が描いたのは、手に届く範囲の幸せだ。「自由人」ヒロトに限らず、視聴者の誰もが大きく深呼吸して周りを見渡せば、広がっているかもしれない世界がそこにある。阿佐ヶ谷という街そのものが持っている魅力は、ヒロトが話しかける道端の猫、祭りの光景や、ヒロトが好きな歩道橋から見る景色、彼が走った月夜の路地など、そこにしかないものであると同時に、視聴者が自身にとっての特別な光景を重ねることができる余白がある光景とも言えるだろう。さらには季節を感じること。ヒロトは、突然降ってきた雨に「夏」を感じ、なつみと共に初物の栗やサンマで「秋」を喜ぶ。/「勝ち負けがすべての世界」に疲弊した、俳優だった頃のヒロトや、最終週における、会社で追い詰められ、心を病むヒデキのように、誰もが心を擦り減らし立ち止まってしまう可能性がある。 

(監督の言葉)、“決め台詞がない”。良いことを言おうとせず、私たちが日常的に使っている言葉を喋ってもらうようにしているので、そのことがのんびりとした空気感を作り出せているのかもしれません。原作自体が、世の中の価値観とは違うところで生きている人たちの物語で、また「身の回りの小さなことを大切にしながら生きていく」ということを示している内容に感じたので、そこは大事に描きたいなと。/“社会から見られる自分を大切にする”というよりは、“自分が見ている世界を大切にする”ということは意識して、ドラマを制作していますね。