ジェンダーに関するPCに関して生成AIに聞く

ジェンダーに関するポティカル・コレクトネス(PC)に関して、今アメリカのトランプ大統領の発言や日本の参政党の躍進で、いろいろ議論になる気配がある。チャトGPTにいくつかの質問をしてみた。(回答は、正しいかかどうかはわからないが、そのまま掲載する)

ChatGPTのまとめの言葉ージェンダーPCは、時に議論を巻き起こすテーマですが、それだけに社会の価値観の変化や葛藤、そして教育の意義を深く考えるきっかけになります。多角的に比較しながら検討する姿勢は、とても大切なことです。

 風の便り82

毎月1日に送られてくる辻秀幸氏の「風の便り82」を掲載する。今回は花の「なでしこ」が取り上げられている。花とジェンダーの関係も考察されていて興味深い。私も例によって生成AIにそのことを尋ねてみた。

質問と回答の要約―①男性を花にたとえる表現(伝統的にはほぼ存在しないが、牡丹・梅など例外あり)、②フランス語の花の性別(大多数が女性名詞だが、le lys など男性名詞もある、③なでしこジャパンの由来     (「大和撫子」の精神を女子サッカーに重ねた愛称(2004年命名)

消費税を下げるべきか、国民に一律給付をすべきかー生成AIに聞く

上記のことに関して、生成AIに意見を聞いてみた。

質問ー先の参議院選挙で、消費税を下げるべきか(A)、国民に一律給付をすべきか(B)、野党と与党で見解が違っていました。このAとBで、その手続き(実行を含む)の費用は、どのくらい違うのでしょうか(その仕事は主に公務員がするにしろ、それを時給で費用に換算して)。また今AIの技術が向上しているので、それをある程度AIにやらせれば費用は節約できると思いますが。そのような経済的な検討はなされているのでしょうか?

チャトGPTの回答は以下 

近所の夏まつり、盆踊り

 私の住んでいる地区でも、昨日今日(7月26,27日)は、夏祭りがあった。近所の小さな公園にやぐらが組まれ、昼間はお神輿が出て、夕方から盆踊りが行われていた。地域の老若男女がそれぞれ集い、楽しんでいた。やぐらの上で踊っているのは年寄りの女性、周りで踊っている人も年寄りが多いが少し若い人もいる。やぐらの上で太鼓を叩いているのは小学生。屋台もいろいろ出ていて、子どもたちは綿あめ、かき氷、焼きそば、おもちゃ等を買い求め、嬉しそう。大人はビール。実家を久しぶりに訪れたらしい親子ずれも多くみられた。女の子の浴衣姿も多く、中学生の男女がにぎやかに集いはしゃいでいた。盆踊りを中心に、それぞれが楽しんでいるようで、夏まつりの情緒を感じた。以下は、WEBで「盆踊り」の項を検索すると出てきた説明(一部 抜粋)

<そもそも盆踊りとは、お盆の時期にお迎えしたご先祖様の霊をもてなし、一緒に過ごして送り出す行事です。夏のイベントの1つではありますが、ただの踊りではなく神聖な行事といえます。盆踊りの由来は、仏教の「念仏踊り」だとされています。民俗芸能がお盆と結びつき、現代の盆踊りになります。お盆にちなみ8月15日に踊って、16日にご先祖様の霊を送り出すという流れです。室町時代から始まったものであり、およそ500年の歴史を持つ厳かな行事の1つといえます。/ 盆踊りはご先祖様のおもてなしをするという意味合いのほかに、地域の人々との交流という要素もあわせ持っています。これは家を出て独立している人が久しぶりにお盆の時期に帰省し、盆踊りで旧友と再会したり、近所の人々と楽しく会話して踊ったりすることで仲を深められるからです。また、江戸時代からは、男女の出会いの場としての機能も果たすようになりました。/ 盆踊りは基本的に誰でも気軽に参加できるイベントです。地域によっては踊り手が決められている場合もありますが、ほとんどの場合、飛び入り参加がOKとなっています。そのため「初めは踊る気がなかったけど、見ていたら踊りたくなった」と途中参加する人も多いです。/ 盆踊りは足の動きが一番のポイント!盆踊りの動きは手よりも足の動きに重点を置いて振り付けられています。これは「地上にいる人間が地面を踏むことで、お盆にお迎えしたご先祖様の霊を封じ込める」という意味の振り付けです。楽しそうに見える盆踊りですが、ご先祖様を送り出す儀式でもあるため、少し切ない雰囲気も漂わせています。また反対に、お盆に入り霊を迎えるときに踊る「舞」は、手を中心とした振り付けです。盆踊りは普段着でも大丈夫ですが、テンションを上げるなら、ぜひ浴衣で参加してみてください。写真映えしますし、より一層楽しい時間を過ごせるはずです。>>https://haa.athuman.com/media/japanese/culture/2284/

KODAK Digital Still Camera

 床屋に行くのが苦痛

 床屋に行くのが苦痛。その理由の第一は、(お金を払うとはいえ、)自分の為に誰かが何かをしてくれる(自分は奉仕されるままになっている)ということが申し訳なく感じ、なるべくそのような機会を避けたいと思う。同じ理由でタクシーにも乗りたくない。(1対1というのがどうしても苦手だ。他の人と一緒ならかまわない。)。もう一つの理由は、散髪してもらっている間、自分の姿をずーとみていなくてはらないのが苦痛。普段自分の顔を見るのは朝、顔を洗う時くらいで、30分以上自分と対面しているのは耐えられない。それで、いつも髪は伸び放題でぼさぼさになり、その時点で仕方がなく床屋に行く。今日は、久しぶりに近所の床屋に行った。そこは時間が短くていい。昔アメリカで床屋に行った時、鏡を背にして座ることを思い出した(終わると椅子を回転し、散髪後の姿を見ることができる)。その理由を、例によって生成AIに聞いてみた(最初は箇条書の回答だったが、エッセ風にも直せるというのでそれをお願いした)。以下がその質問と回答(なかかな見事な回答で感心した)。。

質問―日本の床屋では、鏡に映る自分と向き合いますが、アメリカの床屋では、鏡を背にして座ります。この違いは何を意味していますか。他の国はどうでしょうか。わかる範囲で教えて下さい。

チャトGPTの回答(エッセ風)  鏡の向こうに映る文化——日本とアメリカの床屋に見る「自己」と「他者」の関係

理髪店の椅子に座ったとき、あなたは鏡の自分と向き合うだろうか、それとも鏡に背を向けるだろうか。この一見些細な違いの中に、実は私たちが生きる文化の深層が潜んでいる。

日本の床屋では、客は最初から最後まで鏡に向かって座る。髪が切られていく過程を、客自身が逐一確認できる。変わっていく自分の姿を見つめながら、「ここをもう少し短く」「この部分は自然に流してほしい」といった対話が交わされる。理容師と客のあいだにあるのは、技術に対する信頼だけではなく、一緒に仕上がりを作っていく共同作業の感覚だ。/このようなスタイルは、日本人の価値観をよく表している。すなわち、丁寧な確認と自己管理を重んじる姿勢、「おもてなし」や「見た目の清潔感」といった外見への配慮が、カット中の鏡越しの自己確認という形に表れているのだ。鏡の中にあるのは、単なる外見ではなく、社会に出ていく「整えられた自己」である。

一方、アメリカのbarbershopでは、鏡を背にして座るのが一般的だ。理容師は無言で手を動かし、客はリラックスして雑談を楽しむ。カットが終わった後、椅子がくるりと回され、初めて鏡の中の自分と対面する。「どうだ、カッコよくなっただろう?」という理容師の誇らしげな表情がそこにある。/このスタイルもまた、アメリカらしい。プロフェッショナルへの信頼、プロセスより結果を重視する価値観、そしてbarbershopがただのサービス提供の場ではなく、地域社会の社交空間であるという文化が反映されている。鏡に映る自分を逐一確認するよりも、信頼する理容師に任せ、完成した自分に驚くことがアメリカ流の美意識なのだ。

フランスや韓国、中国など他の国々も、それぞれの文化的背景に基づいたスタイルを持っている。フランスでは、美容室では鏡に向かうのが一般的だが、barbershop的な空間ではアメリカ式も見られる。美は自己表現であり、他者の目を意識した演出でもあるというヨーロッパ的価値観が、そこにある。韓国では日本と同様、鏡に向かうスタイルが主流だが、それは美容に対する高い意識と、自己演出への強い欲求を映し出している。中国では、地域や価格帯により両方が混在するが、効率とコスト重視の合理主義が、鏡を背にするスタイルに表れていることもある。

鏡の向きは、単なるインテリアの違いではない。それは、私たちが「自己」をどうとらえ、他者との関係をどう結ぶかの表れである。自分を見つめながら整えていく日本的スタイルと、完成した自分を信頼して託すアメリカ的スタイル。そのどちらにも、それぞれの文化が育んできた「人間のあり方」が映っている。/鏡の前に座るとき、そこに映るのはただの顔ではない。そこには、その人が属する文化が、静かに姿を現しているのだ。