余計なおせっかい?

「自分にしてほしくないことを、人にしてはいけない」というのは、子どもへのしつけや道徳教育で言われると思う。
それでは「自分にしてほしいことを、人にしなさい」というのは正しいことであろうか。
昔家族でアメリカのマディソン(U.W.)で1年過ごした時、そこのアメリカ人からたくさんの恩恵を受けた。いろいろな行事に誘ってもらったり、家に招待してもらったりと。異国で土地勘もなく、知り合いも少ない中で、それらの招待や誘いは大変有難かった。
ただ、その恩恵は一方的なもので、お返しができないのがもどかしかった。その分、もし同じ人でなくても、外国の人が、日本に来たときは、そのお返しをしたいと思っていた。
最近、隣の家にアメリカ人が滞在しており、暇そうにしている時もあるので、「うちの家族と一緒にバラ園にいきませんか」とか、「海を見に行きませんか」と誘ってみることがある。その人は、その誘いの半分くらいには応じ同行し、「親切にしてくれて、ありがとう」とお礼を言うのであるが、誘いに少し迷惑を感じているのではないかと思う時もある。(http://www.iamalive41.com/)
人それぞれ、生活のペースや好みはあるものだし、自分の好み(自分が外国に行った時してほしいこと)を人に押し付けるのは、たとえそれは親切心からであっても、余計なおせっかいなこともあるのかもしれない。

自分にしてほしくないことは他人もしてほしくないことであることは多いが、 自分にしてほしいことは、他人もしてほしいことではないことも多く、「自分にしてほしいことを、人にしなさい」とは言えないかもしれない。

追記(6月2日)

ただ上記も日本人にありがちな遠慮だったかもしれない。彼女の滞在記(ブログhttp://www.iamalive41.com/)を読むと、下記のように、私達の家族の「おせっかい」も楽しんでくれたようで、それならもう少し、誘っておけばよかったと今は思う。
I made friends with the family across the street and they took me on several outings including two very nice flower gardens, a gigantic mall, and they invited me to their backyard BBQ dinner. Three generations live in the same house and one daughter is in Tokyo. The entire family speaks fluent English, which was refreshing…even the three-year-old grandson…who is the sweetest little boy and can sing Row Row Row Your Boat like a professional!

IMG_2318(Y 歌)

 

 

下流老人化社会の「賢い」選択

ペットはいつまでも可愛く、また飼い主を裏切らないが、子どもは大きくなれば親に反抗するし、親を裏切らないまでもいつまでもやっかいをかけ、老後の面倒もみてくれないかもしれない。それならば、子どもを産むよりはペットを飼った方がいいと考える人も、少なからずいるであろう。
話題になっている藤田孝典『下流老人』(朝日新書、2015)を読んでみた。その中に「子ども一人あたりの教育費」は、大学まで出すと、すべて国公立の場合1015万円、すべて私立(大学は理系)の場合2466万円で、子どもを持たなければ(「出産しないという’合理的選択‘をとれば)その分だけ自分の老後の資金に回せ、「下流老人」になるリスクが少なくなる、というようなことが書かれていた(43ページ)。
もちろん子どもを持つことは自分の老後の為ではないが、子どもがいるといつまでも手がかかり、さらに自分達の老後の面倒もみてくれそうもないとすると、夫婦は子どもを持たない方が、さらに結婚せず独身でいる方が、今の下流老人化社会においては「賢い」選択ではないかとも思った。

水沼文平さんより、上記の文章にコメントをいただいた。その一部を転載させていただく。
先生のブログ《下流老人化社会の「賢い」選択》を拝見しました。
親と子の問題のことを考えるたび、安部譲二の「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」という言葉で後悔の念を薄めてきました。「子を持って知る親の恩」という諺がありますが「親孝行、したいときに親はなし」も身につまされる諺です。子どもとは「親不孝な者」「何も期待してはいけない者」「ひたすら親に要求してくる者」と思ってしまえば、子どもたちの身勝手も納得がいくというものです。
結婚しても子どもを作らないどころか未婚の男女が増えています。理由として女子に圧倒された“草食男子”の増加、‟Y染色体“の劣化などが上げられますが、自然界でのメスを巡るオス同士の熾烈な戦いの映像などを見るにつけ、氷河期到来の予測と重ね、人類は衰亡に向かっているのではないかという懸念を覚えます。
「下流老人」は読んでいませんが、多くの貧困老人を産む社会は、戦後日本人歩んできた「物・金」至上の価値観がもたらした結末だと思います。この価値観をベースに賢く生きるか、他の生き方を求めるかは私たち老人の大きな課題です。老人にとってお金は生きていくために必要なものですが、私はお金では買えない目に見えない豊かなものを心の中にたくさん持って生きていきたいと思っています。
大谷映芳著「森とほほ笑みの国 ブータン」(集英社文庫)を読みました。著者がいう「世界一幸せな国、ブータン」とだけは言えない面もあるようですが、自らの「ブータン国」の確立を老後の目標としたいと思っています。(水沼文平)

敬愛大学「教育原論」 授業メモ(5月18日)

最後の試験のことを何人かから聞かれたのですが、教科書とプリントとリアクション(後でお返しします)の持ち込み可で、普段のリアクションのような内容になると思います。何かを、暗記する必要はなく、教育に関していろいろ深く考えて下さいという趣旨です。

今日は、これまでの2回の補足と、テキスト(『教育の基礎と展開』学文社)の第3章、発達の章を取り上げます。前々回と前回の皆さんが書かれたリアクションを少しコピーしました。上が前前回のもので、テキストの1章に関連して「夢十夜」のこと、「大きな木」のこと、母親なるものや父なるもの、日本的な子育てについて考えてもらいました。

次に、前回の「教育思想」に関するリアクションを見てください。 IMG_20160517_0001

教育思想に関しては、テキスト2章に詳しく書かれていますが、1年分くらいの内容を1回で説明しました。皆さんの理解力、意欲を信頼してのことです。次回には教育思想専門の方に来ていただき、講義してもらうことを交渉中です。そのリアクションにあるように、西洋の教育思想家の生きた時代が一目で分かるようにみなさんに年表を作っていただきましたし、その思想の概略も理解していただいたと思います。「近代の思想家」「啓蒙思想家」「公教育を普及させた思想家」「幼稚園教育」、「新教育運動」「内在的権力に注目した思想家」という分類まで書いてくれた人もいて感心しました。この中でも「ルソー」「デューイ」は、現代の我々の教育観に大きな影響を及ぼしていることがわかります。子ども中心の、実際の生活に根ざした教育が大事という考え方は、今の教育の基本にあると思います。また、個人の教育だけでなく、公教育という考え方も18Cに発生したことが分ります(コンドルセ、マン)。

今日は、テキストの第3章「子どもの発達から教育を考える」(藤崎春代著)を取り上げます。その最初の部分に、発達やレディネスに関して、とても高度なことが、ゲゼルやヴィゴスキーやピアジェの理論を紹介しながら書かれています(p26-30)。これまでの発達課題論やレディネスの考え方をさらに発展した内容だと思いますが、従来のハヴイガストやエリクソンの発達課題の理論も紹介しながら考えてみたいと思います。

「発達課題」というのは、「さまざまな年齢段階で達成することは必要とされる発達の内容」です。それが達成されると人は幸福になり、その後の発達課題も遂行しやすくなるものです。たとえば幼児が歩行できるようになれば、その次の課題も達成しやすくなります。言葉を覚えると、さらに周囲とのコミュニケーションができるようになります。エリクソンの場合は、発達を危機の乗り越えの過程と考え、乳幼児期に母親との関係で基本的信頼が得られず不信を抱くと、以後の人間関係に支障をきたすと考えます。ただ、「発達課題」がある時期に達成できないと取り返しがつかないと考えるのではなく、戻ってその達成を果たすことができると考えた方がいいと思います。

「発達課題」ということを身近なことで考えてほしいと思います。2つの質問をします。一つは、「小学校の時代に子どもが学んでおかなければならない課題は何でしょうか」 もう一つは、「高校時代までに学んでおかなければならない課題は何でしょうか」。勉強のことだけでなく、友人関係のことや、異性関係のことや、社会的な常識(マナー)なども考えて下さい。大学生の皆さんを見ていると、そんなことは高校時代の「発達課題」で、何で大学生の今頃やっているのとか、大学生がやるには早すぎるのではないかと疑問を感じることがあります。それで上のような質問を作りました。

次にこの章では、「仲間集団の中での学び」「2次的言葉」「教室コミュニケーション」と行った、保育園、幼稚園、学校などで、子ども達が集団のルールをどのように学んでいくのかについて、子どもの発達という観点もいれて、具体的に論じています。 それについて、藤崎さんが放送大学の番組で説明しているものを見て頂きたいと思います。

子ども達は、いつ頃、どのようなきかっけで、またどのような方法で、社会的なことを学んでいくのでしょうか。(その学びにつまずくということはどのようなことなのでしょうか。-不登校の原因を考えることもできると思います)。性自認(自分が男か女かを自覚する)するのは、何歳の時、どのようなきっかけなのかという研究もあります。子どもの発達から教育のことを考えるのは、興味深いことです。

追記 当日の学生のリアクションはこちら。1回の授業に4000円程度、皆お金を払っている<4年間の授業料400万円÷(133単位×7.5(1単位当たりの授業回数)=4000円)という話を最初にしたら、びっくりして、案外熱心に学生は話を聞いてくれた。前半の以前の内容の補足に時間がかかり、肝心の子どもの発達のことは、「発達課題」の説明で終わり、テキストの3章の話までいかなかった。

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多文化共生教育について

明日(5月17日)の敬愛での「こどもと地域の教育論」は、多文化共生教育がテーマ。テキストは、この分野では第1人者の松尾知明氏(国立教育政策研究所)のものを取り上げる。松尾氏は、WISCONSIN大学で多文化教育と教師教育がテーマの博士論文を書き、この分野の著作がたくさんある方。今回は、最近の私の編著に収録された論文を使う。学生には読んでくるように言ってあるし、発表者もいるが、私の方でも次のようなリアクションを用意し、この難しいテーマを考えさせようと思う。昔の松尾氏の論考も参考に配っておこう。IMG_20160516_0001

「こどもと地域の教育論」(敬愛大学) 517日   リアクション                        

(テキスト 松尾知明 「多文化共生と教育」 『教育の基礎と展開』第10章)

1 あなたが、日々の生活の中で、人や社会によって「文化」が違うなと感じるのはどのような時ですか?(性別、年齢、世代、地域、国籍、趣味、学歴、高校・大学、人種、宗教、階層、価値観、他)

2 文化が違う人との付き合い方は、どのようにすればいいでしょうか。

1 なるべく自分と同じ文化、価値観の人と付き合った方がいい。2 なるべく自分と違う文化、価値観の人と付き合った方がいい。3 どちらともいえない                           

3  日本、及び日本人に関して、どのように感じていますか。すばらしい、すぐれた国、国民性 ⇔ いろいろ欠点のある、劣った国) (理由           )            

 4 日本に多くの外国人の人が来ることについて、どのように思いますか。(労働の為、留学の為、観光の為、他)

5 教師として、クラスにいる外国籍の子どもに対して、どのような教育や配慮をしますか。(「日本人と同じに扱い、特別の配慮をしない」という考え方に対してどのように思いますか。)

 6 マジョリティの視点について説明しなさい。

 7 多文化共生の視点や教育で、大切なことは何ですか。

 8 今日の授業、発表に関する感想

 

時間軸

時間軸で言えば、人はどこを見て生活しているのであろうか。
社会学の見田宗介の有名な価値の4類型を作る軸は、時間軸(現在志向か未来志向)と空間軸(自分志向か社会志向)だったと思う。
井上揚水の「傘がない」の主人公は、それ以前の学生運動の若者が「未来」と「社会」を志向していたのに対して、それ以降の学生が「現在」と「私」を志向していると分析したのは副田義也先生(大学院時代に教えを受けた)である。
今の学生達の好きな歌の歌詞を見ると「未来」を志向している歌が多いように思えた。
私達の高齢者の世代は、時間的にどこに置いているのであろうか。「未来」に何か期待しているとは思えない。そうすると現在か、過去志向か。

還暦や古希を期に、自分の過去の記録(自分史)を作る人も多い。最近大学院で1年後輩の松村直道氏(茨木大学名誉教授)が『天空のろばー還暦後の旅歩き、アラカルト』(2016年3月)という素敵な冊子を送ってくれた。松村氏の還暦後のマッターホルンやキリマンジェロへの登山やアジアへの旅行の記録である。還暦を過ぎてもこの活力(未来志向)、そして古希の記念の冊子(過去回想)と、未来志向と過去志向が両方含まれている。IMG_20160515_0001
歳を取ってから過去を振り返る時、楽しいことを思い出すのであろうか、辛いことを思い出すのであろうか。 また、辛い時、それをどのように乗り越えてきたのであろうか。年寄り世代は、それを若い世代に是非伝えたいものである。
Mさんの場合、苦しい時や悲しい時に姜尚中の「在日」にある一文を読み返すという。
<【旧約、伝道の書、「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。生まるに時があり、死ぬるに時があり、・・泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり・・・愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある」
「焦りと悲しみの中で自分を見失って、今の苦境が未来永劫に続きそうな錯覚に陥っていたのだ。大切なことは、必ず時があるに違いないのだから、そのために準備をし、心の平穏を取り戻すことなのだ。そう思うと、凍てついた心がすこしずつ氷解していくようだった」>
私の場合は、辛い時は夏目漱石の小説を読むといいと学生に薦めている(聞き入れてくれた学生がいるとは思えないが)。江藤淳も父と一緒に結核にかかりふせって一番辛い時に、夏目漱石を読み「夏目漱石論」を書き、心の平静を保ち、漱石の作品から心の温まる思いを感じたと書いていた。
時間軸をどこに置くか、いつの時代を志向するのかということは大事であると思う。