敬愛大学「教育課程論」(教育こども学科1年生)講義メモ

授業の方は、今日(1月19日)も含めて2回あります。試験は2月2日4時30分から持ち込み可で行います。来週にこれまでのリアクションを全部お返しします。
この授業は「教育課程論」ということで、最初の方に、教育課程の中核の部分を取り上げました。後半は教育課程の周辺を取り上げ、教育について幅広く考えてもらいました。そのどちらも、皆さんが将来小学校の教員になるために必要なことだと思います。
教員採用試験に合格する為に、大きく2つが必要です。ひとつは、筆記の教職教養や各教科の試験が出来ることです。もう一つは幅広い人間性や行動力を身に付けることが必要です。小学校の教員は、全教科を教え、子どもと全面的に関わるので、上記の2つが求められます。
今日(1月19日)は、最初に教育のことを広い見地から考えてもらいます。次に、教職教養の試験を少しやってもらいます。

最初に前回実演を見ていただいたデジタル教科書について、少し前回のリアクションを見ながら考えて下さい。実演をして下さった東京書籍の方が皆さんのリアクションを読んで、感心していました。教員や3、4年生に話すことはしてきたけれど、1年生に話すのははじめてでこれだけしっかり理解してくれたのには驚いたと言っていました。
これから皆さんが教師になった時は、確実に教科書のデジタル化は進んでいると思います。それに振りまわされずきちんとデジタル教科書を使っていただければと思います。教師用の電子黒板はなかなかいいと思いますが、紙の教科書をなくして児童・生徒用のタブレットに全部してしまうというのは問題があると私は思います。デジタル教科書の場合は教師の力量、費用、故障の場合、子どもの健康など、多くの問題も抱えています。

次ぎにこれは、教育課程のこととは少し離れますが、私のHP(ブログ)の記事を、今年の挨拶がわりに見て下さい。何か質問や意見はありますか。なかなかいいことを書いていると自分では思っているのですが、誰からも反応がないので、めげる時があります(コメント欄は、よくみるとあります)。「状況に甘んじず飛躍する」とか、「日本人の自我構造」とか、「部屋の広さ」とか、「雑魚取り」のこととかについて書いています。

次に、それから最近書いた原稿を2つほどプリントしておきました。
1つは、受験のことで、高度成長期ことを取り上げて書いていますが、最後に今のことも書いています。皆さんが将来教える小学生が中学受験をしたいと行った時、どのように対処するかを考えることに役立つと思います(「過熱化する進学熱」『児童心理』2017.12月臨時増刊)。
2 もう一つは、青年論、若者論について、本の紹介を書いたもので、今の若者は昔に比べダメになっている、これでは日本の将来は危ないという若者論が、よく横行するのですが、そのような見方をするのではなく、少し社会学的に考えてみましょうというものです。その優れた例が小谷敏『若者論を読む』という本で、見方として言説研究という方法をとっていると社会学的なことも指摘しています。皆さんが教える児童・生徒を理解するうえでヒントになることがあると思います。また今の皆さんの青年期というものを少し考えていただければと思いました。(「若者論を読む」『児童心理』2018年2月臨時増刊)

最期に、教員採用試験の過去の教職教養に問題を少しやってもらいたいと思います。実際は30問で50分で行われるのでが、10問を15分〜20分くらいでやってもらいましょう。どのような問題が出るのか知っておいていただきたいということと、今の時点で何パーセントくらいできるか確かめてください。

追記
実際この通りの授業を行ったのだが、乗りはイマイチ。準備のし過ぎで(?)、アドリブがなかったせいかもしれない。

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教育社会学と教職

教職の授業で、教育に関する抽象的な話ばかりでは教員を目指す学士に申し訳ないと思い、私でも実践的な本やパンフレットを読んで、学生に紹介することはある。
それはあまり教育社会学的なものとはいえず、私が紹介する意味があるのかと思わないでもないが、教職に就くのに役立ちそうだだし、また現場での実践にも役立ちそうなので、少しは取り上げてもいいのかもしれないと思う。(今度、授業で配布する資料を、添付する)
教職科目の中で教育社会学は軽視され、教育社会学は危機にある、という話を聞く。「教職大学院教育においてこそ教育社会学が蓄積してきたものが活かされなくてはならない。それを具体的に示すことが私たちの仕事」と、後輩の教育社会学の研究者が年賀状に書いてきたが、学部教育の教職の授業で、教育社会学はどのように役立っているのであろうか。

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半世紀前と今は同じ時代的雰囲気?

今から60年も前になるが、大学生の頃、東京外語の仏文の学生だった友人から「ラディゲは読んだ方がいいよ」と言われたことがある。読んだがどうか覚えていないが、バタイユなどの名前と同時に、その頃の先の見えない閉塞感の時代の憂鬱にぴったりの作家・作品という印象が残っている。
今の時代は、若い人にとってその頃と同じような、先行きが見えない閉塞感に充ちた時代なのであろうか。
ラディゲの本の紹介を新聞で読んで、昔を思い出し、今の若者の先行きを考える。(朝日新聞より一部転載)

理不尽な世界に必要なリアル
  物語の舞台は、初めての世界大戦に揺れる1917年のパリだ。15歳の「僕」は、美貌(びぼう)の人妻マルトと禁断の恋に落ちてしまう。マルトの夫は従軍していてずーっと留守なのだ。
 街のあちこちで、銃後の人々が、異様な高揚感と非日常感に浮かされる日々を送っている。そんな時代の空気に押され、子供と女は刹那(せつな)的な情事をひたすら繰りかえす。「すべてがその場かぎりのことだという気持ちが、妖しい香りのように僕の官能を刺激していた」。
 その昔、フランス革命の勃発が文学を庶民の娯楽に変えたように、世界大戦の始まりも、文学の意味を決定的に変えたと。 世界はかつてない大混乱に襲われたのだ! 若者にしたら、良いことをしても報われず、努力をしても大きな力になぎ倒されて、理不尽に死ぬだけ! そんなひどい時代に生きるしかないとき、勧善懲悪の物語(ロマン)や、少年が周囲に助けられて大人になる成長小説なんて……いやー、読んでらんないですよねー……。それより、戦争に翻弄されてなすすべもない人々のリアルや、混乱の中で成長や成熟ができずに苦しむ若者のお話のほうが、魂に必要とされただろう。
 そして、その魂の問題は、いまを生きる我々のリアリティーにも繋がっている。あれきりずっと、世界は理不尽だからだ。(桜庭一樹が読む レーモン・ラディゲ「肉体の悪魔」  朝日新聞 2018年1月14日)

「子ども理解のための名著33冊」『児童心理』臨時増刊1054号

東京学芸大学名誉教授の深谷和子先生が編集代表の『児童心理』2,018年2月号臨時増刊 NO1054は「子ども理解のための名著33冊」という題で、1 西洋の思想に学ぶ、2 児童心理学の古典の中から、3 日本の子育ての源流をたどる、4その昔の子どもの姿、5 新教育運動の子ども観、6 現代の子ども問題の理解へという分類で、33冊の本の紹介が、なされている。なかなか読み応えのある内容になっている。
私も小谷敏『若者論を読む』(世界思想社、1993年)の紹介を、下記のような視点で、書かせていただいた。

<子どもや若者の心性や行動と時代の変化との関係を、社会・心理学的に考察したものがある。それらは、優れた理論に裏打ちされ、実証的な検証を経ているものが多い。時代の様相や変化を敏感に感受しているのは子どもや若者であり、それらから新しい時代の変化や風潮を知ることもできる。その代表例として、本書をあげることができるであろう。さらに、本書が画期的なのは、言説研究という新しい視点で、時代と若者の心性や行動との関係を鮮明に解明したことである。>

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千葉の内房(この冬も)

1年に一度は行きたくなるところがある。それは、千葉の内房。
この前行ったのは、2016年11月20日、その前は2015年12月28日、その前は2014年11月23日と、1年に1度の割合で行っている(皆このブログに記録と写真がある)。
晩秋や冬に行くのは、空気が澄んで、海や空や富士山がよく見えるから。
今日(1月13日)は天気がよかったので、車で内房へ。高速の館山道が通っているので千葉からは外房に行くより短時間で行ける。
「天羽」という富津の少し先にある高台の別荘地からの眺めがなかなかよい。対岸に湘南、三浦半島が見え、富士山は少し霞んでいたが雄大な姿を見せてくれた。
漁業組合の経営するレストランで昼食を食べ、小学校跡を使っているという鋸南町の道の駅を散策し、水仙を買い、保田の海を見た後引き返したが、ちょうど夕日の沈む時で、日の入りと富士山のシルエットがくっきり見えた。
この景色も、たまに見るからいいので、毎日見ていたら飽きるかもしれないと思いつつ楽しんだ。

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