東日本大震災から7年

東日本大震災から7年が経過した。
7年と聞いて、まだ7年か経っていないのか、もっと昔のことのような気がした。 
今日(33月11日)の新聞やテレビ番組をみても、東日本大震災関係の記事や番組は少ない。

NHKスペシャル「めざした復興は」は、大越キャスターのレポートで今の東北の復興の現状を報告していた。
それをみて、災害支援のハードとソフトが噛み合っていないことを感じた。
災害公営住宅という都会のマンションのような立派な建物を作りそこに仮設住宅で暮らしていた人を移しているが、そこでは家賃や公益費を支払わねばならず、住民の交流する場も支援もなく、多くの高齢者がその金銭的負担に困り、お互いの交流もなく孤立している。
 津波が来ても大丈夫のように盛り土をして造成した土地に住民が戻ってこなくて、過疎化と人口減少で、ソフト面の復興の見込みが立たない。
 福島では国の補助金で立派な学校を再建しても、放射能の被害を恐れて子どもたちは戻ってこない。入学する子どもがいてもそれは避難先からで、バス代が膨大にかかり、町村の負担がかさむ。

 朝日新聞(3月11日朝刊)も、次のように、同じこと指摘している。
「新年度には災害公営住宅や高台移転の宅地の整備がほぼ完了する。被災者からみれば、そこは新たなスタート地点にすぎない。新居に移れば、家賃やローンの支払いが始まる。新しい土地で人と人とのつながりをつくり上げていくのも容易ではない。支援を必要としている人はまだたくさんいる。」
「県や市町村の負担が生じない形で、防潮堤や道路などの整備は進んだ。1区画数千万円を投じて造成したのに、入居希望者が減って多くの空きが出た宅地のように、見込みが外れた事業が散見されるのも事実だ。」

人々の忘却の早さ、震災の復興の遠いことと、支援のハードとソフトの連携の必要なことなどを感じた。

復興支援の歌、再掲

映画『わたくしを離さないで』を観る

 昔、内向の世代と言われた古井由吉の「杏子」は愛読書で何度も読み返した。そして自分の頭の中で、小説の文章から映像をくっきり描いていたのだと思う。その小説が映画化されたというので勇んで観に行ったが、自分で描いていたイメージとかなりかけ離れていて、がっかりしたことがある。
 小説は読者が文字を読み、登場人物の心理やその情景を思い描く(イメージする)のに対して、映画は(多少のセリフはあるが)主に映像を通して情景や登場人物の心理を知る、という違いがある(マンガも同じ)。

 カズオ・イシグロの『わたくしを離さないで』のイギリス映画をビデオで観た。次のような2つの感想をもった。

 一つは、小説と映画がかなり違うということ。映画は小説の中のセリフを半分も使っていないように感じた。映画としては、原作に忠実に作ろうとしているのは感じるのだが、なかのストリーも原作を少し変え,単純化しているところがあった。小説の中の心理描写を出演者の表情や演技で示して、それを見る人に理解させようとしているのだが、小説の中の複雑な心理を映画で描くのはやはり難しいと思った。

 もう一つは、小説を読んだ時は、主人公達が早死にしなくてはならない運命の哀しい話だなと感じたが、この映画を観て(特に最後のところ)、人は若くして死ぬ運命にあろうと、歳をとってから死のうと高々50年ほどの違いがあるだけで、同じだなと感じた(宇宙の時間から考えるとほんのわずかの差)。
 死が哀しいことであるのには違いがないので、その意味で、小説でも映画でも、人の命や死に関して考えさせられる物語だと思った。

「大槻文彦とネコ」   水沼文平

高田宏著「言葉の海へ」(新潮文庫)は、「言海」を作成した国語学者「大槻文彦」
の生涯を描いたものである。その中で言海の「ねこ」の項が紹介されている。

ねこ(名)【猫】
[「ねこま」下略。「寐高麗」ノ義ナドニテ、韓國渡來ノモノカ。上略シテ、「こ
ま」トモイヒシガ如シ。或云、「寐子」ノ義、「ま」ハ助語ナリト。或ハ如虎(ニヨ
コ)ノ音轉ナドイフハ、アラジ。]
古ク、「ネコマ」。人家ニ畜フ小サキ獸。人ノ知ル所ナリ。温柔ニシテ馴レ易ク、又能
ク鼠ヲ捕フレバ畜フ。然レドモ、竊盜ノ性アリ。形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡
リヲ好ミ、寒ヲ畏ル。毛色、白、黑、黄、駁等、種種ナリ。其睛、朝ハ圓ク、次第ニ縮
ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復タ次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ。陰處ニテハ常
ニ圓シ。

文彦が「言海」を完成させたのは明治24年、今から127年前である。猫に関して、「人
家ニ畜(か)フ小サキ獸」「能ク鼠ヲ捕フ」「竊盜ノ性アリ」「性、睡リヲ好ミ、寒ヲ
畏ル」其晴(そのひとみ),朝ハ円ク、・・・・・」と、人との関係、性格、性癖、体の
特徴などが克明に記されている。127年前と現在の猫を比較して興味を覚えるのは「小
サキ獸」という表記で、決して「ペット」ではない。
〇「能ク鼠ヲ捕フ」:私が子どもの頃は天井裏で猫が鼠を追い回す騒動をよく聞いた
ものだが現在はどうだろうか。築40年の平屋の我陋屋にも鼠の存在は窺えない。
〇「竊盜ノ性アリ」:「泣くに泣けない魚屋の猫」という洒落言葉があるが、一方サザ
エさんの「お魚くわえたどら猫、追いかけて」の歌もある。昔の家は開放的だったので
野良猫が台所に入り込み魚などを盗んでいったが、閉鎖的な現在の住宅ではそれも不可
能であろう。
〇「睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル」:これですぐ思い出すのは童謡「犬は喜び庭かけ回り、猫
はこたつで丸くなる」である。
〇「其晴(そのひとみ),朝ハ円ク、・・・・・」:文彦の猫の目の一日の変化を追う表
現は猫に対する彼のただならぬ執着を感じる。

「言海」の完成間近、文彦44才の時、1才に満たない女児を結核性脳膜炎で亡くし、続
けて30才の妻「いよ」も腸チフスで失う。失意の文彦を慰めてくれたのは庭に出没する
野良猫だったのかも知れない。
なお、大槻文彦は仙台藩士で、父は 儒学者・ 大槻磐渓、祖父は 蘭学者の 大槻玄沢で
ある。日本銀行を創設した富田鉄之助(仙台藩士)は無二の親友である。

蛇足:仙台では野良猫を「のっつぉねこ」を呼ぶ。今日も我が家の庭に何匹かの「のっ
つぉねこ」が通ってくる。(水沼文平)

GEPW

加藤幸次先生(上智大学名誉教授)より、国連のGender Equal Peaceful World (GEPW)のサイトの紹介をいただいてので、以下に、その映像(you tube)を紹介させていただく。国連で働く加藤先生の娘さんが出演されている。

千葉港周辺

京葉線の沿線では、稲毛海岸や海浜幕張に行くことはあるが、さらに千葉寄りの千葉港とまでいくことは少ない。
千葉港には徒歩圏内に、千葉県立美術館(浅井忠の絵が多く飾られている)や千葉ポートタワーがある。昨日(4日)、放送大学の自主ゼミのメンバーが千葉県立美術館まで来るというので、参加させていただいた。
そこから徒歩5分のところに千葉ポートタワーがあり、地上113メートルのところから、千葉市街や千葉港、東京湾、東京方面、富士山などが見え、なかなか見ごたえがあった。ちょうど沈む夕日と富士山のシルエットが見え、千葉のよさを味わうことができた。

是非、3月27日(火曜)には、千葉港周辺を散策し、その前後に新装になった千葉駅ペリエ7階で開催される敬愛大学のシンポジウムにご参加いただきたい。

敬愛大学・シンポジウムのご案内((詳細は2月12日のブログ参照)参加費 無料
テーマ「多文化共生社会と日本」
日時  2018年3月27日(火)13:00~17:40 場所  JR千葉駅ペリエ千葉7Fペリエホール Room C   

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