WISCONSINマディソンでの生活について

その土地の風土(雰囲気や人間関係)は、時が経っても消えないものなのかもしれない。

知り合いのKさんが、白井青子『ウィスコンシン渾身日記』 という本を教えてくれた。
それは、アメリカWISCONSIN州の州都マディソンでの最近2年間の生活を、日本人女性が綴ったものである。Kさんの紹介文では、下記のように書かれている(一部抜粋)。

<内田樹さんのゼミ生だった筆者がご主人の赴任で2年間ウィスコンシンに滞在された記録。同じ海外滞在でも場所によってこれほど違うのかとびっくりしました。また筆者は大変な勉強家で語学学校に通い、カレッジでも講義を受講しています。気持ちの良い紀行文です。>

私も22年前に家族と1年間、WISCONSINマディソン(U.W.)で暮らした。
本の内容は、私の体験と重なるものがあるかもしれないと感じ、本を購入して読もうとしたが、ブログにその主要部分が載っていて、そちらを読んだ。かなり評判のブログであることを知った。

nagaya.tatsuru.com/seiko

マディソンという都市に関して、書かれていることは、私の印象とほぼ同じである。

<6月27日。マディソンは、夕闇に無数の蛍が飛び交う美しい季節である。この時期、マディソンに点在しているいくつかの美しい湖はその水面に白と青の空の色を映し込み沢山のカヤックやモーターボートを浮かべて、まるでモネかルノワールの絵のような美しい姿を見せる。この頃、夜の九時頃まで日は落ちないので、遠くで野外ライブの演奏がいつまでも楽しげに聞こえてくる夜もある。そうしてその音が消えたかと思うと、今度は薄暗がりの中、どこからともなく蛍の光がほうぼうで舞い上がり、そこら中で彼らのひと夏の求愛が始まるのである。穏やかでこの上なく美しくとても豊かな季節である。>

マディソンに住む人々の印象は、下記のように書かれていて、私の22年前の印象と一致する。それだけ、土地の風土が変わっていない。

<穏やかで平和で安全でクリーンでインターナショナルな学園都市であるマディソンには、あらゆる国の人々が住み、それぞれがそれぞれの文化や歴史に敬意を払いながら、思い合い、助け合って生きていた。夕暮れに行きかう人々は、知り合いではなくてもにこやかに挨拶を交わし、時に冗談を言って笑い合って去りゆく時もある。寛容で、いい意味でルーズでカジュアル。マディソンの良さは、人々の人間性も含め、優しくて素朴という点でもある。この豊かなマディソンの土地に染みわたる国際色豊かな養分を十二分に吸い込み、学び、笑い、人生で最も楽しかったと言っても過言ではない二年間を過ごすことが出来たのである。>

私や私の家族も、マディソンで毎日日本ではありえないほどの幅広い豊かな交友関係あったが、その相手はこの筆者と少し違っていた(白井さんの交友は主に語学学校の生徒で、極めて国際的)。
私たちが多く接したのは、娘の通った現地校の知り合い(校長、教師、同級生)、地域やYWCAや教会関係の人、UWの教授たち(4人の教授宅に家族ぐるみで招待された。これは上智の同僚の加藤幸次教授のお蔭が多い)である。レストランで会食するというより家に呼ばれたり、うちに来てもらったりした。日本人(大学院生、学部生、在学研究員)とも、日本では得られない気楽な深い交流があった(毎週日曜日は、私の住んでいたコンドの裏の公園にある無料のテニスコートで他の国からの院生もまじえて日本人同士でテニスをして、終わってからバベキューをすることもよくあった。その時の参加者は野崎さん、井口さん、山本さん、松尾さん、沢田さん,それに家族社会学の石原先生)など今の日本の学会で活躍している人たちが多い。子どもたちは、夏はそこのプールでよく泳いでいた)
1年間の気楽な別荘での生活だったような感じもするし、私にとっては過酷な1年間だった感じもする。

私のその時の記録は下記(上智大学教育学論集 30号 65-109頁 1995年度)
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Madison 
写真は、madisonjapan.wixsite.com/mjahomeより
この写真のテラスの椅子に座って、ビールを飲みながら、ジャズバンド(ロックバンドだったかもしれない)の演奏を聴いたこともある。週末には、クラッシックの演奏会も大学内で開かれ(2ドルくらいの入場料)よく家族で聴きに行った。
ただ、そんな理想郷のような場所ではないかもしれない。
マディソンにも黒人ばかりが住む地区があり、雰囲気が少し違う。大学のクラスでも黒人の女子学生に白人の学生が誰も話しかけない様子も見た。西海岸からトランスファーしてきた日本人学生と話したら、西に比べるとここは保守的で、人種差別を感じることもあると言っていた。私たちも車で1時間ほど北に行った風光明媚な場所で地元のレストランに入ったところ,白人ばかりで、冷たい周囲の視線を感じたことがある,

道徳教育について

道徳教育に関する授業を担当したことはないので、あまり道徳教育に関して深く考えたことはない。
ただ、かなり昔になるが、文部省の道徳教育担当の課の仕事を手伝ったことがある。それは、文部省がその時の子どもがリンゴの皮むきやナイフで鉛筆削りができないということから、子どもの生活技術に危機感を持ち、子どもの生活技術や生活習慣に関する教育的冊子を作るプロジェクトが立ち上げた時である。、それに参加した。
それが縁で、某教科書会社の道徳教育の副読本を作るプロジェクトにも参加した。そこで道徳教育を専門とする人たち(教科調査官、大学教員、現場教員、道徳教育担当の教科書会社社員)と接する機会があった。皆人のいい、道徳を心から愛する人たちで、教育社会学の研究者のように少し斜に構えて世の中や教育のことを考える「人の悪い」(?)人とは違うなと思った。
道徳教育の副読本を作る作業は、皆で教材になる物語や生活文をたくさん持ち寄り、その中から適切なものを選定するというもので、私も面白く、多少道徳的と思うものを10以上提出したが、採用されたのは1つだけだったように記憶する(確かオー・ヘンリー『二十年後』(After Twenty Years)で、中学校の道徳の副読本で読んだ人がいたら、それは私が提案したものです。)村上春樹の短編も1つ(確か、料理人に関するもの)提案したが、道徳的ではなかったようで採用されなかった。
「道徳教育が専門の大学研究者は少ないので、道徳教育の専門家になればすぐ有名になれますよ」というようなことを打ち上げの席で言われたことがあり、びっくりしたことがある(そのような発想で研究者が研究テーマを選ぶということがあり得るのはどうかはわからない)。

道徳的なことは私も嫌いではないが、既存の道徳や規範とは違うことを、子ども達に教えることはできるのであろうか。
今日の朝日新聞にハックルベリーフィンのことが載っていたが、ハックのような生き方は、道徳教育の教科書に載ることがあるのであろうか。
いずれにしろ、道徳教育を研究したり教えたりすることは難しいと思う。

新聞より一部転載(全文は、下記添付参照)

<ハックの特性は、世間の決まりごとも、法律も、偉い人の命令も、あんまり信じないところだ。じゃ、なにをもとに行動してるのか? それは“本能”と、善人として生まれたせいで潜在的に持っている“良心”なのだ。  危険を冒して逃亡奴隷ジムを助けたのも、思想的な行動ではない。そうするべきだと直感したから。それと、友達だからだ。“既存の権威を否定して、自分なりの道徳を発明し、仲間を命がけで守る”のが彼の生き方だ。> IMG_20180714_0004

授業のリアクション(コメント)、教育原論 7月13日

教育原論 リアクション(7月13日)  課外授業

1 前回のリアクションを読んでの感想
2 何か、自分の好きなもの、あるいは嫌いなもの写真を撮ったとして、それを絵にして、書いてもください。それに説明も加えてください。
3  藤原新也「課外授業」をみての感想
4 他の人にリアクションを読んでもらいコメントをもらう。

以前にも行った描画法(写真投影法)の授業。
学生の描く絵はなかなか上手だが、その絵に付ける文章はなかなか難しい(深く考え、センスのある文章を書くには時間が必要のようだ)

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日本子ども社会学会の第25回大会・発表要旨集録

日本子ども社会学会の第25回大会が、西日本豪雨の為、中止になったが、その時に使われる予定の発表要旨集録が、WEBで公開になっている(下記)///

http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2018/07/jscs2018resume.pdf

大会が開かれず、発表を聞いたり、直接の質疑などができないのが残念だが、WEB上で、発表をしたり質疑ができればいいのにと思う。何か、出来ないものであろうか。

地方で<生きる>若者たち

『教育社会学研究第102集』(2018年5月)の特集は「地方で<生きる>若者たち」で、いろいろなことを考えさせられた。/ 印象に残ったフレーズを転記しておきたい。///////////////// 2000年を越えたあたりから、地方の若者の不安定就労が指摘されるようになり(5頁)/ 地方の「ノンエリート」の若者たちが、資源の限られた「ローカルな社会的状況を「地元」のネットワークに/つながりを駆使しながら(17頁)///// 青森県では、学力および経済的に有利な立場にいる若者には大都市へと移動する誘因が存在するのに対して、相対的に不利な立場にいる若者にはそうした誘因は少なく、むしろ豊かでサポーティブな社会関係が出身地に留まる誘因になっている。(これは)大都市に移動する利益の小さい、資源の乏しい若者を地域に包摂し、移行における不確実性のリスクから保護する機能を果たしている。(33頁)。/ (青森の)若者たちは、「それなりに満足している」と考えるべきなのか、「絶望」していると考えるべきなのか。(48頁)///// 「地方の若者はいかなるリアリティを生きているのか」という観点から言えば、従来の分析は、若者自身が地域の構造的諸特性を解釈し、自分たちの職業生活や社会生活を意味づける側面を見逃している。(59頁) これらは、彼らが地域の社会構造との交渉を通じて自身の経験を意味づけるコンテキストを生産し、自らをローカルな主体に位置づける営みだった。(57頁)/ 世帯主である自身の賃金上昇ではなく世帯収入を自明視する語りは、現代的な生活戦略というより、この場所での生活展望の感覚を示している。(70頁)/// 村の有力者には逆らえない前近代的な権力構造、土地や資産の所有者と非所有者、古くから住みついている者と新しく来た者、年配者と年少者、男性と女性などの差異を序列化する伝統的な村社会。こうした地域社会では、近代の新参者である学校は、地域の承認と後ろ盾なしに無力である。*(109頁) (*児童74名、教師10名の命が奪われた大川小学校では、責任者の教頭が地区長に「山に上がらせてくれ」と魂願して、拒絶され、この悲劇を招いたというParryの解釈を載せている)/////////////////////////////////////////  私が学部生、院生の頃は、青年論の主流は農村青年や勤労青少年(学歴は中卒)であり、私たちの3年次の教育調査演習では、古河市の勤労青少年に面接調査をした。その後、高校進学率、大学進学率が上がり、青年論の中心は、高校生や大学生に移って行った。それで青年論の学校外の社会との関連といえばメディアが中心となって行って、地域社会との関係が薄れて行ったが、ある時期(2000年?)から、青年(若者)の就労に関心が向き、若者も地元に帰ったり、地元に留まったりして、地方に生きる若者に注目されるようになったのであろう。/ これには現代の少子化・人口減で、地方の人口が減り、何とか若者を地元に留めたいという行政の思惑も働いていることであろう。/  地方では共働きが当たり前ということや、地域の有力者の意見が学校に及んでいるという知見も興味深いと思った。都市部とはかなり違う。 敬愛大学のこども教育学学科の学生のほとんどが千葉県出身で千葉県の教員になりたいと大部分が考えていることも、この特集を読んで少しわかった感じがした。