観音像に癒される

仏像や観音像に関心があるわけではないが、先日内房をドライブした折、遠くに観音像が見えたので、近くまで行って、見学した。
名称は東京湾観音。改修中であったので中に入ることはできなかったが、上の方は改修が終わり、上半身を見ることができた。
穏やかな顔の観音像で、見ていると心が癒されると感じた。これも歳のせいかもしれない。

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追記 水沼文平さんより下記のコメントをいただいた。
 <内房の大観音像を拝見しました。観音様とは名前を唱えるだけで苦しみから救い出してくれるありがたい仏さまです。
印象に残っているのは台湾の巨大な観音像です。海の女神「媽祖(まそ)」と結びつき台湾人の厚い信仰対象になっています。  東北では会津若松市の会津慈母大観音像、仙台市の中山大観音像、釜石市の釜石大観音像が有名です。>

高齢者への評価

社会学の価値判断の基準に属性本位と業績本位という言葉がある。その人のありよう(属性)とその人のできること(業績)のどちらを重視するかの二者択一である。
ひとの出身階層や家柄は属性で、獲得した学歴は業績である。しかし学歴も属性になり、実力が業績になる。近代の社会では、未来に仕事のできる人、つまり業績主義の観点から人が評価される。
高齢者(老人)は、どのように評価されるのであろうか。近代社会では高齢者も、過去の仕事や地位からではなく、現在そしてこれから何ができるのかで評価される。すると高齢者のほとんど無価値ということになるような気がする。

しかし、上野千鶴子は次のように書いている。
「このひとが過去に何をしてきたかは問題ではない。その人の過去の生き方や姿勢がその人のふるまいに滲んでいると思う」
「その油の抜けたさりげない佇まいに好感を持った。そのひとの経てきた安易ではない時間がいまのこのひとを創ってきたのかと、目の前のそのひとのおだやかな風貌にあらためて見入った」
「何をするかでなく、だれであるのか。それも肩書や地位では測れないそのひとのありよう、ふるまい,口のきき方や身のこなし、つまるところそのひとの佇まいが、そのひとのいちばん大切な情報だと思うようになった」
「ひとがつき合うのは、そのひとの過去ではなく、現在とそしてそのひとの仕事ではなくその人の人柄とである」
「高齢者は過去の抜け殻ではない。それどころか、誰も経験したことない年齢という日々に新しい現実を探索している最中だ」

(上野千鶴子 「佇まい」『ひとりの午後に』より抜粋、明治大学、2015年度政経学部の入試で出題されている)
上野千鶴子 『ひとりの午後に』

 高齢者は過去の生き方や姿勢の滲みでた現在の人格や佇まいという「属性」によって、また、今やこれからをどのように生きるかという「業績」によって評価されるべきということなのであろうか。

上記に関しては、I氏より下記のようなコメントも寄せられている。
<業績主義(メリトクラシー)自体が高齢者の評価には馴染まないでしょう。趣味のサークルで何をやった、とかは業績たり得ないでしょうし(そもそも、成果を得たくてやっているわけでもないでしょう)。「 高齢者は過去の生き方や姿勢の滲みでた現在の人格や佇まいという「属性」によって~評価されるべき」だとすれば、それはそれで残酷なことで、人格・佇まい(・カリスマ・オーラ)といった測定可能、超主観的な尺度で評価されれば、プラスの評価になる人間などごくごく少数なので。
エッセイストに転じた上野千鶴子は、『ひとりの午後に』の構成を見る限り、幸田文(および類似の女流文筆家)の影響を受けている or それらに似せようとしている感じがありますが、「佇まい」に代表されるやまと言葉の茫漠とした世界に逃げ込んでいる感がありますね。(今まで、論理バリバリの世界にいた反動?)。社会学者にしては文学がわかる、と故江藤淳に言わせ,『上野千鶴子が文学を社会学する』などの著書のある人ですから、それなりに文学に造詣もおありなのかと(思いますが)。あまりに社会学的な文学論。

日本子ども社会学会 研究集会

今年の7月7日〜8日に開催される予定だった日本子ども社会学会の大会は台風の為中止になったが、その代りの研究集会が12月2日(日)武庫川女子大学で開催される予定で、そのブログラムが日本子ども社会学会のHPに掲載されている。

www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2018/11/programme2018.pd

学会事務局からも下記の案内が来ている。

7月豪雨により不参集となりました第25回大会の代替として、下記要領で研究集会を開催いたします。
多くの会員の皆様のご参加をお待ちしております。
日時:2018年12月2日(日)9:00~17:40
場所:武庫川女子大学 中央キャンパス(兵庫県西宮市池開町6-46)
なお、研究集会プログラムは学会ホームページよりご覧いただけます。

2018年度日本子ども社会学会 研究集会のご案内

日本子ども社会学会事務局
(お問い合わせ先 jscs@naigai-group.co.jp )

仙台の紅葉ー水沼さんからの便り

武内清先生
稲毛海浜公園から沈む夕日を見る幼い兄弟、すばらしい写真です。
この夕日を彼らはどう見たのか、生涯に残る記憶になるかもしれません。

私も子どもの頃に見た夕日と黄昏はくっきりと脳裏に残っています。
北海道に勤務していた時、道南の瀬棚という日本海に面した町で、ゆらゆらと沈んで
いく橙色の夕日もまた忘れられない光景です。

人は柏手を打って朝日を拝みます。これは太陽や自然に対する畏敬の念から来るもの
です。
夕日や茜色の夕焼けは皆な黙って見ているだけです。
仏教では西は死の世界であり、いつかは死んでしまう自分と西方浄土に行ったしまっ
た人々を切ない気持ちで思い出すからだと思います。

蔵王や栗駒が冠雪し、いよいよ仙台も冬到来です。
家の近くの山林の紅葉の写真を添付します。       (水沼文平)

仙台紅葉