大学生の好きな教科 & どのような歌の歌詞に魅かれるのか

敬愛の教育課程論の第5回は、その前の回に「自分の興味や関心のあることが、学校や大学の授業で関連つけられたり、深められたりしたことがありますか。」と聞いたこととの関連で、学校や大学のどのような教科が学生の興味関心を惹いているのかを尋ねた。
さらに、音楽に焦点をあてて、どのような歌手やグループ好きで、そこで歌われているどのような歌詞に魅かれているのかを尋ねた。
そのリアクションの質問と回答(一部)を下記に掲載する。

教育課程論(第5回)リアクション   2018年 11月2日        
1 前回のリアクションを読んでの感想
2 どのような分野の学問に興味があるか。興味のある分野にいくつでも〇。
  自然科学   社会科学   人文科学
  哲学、文学、法学 経済学 心理学、社会学、人類学、教育学
  その他(具体的に             )
3 これまで好きな教科は何でしたか。〇をつける
   小学生の時→国 算  社、理 保体 家 音美 
   中学生の時→国 数  社、理 保体 家 音美 英
   高校生の時→国 数  社、理 保体 家 音美 英
   大学生の今→国 算数 社、理 保体 家 音美 英
4 教科が好きになる理由は、何ですか。(成績、興味、得意、他)
5 児童に教科に興味を持たせるには、どのような工夫が必要だと思いますか。
6 どのような音楽が好きですか(分野、グループ、バンド、歌手など)。その理由は何ですか
7 好きな音楽の歌詞(キーフレーズ)を書いて下さい。
8 なぜそれに惹かれますか(共感、癒し、懐かしさ、励まし、発見、批判、社会的 他)。その内容は、時間的、空間的広がり(資料参照)がありますか?
9 他の人からコメントをもらう
 
教育課程論(第5回)リアクション 集計  (回答数 37名)     
2 どのような分野の学問に興味があるか。(複数回答)
  自然科学 7人 社会科学 3人 人文科学 4人
  心理学27人   教育学22人 人類学10人、哲学6人、文学4人、社会学4人 法学4人 
  経済学2人 生物学1 栄養学1 演劇1
3 これまで好きな教科は何でしたか。(人数)(複数回答)
  小学生の時→国15 数19 社11 理12 保体19 家9 音美14 
  中学生の時→国10 数14 社9、理12 保体18 家6 音美15 英6
  高校生の時→国12 数13 社9、理8  保体20 家7 音美14 英7
   今   →国7 算数8 社7、理6  保体17 家5 音美12 英10
4 教科が好きになる理由は、何ですか。(人数)
  成績 13  先生11   興味11 楽しさ9  得意5 生活3
5 児童に教科に興味を持たせるには、どのような工夫が必要だと思いますか。
  楽しさ10  体験6   生活6  ゲーム5  コミュニケーション4
    達成感2 シール2   実物2  わかりやすさ1  グループ1  テレビ1

7 好きな音楽の歌詞(キーフレーズ)を書いて下さい。

ありがとう、あなたがくれたすべてにありがとう
いつの日か 言えるかな 君に出会ったうれしさを全部
長くなるだけだからまとめるよ 君が好きだ 時に頼りなく 心は揺れる
ただ泣いて笑って過ごす日々に隣に立っていれることで 君と生きる意味になって 君に捧ぐ この愛の唄
あなたとで出会わなければ 強さも優しさも知らないまま 部屋の隅で泣いていた 何も見ずに
今夜だけでもお願い有頂天にならせて 君といる時くらいは勇気に満たされたい
神様どうか声を聞かせて ほんのちょっとでいいから もう2度と離れないように あなたと二人 あの星座のように結んでほしい
せーの!フレーフレー できないことなんてないよ だって私たちだもん
これだけは忘れないで 離れていてもここにいる 聴きたいことは山ほどあるけど 答えなくていいから
I just want it to be you and I forever.

明日はきっといい日になる   
明日またしあわせであるように
雨はいつまでも続かない 土砂降りを楽しもう
君の悔し涙がいつか実を結び、胸を張れる日まで走っていけ
踏み出そう より登ろう 高い山ほど 絶景が待っているから
もう一度 遠くに行け 遠くに行けと、僕の中で誰かが歌う
君は君らしく生きていく自由があるんだ 苦しさの上にあるのは今日だって目には見えないけど あとちょっとの涙がまた背中をそっと押す
ガラスのケースの中 味気ない世界を今 壊せ
生きている限り 日々努力して その都度に学んで 七転び八起き
はき違えるな オマエは 特別じゃない 特別になろうとするオマエに価値がある
夢は見るものじゃなくてかなえるものでしょう?だから適わない夢なら夢なんて言わない

誰しも僕ら人生は一度! 正しい道はわからないけど
闇の淵では その輝き 目映えて この瞳 焼いてしまう
過去の自分が今僕の土台となる 
いつも誰かに支えられ ここまで歩いた
Best Friend
あの花がこの世界を照らし続けるように
ならあたしの声を使えばいいよ 人によっては理解不能で 何て耳障りひどい声だって言われるけど きっと君の力になれるのだから あたしを歌わせてみて そう君の君だけの言葉で
星空のディスタンス
きっと世界の共通言語は、英語じゃなくて笑顔だと思う
明日になればバイバイしなくてはいけない僕だ

悲しみってあたし一人だけなら耐えられるのに優しさって残酷よね 心まで乱されるもの
この瞬間にどんな顔をしていただろう 一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
人の涙を見ても何も感じなくなったのは自分の心を殺すのが上手過ぎる哀しいサインだよ
I am eccentric 変わり者でいい 理解されない方が、よっぽど楽だと思たんだ
僕はやだ!!

息切れについて

普段私がやっているテニスも卓球もかなり激しいスポーツなので、それで鍛えていれば、普段の生活で息切れすることはないと思っていたが、駅の階段を上ったり、少し急な坂を登ったりすると息切れがする。
家人からは「それは呼吸の仕方が悪い」と言われ、先日苗場・田代で小高い山を登った時、思いっきり深呼吸し息を吸い込み息を吐く時は普通にしたら、かなり楽に,息切れせずに登れた。

息切れに関しては、下記のように水沼文平さんからメールをいただいた。これも試してみようと思う。

<最近、急な坂を登ったり階段を上がったりすると「息切れ」をするようになりました。ネットで調べていたら《息切れにサヨナラ 「呼吸を鍛える」肺周り筋トレ》というホームページを発見しました。
https://style.nikkei.com/article/DGXDZO63689470W3A201C1W02001/
家の中でできる立姿勢での「筋トレ」5回を日に3度、4日間やってみて、近くの神社の階段で試してみました。50段ほどある階段ですが、ほとんど息切れをせずに上がることができました。
この「筋トレ」は、肺を取り巻く筋肉を強化することで、肺が十分な酸素を吸い込むことを目的にしたものです。「息切れ」が解消、変化した自分が実感でき、毎日この「筋トレ」を続けています。今日はデパートの階段で試そうと思っています。
もし先生が息切れ症状を起こしたら是非この「筋トレ」を試してみてください。>(水沼文平)

スターとファンとの関係

藤原新也の会員制のサイトの投稿欄に、一人の藤原ファンの会員が、最近村上春樹が早稲田大学に資料やレコードを寄贈するにあたり記者会見をした際、海外の記者会見では許容している動画の配信を禁止したことに対して、打算的で「自己陶酔型作家」ではないかというような意見を述べて、藤原新也や会員に同意を求めるような内容の投稿をしていた。
以前に村上春樹の原発に関する海外での記者会見に対して、藤原新也が批判していたことを思い出しての投稿だと思うが、藤原ファンであると同時に村上ファンである私としては、違和感をもった。
その投稿者の気持ちもわからないではない。ファンたるものその「スター」や「教祖」の言うことを全て信じる傾向があるからである。
村上春樹も「信用取引」ということを言っている。(村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛び立つ』新潮社、2017.4.25)
「一生懸命時間をかけて、丹精を込めて僕が書いたものです。決して変なものではありませんから、どうかこのまま受け取ってください」という作家の依頼を、「わかりました」と信頼して受け取る関係が成立していること(134頁)。この「信用取引」こそ、その「スター」の言動に同調するファンたるものの真髄である。

しかし、人は一人の人を「スター」として仰ぎ見ているわけではない。スターAがスターBを批判した時、その両方をスターと考えていたファンは、自分はスターAともスターBとも違う考えの人間であることに気が付くことになる。

大学生のノート

小中高の教員は、生徒にノートの取り方を指導し、ノートの点検もしていることであろう。
大学では、教員たちが学生のノートの取り方を指導しているとは思えない。
私自身も学生のノートを見たことは、これまでに2〜3度しかない。それは、私が講義で何を話したかわからなくなり学生にノートを見せてもらって確かめた時と、講義内容が学生にどのように伝わっているのか確認した時のことである。

現在私は学生にあらかじめ質問を用意したリアクションを配り講義し、そのリアクションをノートがわりに使ってもらっているので、それが学生のノートで、書き方を指導(誘導?)しているようなものであるが、なかにはそれとは別に、自分独自でノートを取っている学生もいる。
今非常勤で教えている植草学園大学の学生で、私の話したことを、細部まで聞き取り、再構成して、時に図もまじえながら、きちんとノートを取っている学生がいる。
普通、大学での講義は、話した内容の幾分かに少数の学生でも関心を持ってくれればいい、というくらいの気分(覚悟?)で話しているので、このように私の話した内容が、きちんとノートに記載されているのもみると驚き、嬉しくなる。
下記にコピーを添付する(最初のものはリアクション、次ページが学生のノート)。

IMG_20181106_0001

英語教育の意味

現在の英語教育に関して内田樹氏が、興味深い内容の講演をしていることを、氏のブログの文章から知った。blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html
要点は、①文科省は英語教育の目標に功利的なものをあげ、外国語を学ぶ文化的な意味に全く言及していない。② 英語のオーラル・コミュニケーションの強調は、アメリカの植民地支配に屈することである、の2点である。

その要点部分を抜粋したのが、下記である(この抜粋の仕方に、私の見方は自然に入っている。内田氏からは「もっと複雑なことを言ってるよ」と言われそう)。

<外国語学習について語るときに、「目標言語」と「目標文化」という言葉があります。
しかし、まことに不思議なことに、今の英語教育には「目標文化」が存在しません。英語はたしかに「目標言語」なのですけれど、めざす「目標文化」はどこかの特定の文化圏のものではなく、グローバルな「社会的な格付け」なのです。高い年収と地位が得られるなら、どの外国でも暮らすし、どの外国でも働く、だから英語を勉強するという人の場合、これまでの外国語教育における「目標文化」に当たるものが存在しない。
文科省は、低く査定されて資源分配において不利になることに対する恐怖をインセンティヴにして英語学習に子どもたちを向けようとしている。文科省の英語教育についての基本政策が「金の話」と「競争の話」(と)「格付け」の話です。ここには異文化に対する好奇心も、自分たちの価値観とは異なる価値観を具えた文化に対する敬意も、何もありません。
外国語の習得というのは、本来はおのれの母語的な枠組みを抜け出して、未知のもの、新しいものを習得ゆくプロセスのはずです。
何でこんなに急激に(英語の)オーラルに偏ってきたかというと、これは日本がアメリカの属国だということを抜きには説明がつかない。オーラル・コミュニケーションの場においては、ネイティヴ・スピーカーがつねに圧倒的なアドバンテージを有する。植民地では、子どもたちに読む力、書く力などは要求されません。オーラルだけできればいい。要するに、植民地宗主国民の命令を聴いて、それを理解できればそれで十分である、と。それ以上の言語運用能力は不要である。植民地支配者たちは自分たちの文化的な本質を植民地原住民に理解されたくなんかない。だから、原住民には、法律文書や契約書を読む以上の読解力は求めない。(それは)「アメリカという宗主国」の知的アドバンテージを恒久化するためです。>(内田樹氏の文章の抜粋)

元の文章(全文)は、下記で読める。
blog.tatsuru.com/2018/10/31_1510.html

内田樹が昨今の英語教育の動向に関して指摘する点は、これまでそのように考えたことはなかったので、新鮮さを感じた。
ただ、あえて疑問を呈するとすると次のような問題があると思った。
ひとつは、氏が思想家として卓越しているにしろ、自分の昔の体験を一般化できるのだろうかということ。時代は大きく変わり、英語の機能や意味も昔と変わっているのではないか。もう一つは、英語による植民地支配という観点は社会学的には興味深いが、(英語)教育の観点からすると、教育に素人の雑な言い分のような気もする。