日本子ども社会学会 研究集会に参加する

夏(7月)に台風の為中止(不参集)なった日本子ども社会学会の代替の研究集会が大阪の武庫川女子大学で12月2日(日)開催されたので、大学の近くの尼崎に1泊して参加した。(宿泊した尼崎セントラルホテルは、飲み屋街の真ん中にあり、バイキングの朝食付きで1泊6500円と安く、コンパクトで清潔・機能的で快適であった。)
武庫川女子大学は、大きな大学で、設備も立派で、センスもよく、感心した。
大会参加者は60名から70名くらいと、予想より多かったようだ。
子ども社会学会は、こじんまりした学会で、和やかな議論がされているよさがある。その分物足りないと感じることもある。
せっかく学会に出てきたのだからと、発表部会で見当外れの質問や意見を言い、発表者を戸惑わせ,後で後悔する。
多くの知合いに会い、同世代の友人の望月重信氏や住田正樹氏にも会えて、来た甲斐はあったと思った。
2回分の大会準備をした大学関係者の方々に、心より感謝する。

私は、久しぶりの千葉から遠出、しかも関西ということで、戸惑うことも多かった。
エスカレーターで左右のどちらに立てばいいのか迷った(特に、関東からの人も多い新大阪で)。
新大阪と大阪の違いに気が付かず、新大阪で私鉄の乗り換えを探し見つからなかった。
何とか着いた大坂駅(梅田)で阪急と阪神を間違いうろうろした。(どうしてこちらでは同じ駅が、大坂と梅田と違うのか? 東京ではJRも私鉄も新宿は新宿で同じ名称なのに。)
女性専用車両が真ん中あたりに時間に関係なくあり、危やうく乗るところ。
阪神)電車のドアが駅で左右どちらでも開いたりして通路になり戸惑う(でも、階段の上り下りがなく合理的)

帰りの新幹線で名古屋から乗って来て、隣に座った女性(40代ぐらいの出張帰りらしいキャリアウーマン風の人)が、カバンからおもむろにおつまみとビールを取りだし飲みはじめ、少しびっくり(注)。
私は本を読み続け、隣を見ないようにして、お登りさんの学生(漱石の「三四郎」)の気分。(ただ、その女性は小田原で降り、降りるとき軽く会釈していった。)

(注)女性が列車の中でお酒を飲むことに違和感があるわけではない。隣の人が静かに読書をしている横で、後から来た人がお酒を飲み出すというのは(男女に関係なく)遠慮した方がいいと思うだけである(少なくとも私は遠慮する)。

Mさんから下記のコメントをいただいている。
<(上記の違和感に関しては)「時代錯誤」とか「個人の自由」とか「男女差別」とか「関係ねーだろう」という意見があるかもしれませんが、しかし大事なことは、先生が最後に控え目な表現ですが「少なくとも私は遠慮する」と断言されていることです。(中略)新幹線の隣の席で静かに読書をする人がいれば、少なくとも私も缶ビールの代わりに文庫本を手に取りたいと思います。>

たった2日間の小旅行だったが、得るものはたくさんありながら、いささか疲れた。

追記1 卒業生のI氏より、下記のコメントをいただいている。 <どうして同じ駅が、大坂と梅田と違うのか? こちらを御参考に。https://matome.naver.jp/odai/2136076233399777401
尼崎も、JR尼崎と阪神尼崎では徒歩30分くらいあり、この夏に私も失敗して、無駄にタクシーを使う羽目になりました。>

表現者の心意気

恋愛の歌より失恋の歌に人は惹かれる。何か成功した自慢話より逆境に耐えてそれを乗り越えた話に感銘を受ける。

辛いことが続くと、人の心は折れてしまうかもしれないが、それは人の心を打つことを書ける絶好の経験と思うことができれば、その辛さに耐えられるのかもしれない。少なくても表現者(作家やジャーナリスト等)にとっては。

もうすぐ雑誌に掲載される藤原新也との対談で,安田純平氏が,「監禁されながら、 『よし、この現実をとことん検証して調べて、書いてやる』と思い続け、その気持ちがあったからこそ理性を保ち、生き延びてこれた」という意味の発言をしているとのこと。
 
 表現者だけでなく、普通の我々も、この心意気を学びたい。

ひだまりの思い出  水沼文平

仙台は最高気温が15°最低気温が5°と大分寒くなってきました。エアコンで暖かく
なった部屋で本を読み音楽を聞いているととても幸せな気持ちになってきます。そし
て60年以上も前のこどもの頃の寒かった家の中を思い出したりします。

真冬の朝、目を覚ますと寒さで鼻のあたりが痛くなっていました。当時は暖房と言っ
ても居間に掘り炬燵か石油ストーブがあったくらいで子どもの部屋には何もありませ
んでした。日本の家屋は南方から伝来した稲作と一緒に北上したもので、木と土と紙
で構成された高床式の建物です。隙間だらけの家ですから風や雪さえも吹き込んでき
ました。外に出る時は「どんぶく」という綿入れ胴着を着て、姉たちのお下がりの
セーターを着ていた覚えもあります。そして下駄に足袋という足ごしらえでした。

ところで、寒かった小学生時代ですが暖かい場所もありました。それは林に囲まれた
空地の「ひだまり」です。空地の枯れ草は薬草のようなにおいがしました。そして、
そのひだまりは家庭や学校から解放された自由な空間でした。友だちと団子になって
おしゃべりや尻取り遊びをし、家から持ってきた固い干し柿を食べたりしたもので
す。

自転車で通う近くの森林公園の狭い空地にベンチが置いてあり、そこがひだまりにな
ります。団子になって遊んだ友人を誘っても来そうにもないので、一人でひなたぼっ
こをしようと思っています。冷たい風を遮る木々に囲まれたひだまりは電気によるエ
アコンにはない温もりを感じる特別の場所です。

現代の日本は、自然は観賞するもので共生するものではなくなっています。今の子ど
も達に私の昔の寒い経験をさせるつもりはありませんが、せめてひだまり(sunny
spot)という自然暖房の中で遊んで欲しいなと思っています。(水沼文平)

我が家の柿を啄んでいるヒヨドリの写真を添付します。

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話し方の大切さを知る

学校や大学では書かれたものが重要で(価値があり)、話されたことは重視されない。教科書やテキストに書かれた内容は正しいことで、教師はそれを読み上げたり説明したりする。教師の話したことを生徒がノートに書くことも重視される。
大学教員の業績は活字になった論文や著作が評価され、その人の授業や話し方が評価されるわけではない。
 そのような「書く文化」中心の学校文化の中に育つと、教師は書かれたものを中心に授業を展開するようになる。私が大学で受けた授業も、テキストや黒板の文字が中心で、先生の話し方が上手だなと感心するようなものはなかったし、そのようなことが重要とは思わなかった。
 私のこれまでの大学での教員人生を振り返ると、とにかく書かれた優れた資料を探して、それの説明に終始してきたように思う。話し方を工夫したこともない。内容さえすぐれていれば、学生はそれに感銘を受けると考えてきた。
 
 昨日(24日)、敬愛大学の教職交流会で、向山行雄・国際学部教授の講演を卒業生や学生と一緒に聞く機会があったが、その話し方があまりに上手で、皆それに聞き入り、時間の経つのも忘れるほどであり、話し方がいかに大切かを、思い知らされた。
向山教授は教壇の一箇所に立っているわけではなく、自然な感じで教室を回り、手ぶり身振りも入れて話し、皆引き込まれて話を聞いた。具体的なエピソードもふんだんに入れた話で、そこから一般的な教訓や理論を引き出していた。間の取り方が絶妙であった。
向山教授は、小学校の教師の経験もあり、学校の管理職が長く、講演も多く、また話し方はいろいろ工夫されてきたのであろう。落語を聞く機会もあると言っていた。

私ももう少し早く話し方の大切さを知り、自分の授業での工夫もすべきだったとだったと後悔した。
これから、小中高の教職のみならず、大学の教師にも話し方の教育が必要ではないかと思った。
「教師は声楽家のボーイストレーニングを受ける。教壇での教師の自然な動き、そしてパホーマンスは学生をリラックスさせる。教師は演劇家の演技指導を受けるべきであろう」とかって、大学の私語対策として書いたことがあるが(IDE,NO323、1991)、大学教師は、さらに落語家やお笑い芸人の指導も受けながら、話し方を学ぶのが必須ではないかと思った。

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観音像に癒される

仏像や観音像に関心があるわけではないが、先日内房をドライブした折、遠くに観音像が見えたので、近くまで行って、見学した。
名称は東京湾観音。改修中であったので中に入ることはできなかったが、上の方は改修が終わり、上半身を見ることができた。
穏やかな顔の観音像で、見ていると心が癒されると感じた。これも歳のせいかもしれない。

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追記 水沼文平さんより下記のコメントをいただいた。
 <内房の大観音像を拝見しました。観音様とは名前を唱えるだけで苦しみから救い出してくれるありがたい仏さまです。
印象に残っているのは台湾の巨大な観音像です。海の女神「媽祖(まそ)」と結びつき台湾人の厚い信仰対象になっています。  東北では会津若松市の会津慈母大観音像、仙台市の中山大観音像、釜石市の釜石大観音像が有名です。>