今の季節になると、毎年同じようなことを書いている。つまり「お雛様」のことである(2017年3月3日、2018年2月20日)。娘が1歳の時、買ったお雛様がまだ家にあり、毎年今の季節だけ外に出し飾る。お雛様も1年に1度くらいは明るい外の空気を吸いたいであろうし、感謝の意味を込めて、1年に一度飾ることにしている。男の子(孫)も「お母さんおめでとう」と言って、お祝いする

今の季節になると、毎年同じようなことを書いている。つまり「お雛様」のことである(2017年3月3日、2018年2月20日)。娘が1歳の時、買ったお雛様がまだ家にあり、毎年今の季節だけ外に出し飾る。お雛様も1年に1度くらいは明るい外の空気を吸いたいであろうし、感謝の意味を込めて、1年に一度飾ることにしている。男の子(孫)も「お母さんおめでとう」と言って、お祝いする

昨年出した報告書「高校教師の教育観とこれからの高校教育」(中央教育研究所、研究紀要NO。92)の内容を、教育雑誌『内外教育』(時事通信社)が、4ページに渡り,2回に分けて詳しく紹介してくれた。
調査の報告書は、とかくデータの羅列が多く、よほど興味をもっている人でないと、読んでもらえない。このように、詳細な紹介はありがたい。主に、第2章(竺原執筆)と第10章(黒河内執筆)、および第8章(武内、浜島執筆)の部分が紹介されている(下記に添付しておく)。
今年は関東はほとんど雪が降らない。少し降っても積もることがない。千葉では今年2度目の雪だと思うが、今回は少し積もりそう。雪が降ると、銀世界に、子どもたちははしゃぎ、犬も喜び走り回る。大人も、非日常の景色に少しうれしくなる。
今日(9日)は暇だし、久しぶりに東京に出て、午前中は中央教育研究所のシンポジウムを覗き、午後は有楽町に行き、韓国映画「バーニング」を見ようと計画を立てていた。 しかし朝起き庭を見たら、一面雪で真っ白で、どうしようか迷った。 「雪道で転倒したり、帰りの電車が止まってしまったらどうするの?」と家人に言われ、千葉に閉じこもる土曜日となった。

大学入試の国語の問題などは、どのようにして選ばれるのであろうか。入試は情報が外に漏れないようにするのが重要課題なので、教員皆で相談するというよりは、出題者の教員の選択に任されることが多いのではないか。すると勢い、出題者の教員の好みで題材が選ばれることになる。
I氏からの情報によると、古井由吉の文章が大学入試で出題されることは多いという(下記)。これは驚きである。古井由吉の文章は独特で慣れないととても読みにくい。それに情景の描写と心理描写が入り交じり、何を言っているのか理解するのに苦労する。特異な人、マニュアックな人でないと好きになれない。それが入試によく出るということは、国文学者の古井ファンが国語の入試問題を作り、自分の好みの文章を選んでいるとしか思えない。古井由吉ファンとしては、それはうれしいことであるが、一般の受験者にその好みを押し付けるのはいいことなのかと、少し疑問に思う。 『杳子』の名文だが、わかりにくい冒頭部分を出題している大学もある(添付参照)
追記 古井由吉の文章も、初期以降は読みやすくなっているのかもしれない。「夜中の納豆」(「聖なるものを訪ねて」平成17年収録)などの文章は読みやすく味わいも深い。入試問題の設問もよい。
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[手元のデータから最近10年ほどで以下のよう](I氏からの情報)
2016 九州大学 (前期-教育・法・経済) 古井由吉「「時」の沈黙」/2009 和光大学 (02-02) 古井由吉「「聖なるもの」の行方」/2018 京都大学 (前期-文系) 古井由吉「影」/2009 大東文化大学 (02-08) 古井由吉「楽天の日々」/2015 福島大学 古井由吉「机の四隅」/2009 和歌山大学 (前期-教育・観光) 古井由吉「西念は黙って寝たか」/2009 明治大学 (情コミ) 古井由吉「辻占」/2008 南山大学 (02-11) 古井由吉「表現ということ」/2007 関西学院大学 (02-06 文) 古井由吉「夜中の納豆」/2008 東邦大学 (02-06 理) 古井由吉「杳子」/2009 九州産業大学 (01-30) 古井由吉『ひととせの』/2018 西南学院大学 (02-06) 古井由吉『楽天の日々』/2008 関東学院大学 (03-06) 古井由吉『言葉の呪術』/2011 津田塾大学 (02-06 学芸) 古井由吉『始まりの言葉』/2009 早稲田大学 (社会科学) 古井由吉『始まりの言葉』/2016 立教大学 (02-11 文) 古井由吉『聖なるものを訪ねて』/2009 武蔵大学 (02-07) 古井由吉『聖なるものを訪ねて』/2010 明治学院大学 (02-09) 古井由吉『先導獣の話』/2015 山梨大学 古井由吉『大人と子供の文学』/2011 南山大学 (02-13) 古井由吉『島の日』/2015 日本大学 (02-15 文理) 古井由吉『半自叙伝』/2015 立命館大学 (02-07) 古井由吉『半自叙伝』/2007 熊本大学 古井由吉『野川』/2015 成城大学 (文芸) 古井由吉の文章 font:minor-lat
追記
I氏からの情報によると、古井由吉の出題頻度は、作家、評論家、思想家の中で48位だという。上位25位をあげると下記の通り。(出典『入試評論文読解の頻出作家 100』 (明治書院、1997年)(私の読んだことのある人は3分の2程度か)
1. 大岡信2. 山崎正和3. 小林秀雄4. 加藤周一5. 外山滋比古6. 中村雄二郎7. 山本健吉8. 森本哲郎9. 和辻哲郎10. 中村光夫11. 磯田光一12. 伊藤整13. 鈴木孝夫14. 唐木順三15. 高橋和巳16. 吉川幸次郎17. 林達夫18. 柳田國男19. 高橋英夫20. 森有正21. 霜山徳爾22. 丸山真男23. 養老孟司24. 村上陽一郎25. 加藤秀俊 26. 多田道太郎27. 上田三四二28. 尼々崎彬29. 夏目漱石30. 山折哲夫
齢とってからこんなことはしないが、若いころ(20~30歳の前半の独身のころ)は、自分の好きな本を人に読むように薦めていたように思う。特に自分のことをわかってほしい人に対しては、自分の好きな本を渡して読んでほしいと頼んだ。それは自分の感受性の奥底にあるものを理解してほしという切なる願いだったように思う。(それは一種の踏み絵あるいはリトマス試験紙のようなもので、その人が自分の気持ちがわかってくれる人なのかどうか判定できると思ったのかもしれない)。本を渡された人は、私の押しつけがましさにさぞかし迷惑したことあろう。友人になれそうな人が、いっぺんに去っていったこともある。相手が女性の場合、怪訝な顔をされ、だいたいうまくいかなかった。
その時、私は人に薦めた本が、古井由吉の『杏子・妻隠』である(1971年、第64回芥川賞受賞作)。「杏子」の本の内容は、後の感想にあるように内向の世代の古井由吉が、精神を病んだ女性との共依存のような関係を独特の文章で描いたものである。そのような本を薦める私の精神状態が疑わられたのであろう。 (古井由吉は、その後日本を代表する大作家になっているので、私の感受性は特異なものではなく平凡なものであったことが証明されているが)(2017年3月20日ブログ参照)
この本に関するネットの感想を一部転載しておく。(読書メーター https://bookmeter.com/books/573987
<『杳子』冒頭の谷底のシーンが圧巻。畳みかけるような思考の流動に、こちらの視点も揺さぶられる。詳細に練られ、綴られていく異常心理は、読むものを不安に導く。こういった男女の関係性が書かれたのは、この作品が戦後初のような気さえする。発表されて半世紀近くが経過しても、古びた作品に感じないのは、人間のメンタリズムや関係の閉鎖性という普遍をとらえているからであろう。> <すごい。ここまで自分の不確かさ、不安を書けるのか。⚫️いつのまにか杳子は目の前に積まれた小さな岩の塔をしげしげと眺めていた。[・・・]その岩の塔が偶然な釣合いによってではなくて、ひとつひとつこ岩が空にむかって伸び上がろうとする力によって、内側から支えられているように見えてきた。ひとつひとつの岩が段々になまなましい姿になり出した。それにつれて、それを見つめる彼女自身の躯のありかが、岩の塔をかなめにして末広がりになってしまい、末のほうからたえず河原の流れの中へ失われていく 生の深い感覚へと潜り込んでいくような空気が襲いかかります。感性と筆致が濃密であるが故の心の深淵を震わせる作品と言えるでしょう。退廃的で、丁寧な閉塞感が、2作品に共通する危うい男女間を描いているように思えます。壊れそうで気怠い雰囲気に浸るのが心地良い。抽象画のような文学で、物語が五感に染み渡るような印象を残します。> <妻隠は夫婦愛というより妻のことを女として見つめる同棲者の視点が面白い。性愛を野太く描いた言葉の美しさも妙。>