大学の教育学部や教育学科あるいは子ども学部(学科)では、教職免許を履修しても教員にならない学生が少なからずいる。そのことをどのように考えるべきか。私もその一人だが、次のように考えている。すなわち、「教育の機能は、社会のいたるところに働いています。教育関係の科目を学ぶことは、日本人の教育に関する教養や意識を高め、家庭生活や職業生活を豊かにします。そのような観点から考えれば、教職免許を取得しても教員にならない人が多くても問題がなく、教育意識の高い国民が多くなり、社会が豊かになります。その意味で、教職の教員資格の為に履修する教職科目を減らし、教職免許を取る学生を減らさない方策を取るべきだと考えます」この意見に関して、生成AIに意見を求めた。その回答を下記に転記する。ことはそんなに簡単ではないようだ。いろいろ検討すべきこと多い。
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コスモスの季節-船橋アデルセン公園に行く
秋のコスモスが見たくなり、船橋市にある「アンデルセン公園」(https://www.park-funabashi.or.jp/and/)を訪れた(家から車で30分)。園内は広く、手入れもよく行き届いていて、庭園の花の植え方のセンス抜群で、コスモスやその他の花や景色も十分に楽しめた。子どもたちの遊ぶところもたくさんある。飲食店の食事もおいしかった。入場料は一般は900円(小学生は200円)だが、65歳以上は誰でも無料ということで、運営の船橋市に感謝。


彼岸花の季節
今年はお彼岸を過ぎてから少し涼しくなり、彼岸花が家の近くの公園でも咲いている。彼岸花に関しては、(過去にも書いてきたが)、微妙なニアンスのある花なので、普通の花のように単純に楽しめないところがある(下記にWEBより、花言葉などを転載)
<秋の彼岸の頃に咲き乱れる彼岸花。鮮やかな赤色が印象的なこの花は、古くから人々の心を魅了してきました。しかし、その美しさとは裏腹に、彼岸花には「悲しい思い出」や「情熱」といった、どこか切ない花言葉がつけられています。/ 彼岸花は、その鮮やかな赤色と、秋の彼岸の時期に咲くことから、古来より人々の心に深く根付いてきました。秋の到来を告げる花として、人々に親しまれてきた彼岸花ですが、その美しさとは裏腹に、毒性を持つことでも知られています。その鮮やかな赤色は、生命力や再生を意味し、人々に希望を与えてきたとも考えられています。彼岸花は、古来より人々に様々な感情を抱かせる、不思議な魅力を持つ花なのです。/ 彼岸花は、別名「曼珠沙華(マンジュシャゲ)」と呼ばれ、これは、サンスクリット語で「赤い花」を意味する「曼珠沙華」の音写です。仏教の経典では、曼珠沙華は天界に咲く花として登場し、その花は、めでたいことが起こる前兆とされています。また、彼岸花は、田んぼの畦道や墓地に多く見られることから、「死人花」や「幽霊花」といった不吉な呼び名で呼ばれることもあります。しかし、彼岸花は、単に不吉な花ではなく、古来より人々の生活に密接に関わってきた花であると言えるでしょう。>。https://www.lifesupport-funeral.com

生成AIの回答の仕組みと特質
生成AIにどんなことを聞いても回答してくれるが、依然生成AIは、どのような仕組みで回答を寄せてくるのか、その回答の真偽のほどはよくわからない。昨日(9月20日)の朝日新聞朝刊に、AI研究者の今井翔太氏と朝日新聞の論説委員とのAIに関する対談が掲載されていた。AI研究者の今井氏の見解のいくつかを抜き出す。
今の生成AIは、「穴埋め問題」の能力を徹底的に高めたものです。次に来る言葉を予測して、文章を出力します。/「ディープラーニング(深層学習)」によって大量のデータを自ら学習し、それを使って「穴埋め問題」を極めたのが2022年に登場したChatGPT(チャットGPT)で(す)。/ AIの現在の技術では、約1千万文字、朝日新聞の朝刊約50部分を数秒で読むことができます。そこからわずかな間違いを探したり、明らかにおかしな表現を見つけたりすることも可能です。文章を展開する構成力も上手です。/ネット上の膨大な情報を集め、分析するという作業で人間はAIに勝てません。/ 2030年代には、人間が可能なすべての知的行動ができる汎用(はんよう)人工知能(AGI)が出ていると思います。ヒューマノイド(ヒト型ロボット)が生まれ、記者のように現場に行って一次情報をとってくることすらできてしまうかもしれない。個人個人がAIで毎日、情報を届けてもらうようになれば、新聞もテレビも必要なくなるかもしれません。/ しかし、私たちの感情や気持ちを読み取ることはできない。一見似たような文体のコラムは書けますが、読者の心を動かすコラムを書けるのはやはり、心を動かす対象と同質の心を持つ人間です。/ リアルタイムの情報も、自動的に入ってくる仕組みはなく、最新の一次情報をとるのは人間です。数億人分のデータからAIが出力するのは、「平均的」なものです。
上記はAI研究者の言うことなので概ね正しいのであろうが、さらにAIは進歩していくだろうし、「読者の心を動かすコラムを書けるのはやはり、心を動かす対象と同質の心を持つ人間です」という指摘は、読者に聞いてみないとわからない。生成AIに相談して感銘を受ける人はたくさんいる。カズオ・イシグロの小説『クララとお日さま』(早川書房、2021)に出てくるヒト型ロボット(クララ)は、人以上に読者の心を動かす、と一読者の私は感じる。
曖昧さに耐える
このテーマは、以前にも書いたように思うが、2つの文章を掲載しておく。
A
政治を「善悪・良否」のデジタルな二項対立に還元して理解し、解決策は「敵を叩き潰すこと」だと息巻くのが単純主義である。しかし、実際の政治は無数のファクターが関与する複雑系であり、わずかな入力変化で状況は劇的に変わる。そしてまことに困ったことに「先行きが見えない」時になると単純主義者の声が大きくなる。未来が予測不能になればなるほど、「実は話は簡単で・・・が諸悪の根源なのだ」と言い切る単純主義者に人々は魅了される。単純主義者は知的負荷を軽減してくれる。だから、内心では「それほど話は簡単ではないのでは・・・」と思っていても、「深く考えずに済む」という報酬に人々は簡単に屈服してしまう。/「世界はグッドガイとバッドガイが戦っている」という単純な二元論を信じて、知的負荷を軽減したいと願うのはトランプやヘグセスの勝手だが、世の中は実際にはそれほどには単純ではない。政治はわずかな入力変化で劇的な出力変化がもたらされる複雑系である。「北京で蝶がはばたくとカリフォルニアでハリケーンが生じる」という比喩がよく使われるけれども、政治というのはそのような未来予測がきわめて困難な系なのである。だから、できるだけ先入観を排して、楽観にも悲観にも傾かず、最悪の事態から最良の事態まで、思いつく限りのシナリオを用意して、現実をみつめる知的抑制が必要とされるのである。(内田樹 ブログ 2025年9月16日。http://blog.tatsuru.com/2025/09/16_1156.htm)
B
○私達の生きている世界は混沌とした暗闇である。各個人は自分のサーチライト(見方、言葉)で、暗闇を照らし、照らし出された部分だけを見ている。人によりサーチライトの照らす方向や精度が違い、見える世界が違っている(高根正昭『創造の方法学』講談社現代新書 1972)。世界は白黒(左右)に分かれているわけではない。陸続き・海続きで、白黒がはっきりしないグレーの部分が多い。このような世界で生活する私達は、暗闇で個人個人の見え方に違いのあることを知り、白黒のはっきりしない世界に生きていることを自覚しなければならない。○普通のサーチライトで照らすと荒唐無稽に見えるトランプ大統領の言動も、「トリックスター」(河合隼雄『影の現象学』思索社1976)や「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)へのアンチテーゼ」という見方でみると、「伝統的な秩序や常識を破壊する存在で、それが最終的に新たな秩序や可能性を生み出す」という解釈が可能になる。常識や秩序破壊の先に新しい世界を築く責任感と力量がトランプ大統領にあるとは思えないが、見方を変えると異なる意味が立ち上がってくる。○混沌とした世界の中では、「あいまいさに耐える心性」も必要である。日常的には右か左かの二者択一を強いられる場面が多いが、その判断基準に明確な正解があるわけではない。無理やりの二者択一は、ストレスを溜め、正確な判断を鈍らせる。対立する意見や状況のあいだにとどまり、自らの判断や前提を再帰的に問い直しながら考え続けることが、真理や新しい価値の発見に繋がる。○今の教育が目指しているアクティブ・ラーニング(「主体的・対話的で深い学び」)は、これに通じるものである。画一的な答えを求めず、多様な見方を探求するものである。人類が長年積み重ねてきた学問的営為の上に、新たな価値や真理の発掘を目指している。未熟な児童生徒に対しては、真理はるか遠いところにあり、教科書や教師を媒介にして伝達されるものと考えがちであるが、流動的で再帰的な現代社会の中では、適合しない部分も多い。変動する社会では、教師と児童生徒が協働で新たな真理や価値を探究していく必要がある。○大学における固有の学びに関しては、主体的・対話的で深い学びが一層求められる。正解のない課題について、多くの文献やデータを参照しながら、対話を重ね、自分なりの答えを探究する。レポートや卒論、プレゼンにオリジナリティが求められる。それが社会における新たな創造や技術革新に繋がっていく。(Q) (内外教育2025年8月19日)
追記 Bの文章を、チャトGPTに評価を依頼し、おかしいところを訂正するようにお願いした。適切な指摘と訂正文に感心した。(添付参照)