片山悠樹編著『教師の働き方』(大月書店、2023年3月)を読む

片山悠樹氏(愛知教育大学准教授)より、最新刊の編著書「『現場から変える 教師の働き方 できることから始めるローカルな学校改革』(大月書店、2023年3月)を送っていただいた。片山氏のこれまでの研究(特に若者のキャリア研究や、学校と職業の接続)と、愛知教育大学での学生の思い(将来教職に就くかどうかの迷い)への示唆が結びついた問題意識で書かれた、とても読み易い内容のものである。

教職は「やりがいのある職業」という教育学の教員の言い草は、ブラック企業の言い草そっくりという学生の声を紹介している。教職志望の学生に、教職への希望を持たせるにはどうしたらいいのかが、教育現場の実情に即して論じられている点にも感心した。教師の働き方改革に関する問題の核心を押さえ、その改革を具体的な事例にもとづいて書かれた優れた著作である。その主な点の抜粋しておく。

1 研究者のよる分析と、働き方改革の成功例の紹介(実践)の間(良いとこ取り)を扱う。/2 文部科学省の「教師のバトン」の教師の仕事の過酷さは大げさに書かれているものが多い、そのように感じていない教師も多い。/3 上からの対策は、教師の働く時間の短縮や、教育活動の外部化などが主で、それらは、一定の効果をもつかもしれないが、教師がこれまでやりがいを感じてきたこと(子ども達との接触や部活動指導)の切り捨てになる部分も多い。/4 大学の教育学の授業では、教員という仕事の「やりがい」が強調されることが多いが、それは、ブラック企業の宣伝と類似している。実際仕事に就いてみたら過酷なだけで、やりがいを感じる余裕はない。それは「やりがい搾取」(本田由紀)そのものである。/5 大学の教職の授業では、教育の理想ばかり教えるのではなく、教育現場の実情や、教育の労働環境、労働に関する法律、権利などもきちんと教えるべきである。/6 学校の管理者の姿勢が大事。教師の働き方の改善をはかると同時に、外部や保護者からの教師非難に関しては、教師個人が対応するのではなく、学校全体、管理者が前面に出て対応する。そのような管理者のもとで、教師は安心して指導が行える。/7 実際の学校で、どのような働き改革がなされているのかの事例を、教職志望の学生に示し、学生に希望を与えることも大事である(本の中では、大阪枚方市の事例を、具体的に説明している)。/8 このように、本書では、教育の理論と実践の両方から、「教師の働き方」を考えている。

新しい(?)リゾートホテル

今、学校は春休みで、子ども連れの家族旅行をする家庭も多い。それに適した宿泊施設(ホテル)があることを知った。それは、宿泊場所(ホテル)に、遊ぶ施設が全て揃い、費用も宿泊費に含まれているようなところである。今回、そのようなホテルに娘家族と2泊し(3月28日―30日)、温泉、プール、テニス、卓球、ボーリング、ハイキングを楽しんだ。

そのホテルは、「草津温泉・ホテル ビレッジ」https://www.hotelvillage.co.jp/)で、敷地が広く、ホテルの中に、いくつもの温泉があり、広い室内プール、ボーリング場、卓球場、ゲームセンター、カラオケがあり、敷地内にミニゴルフ場、テニスコート、アスレチックの施設、森林浴コース(水芭蕉も咲いていた)があり、ほとんどそれらが無料で利用できた。

このようにホテルがリゾートや遊園地と一緒になるというのは、昔家族で行ったフロリダのディズニ―リゾートがそうであったが(ホテル、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、エプコットセンター等が、同じリゾート内にあった)、日本の観光地にも同様のものがあるのを知らなかった。これからの観光地のモデルになると思った。

日帰りのバス旅行で花桃と桜のお花見

今も全国旅行支援(20%割引)が継続しており、日帰りのバス旅行もその対象であり、さらにそれに地域クーポン(平日2000円、休日1000円)がついて格安であり、庶民、特に年金生活者がそれを利用することが多い。家人と私も年に1度くらいは利用する。近くの駅に朝早く集合し、観光バスの乗りいくつかの観光地を回り、昼食も付いて1日12時間の小旅行である(3月25日)。お金持ちの行くクルーズ船やファーストクラスやグルーン車行く旅行と大きく違い、何とささやかな旅行なのかと思う。

 それでも、栃木の那須高原での昼食と、茨城の古河公方公園の花桃と桜(8660)、埼玉の権現堂桜堤の桜と菜の花(8738,8768)の見学は、期待以上のもので、小雨と曇りの中であったが、参加してよかったと思った。花桃は色が鮮やかで桜と違った華やかさがある(下記)。権現堂桜堤の桜の規模と美しさは、私が今まで見てきた桜の中では最高で、東京の千鳥が淵以上だし、千葉にはないものだと思った。(写真でそれを表せないのが残念)。

WBCテレビ観戦

自分は平均的な日本人だとつくづく思う。普段野球に関してほとんど関心がなく、プロ野球も高校野球もテレビでほとんど見ないが、世間で大騒ぎがあると、ついテレビに釘付けになってしまう。今回WBCに関しては、日本ではマスコミで事前広告があり、初戦から優勝まで、テレビの実況中継があり、その前後のニュース報道・解説も多く、大変な盛り上がりであった。普段野球を見ない私でも6~7割はテレビの実況中継を見た。そこで感じたことをいくつか、書いておきたい。

1つは、このWBCの野球熱は、多分日本がアメリカを誘って「仕掛けた」ところがあり、世界的には関心が低いものと感じた。チェコの選手がほとんど他に職業をもつアマチャ選手だったり、アメリカの大リーガーの選手にとってはこのようなマイナーな大会で怪我をしたら大変という態度が見られた。オーストラリヤでは、WBCはほとんどニュースで取り上げられていないと聞いた。第2に、世界の野球のレベルが上がり拮抗しているということ。韓国のチームも中国のチームも強く、日本が勝ったのは運もあると思った。大谷は次のように述べている。「1次ラウンドから、対戦したライバル国との差は感じていなかった。どこが勝っても不思議ではない。各国とも素晴らしい選手が集まっていた。台湾、韓国、中国に限らず、各国にチャンスがあるというのは実力が拮抗している」。第3に、日本のWBCにわかファンも、結果に関心があるだけで、それほど野球に関心があるわけではないのかもしれないと思った。日本とアメリカの決勝戦の時間、私の卓球仲間ではテレビ観戦よりいつも通り卓球練習をする人が多くいた(私は野球観戦を選んだが)。

私の場合は、野球は、小学生の時の草野球の経験しかないが、野球がスポーツのなかでは一番面白いのではないかと思っている(これが第4)。1回から9回までが1つの人生のようであり、山あり谷ありで、興味深い。さらに、投手と打者の心理的優位さも投球の1球ごとに変わり、その気持ちに肩入れして観戦していると時間を忘れる。ピッチャ―や打者の勝ち負けに同化して観戦すると、選手の歓喜や落胆の気持ちが直に伝わってくる。このような喜怒哀楽を含めて、チームや選手を応援するのが、スポーツ観戦の醍醐味なのであろう。今回のWBCで少しそれを味わった。

第5に、国を背負っての試合には、単なるスポーツ(遊戯)ではなく、宗教的な儀礼(聖)の意味もあることも感じた。(今回のWBCの選手は若いのか、聖より遊戯が勝っているも人が多いと感じたが)。一社会学者は次のように書いている。

「私たち日本人が集団の代表として行動する時、私たちはいわば宗教的な営みを行っているのである。選手たちはもはや「個人」ではない。彼らは集団の繁栄を儀礼的に演出する司祭である。チームの勝敗は背後の集団の実力の程度を象徴するから、絶対に負けてはならない。(中略)日本人の集団スポーツの中には、もう一つ宗教的な特徴がみいだされる。それはリチュアリズム(教え込まれた型どうりの行動)である。(中略)戦争は日本の国家の運命をかけているから、明らかに宗教的なものある。代表意識にかり立てられて、日本を代表する責任を負わなくてもいい人まで死んでいった」(作田啓一「高校野球と精神主義」『恥の文化再考』筑摩書房,1967、pp.257-267)