永遠の嘘をついてくれ

過酷な戦場にいる男にとって、一番の慰めは、祖国で待っている妻や恋人である。
彼女らの写真を大事そうに眺める武骨な男の姿が目に浮かぶ(そんな映画のシーンがあったように思う)。
実際は、男が祖国や故郷に帰ってみれば、恋人や妻は心変わりして、冷たかったり、離れていったりするのであるが、男にとって女性が一番大切な存在だと感じる(信じる)ことは、男のロマンと言っていいであろう。
お金や地位よりは愛(女性)が大事と思う、男という存在は、女性の現実ではなく、女性に夢を求める存在であり、滑稽であり、悲しいものであるように思う。

吉田拓郎の「永遠の嘘をついてくれ」を、そのような歌として聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=IWX5ipStDTs&feature=youtu.be

同じ気分から出る同じ意見

 理系の研究だけでなく、文系の研究でも、初発やオリジナリティは大事である。その考えや視点、分析、考察は、誰が最初に考え付いたもの誰なのかを、きちんと明記することが、論文を書くときの作法である。
しかし、時代的な気分の中で、同じようなことを同時に思いつくような場合は、どうなのであろう。あまり、初発を(つまり誰が最初に言ったのかは)気にしなくてもいいのかもしれない。
 安保法制に対する闘いの後の敗北の厭世気分について、今回は、これまでの安保闘争や大学闘争とは、違いということを、マスコミを含めて多くの人が言っている。またマスコミや識者に言われなくても、そう感じている人が多い
 先にコピーした天声人語の内容と藤原新也が9月19日のShinya talkで言っている内容がほぼ同じである。(藤原新也のtalkの内容を一部コピーする。文章を一部省略。全文は http://www.fujiwarashinya.com/talk/)

<もう「傘がない」は歌うな                藤原新也
今回の15年安保闘争は規模はその前の安保闘争とくらべ、規模は小さかったが取り決められたその内容は実質的な憲法九条改正であり、さらにアメリカの戦争に加担という意味からすれば60年、70年安保より重要な局面だったと思う。
そして雨の中、有り体に言えば闘争は60年、70年安保闘争と同じように敗北を喫した(というより勝負にならない闘いだったと言える)わけだが、私は今回運動に参加した若者と会ったおりにひとつだけ伝えたいことがある。
それは過去の二の舞を踏むなということである。
70年安保闘争が敗北に終わって世の中に蔓延した気分は「しらけ」だった。そのしらけの気分と行動様式は井上陽水の歌「傘がない」(今日の政治問題より恋人に会うための傘がないことの方が問題と歌った)に象徴される。さらには「私の人生暗かった。どうすりゃいいのよこの私」と歌った藤圭子の「夢は夜ひらく」。あるいは昭和枯れススキ。吉田拓郎の結婚しようよ。などなど、時代には厭世気分が横溢する。
この安保闘争世代の厭世としらけという時代気分は後年までトラウマのごとく日本人の無意識の中に浸透し、その時代気分はのちの世代の若者の政治問題への無関心にまで引き継がれたと私は見ている。
だが、秘密保護法、憲法改正、集団的自衛権のみならず、若者の過酷な雇用制度、年金への不安などによってマグマの貯まった若者の意識は45年ぶりに目覚めた。その意味においてこの15年安保闘争の敗北に際し、過去の轍を踏むなと言いたいのだ。もう「傘がない」は歌うな、と。
過去の二の舞を踏むことなく、自からのためにも後に続く世代のためにも、君たちは別の歌を歌わなければならない。私はそのように言いたい。>(shinya talk,9月19日)

 憲法や法律は、国民への規制ではなく、施政者の横暴や恣意を規制する為に存在する、というのは自明のこと。それが今の施政者にはよくわかっていないのかもしれない。
 それはともかく、今回のことで、法は絶対ではなく、それ使う国民の意識が大事という風潮が確認された。教育の世界でも、教育関係の法律(学習指導要領も含め)が絶対ではなく、それはあくまで基準的なもので、教育者や被教育者の意識や判断で柔軟に変えることができるという風になれば、それはいいことかもしれない。

英語の勉強?―朝日新聞「天声人語」英語対訳

自分の英語の勉強の為、朝日新聞のデジタル版より、天声人語の英語対訳をコピーする。

Rise of citizens’ anger toward Diet marks a new beginning:
After the Upper House passed security legislation into law amid utter chaos, I wondered whether children had also seen the news on TV showing the unseemly mess.
About a week ago, one of my colleagues showed me copies of letters that were written by six second-graders at an elementary school in the Tokyo metropolitan area. The children handed their letters to the school principal, asking him to deliver them to Prime Minister Shinzo Abe.
These students are sort of like small citizen activists. Not knowing how to proceed, the principal sought my colleague’s advice.
In the letters, the children made earnest efforts to express their thoughts about war and peace in sentences mostly written in hiragana.
The disgraceful scenes that erupted during the Sept. 17 Upper House special committee session to vote on the legislation represent the pathetic reality of the Diet where free and rigorous speech should be guaranteed. It was not the kind of sight I want these children to see.
Winston Churchill, the former prime minister of Britain, the birthplace of the modern system of parliamentary democracy, once said to the effect that the purpose of parliament is to change fistfights into debates.
What the public expects from the Diet are verbal battles, not the kind of melee that took place in the committee session, which looked like a mass brawl. It was distressing to see even for adults.
After the latest Lower House election in December 2014, which posted the lowest voter turnout in the postwar period, arrogance of the governing parties has apparently reached an extreme.
The parties have no time for the key principle for a democratic rule of a nation, which requires the governing party to respect the opinions of the opposition.
The current political situation in Japan conjures up a political aphorism born in the United States: “Bad politicians are elected by good citizens who don’t vote.”
Politicians and bureaucrats develop and implement policies as part of their jobs, which are paid by taxpayer money. In contrast, citizens don’t take part in demonstrations as their paid job. They are people who are acting from a sense of having no choice in the matter.
Let me quote a stanza from a poem titled “A Peach Rotting Inside,” by Noriko Ibaragi (1926-2006).
“People must not/ Allow their gunpowder of anger to become damp/ For the day when they stand truly under their own names.”
Here we see a new beginning.–The Asahi Shimbun, Sept. 20

法案可決からの始まり
 あの子たちはテレビニュースを見たのだろうか。1週間ほど前、同僚の記者から6通の「手紙」のコピーを見せられた。首都圏のある小学校の2年生6人が書いて、「安倍首相に届けてください」と校長室に持ち込んだという▼いわば小さき有志である。どうしたらいいでしょうと、同僚は相談されたそうだ。見ると、ひらがなの多い文ながら戦争や平和について考えを懸命に書いていた。17日の参院特別委の採決は、これが現実とはいえ、あの子らには見せたくない言論の府の醜態だった▼「議会の目的は殴り合いを議論に変えること」と、議会政治の本場英国のチャーチル元首相は言ったものだ。言葉の格闘こそ望まれるのに、集団格闘さながらの乱戦には大人も目を覆いたかった▼戦後最低の投票率だった前回衆院選をへて、政府与党の思い上がりはここに極まった感がある。反対者を尊重しつつ治めるという民主主義の要所を顧みない。米国の警句「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」が胸をよぎる▼政治家も官僚も、政策を立案して進めるのは、それを仕事として税金から報酬を受けている人たちだ。片や市民はデモが仕事ではなく、報酬もない。やむにやまれず行動する人たちである▼茨木のり子さんの「内部からくさる桃」という詩から、一節を引きたい。〈ひとびとは/怒りの火薬をしめらせてはならない/まことに自己の名において立つ日のために〉。ここが新たな始まりになる。

秋の御宿海岸

日頃仕事に追われ休む暇のない人(小林雅之・東大教授)を強引に(?)誘い出し、妻の運転で御宿海岸へ。
普段はガラガラの外房へ道路は、シルバーウイークの真ん中ということで混んでいて、空(す)いた脇道を行く。そこは昔ながらの千葉の農家の家並みがあり、都会や郊外では見ない彼岸花が多く見かけた。
小林氏からは、今の高等教育研究のこと、今の教育政策のこと、奨学金問題、外国の教育のことなど、たくさんのことを聞き、私にとっては車の渋滞も、有益な時間であった。
秋の御宿海岸はサーフィンを楽しむ若者が主で、泳ぐ人は少ないが、泳いでいる人を見ると外人が多く、国による季節感の違いを感じた。
暑い夏、家でぐったりしていることの多かったソフィ―(犬)も、元気に、砂浜を駆けまわてっていた。

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小林氏からも、下記(左下)のメールと写真をいただいた。

小林氏からのメール

今日の1日-日記メモ

このブログは、カウントもなく、返信もないサイトなので、何の反応も期待しない私の日記(メモ)のようなサイトである。今日(9月20日)の一日をメモっておこう。

朝7時に目が覚める。昨日の明石研の飲み会のアルコールが少し残っている感じ。
7時30分 ソフィー(犬)の散歩と、犬に朝食を与える(野菜と鶏肉を一緒に煮たものとドッグフード)
8時 パンを焼き、コヒーを入れ、サラダを作り、家人と朝食。新聞を一読。
8時30分 生後9カ月になる子ども(孫)を抱き(重さは9キロ近くある)、外を10分ほど散歩。最近、人見知りをするようになり、近所の人にあやされ、泣き顔に。
 9時 美味しそうなリンゴがたくさんあったので、リンゴケーキ作りに挑戦。ケーキ作りは半年ぶり(リンゴケーキは1年ぶり)なので、レシピをみながら慎重に。ただ材料を混ぜ電子レンジに入れチンする(コンベックで40分加熱)だけなので、料理のできない私も作れる。
 10時25分 家の前の小学校の体育館で、毎週日曜日にある卓球愛好会の練習に参加。今日は13名ほど。準備体操から始まり、メンバーを10分ずつで交代して1対1の打ち合い。私よりうまい人がほとんどなので、集中する。参加者の平均年齢は65歳くらいではないかと思う(老人クラブのよう)。そこに、朝作ったリンゴケーキを持って行き、休憩時間に食べてもらう。一応、喜ばれる。
 11時40分 卓球練習は2時間あるのだが、後半の試合の方は、パスして帰り、家でメールのチエック。
 12時30分 家人と昼食(近所のKさんからいただいた韓国料理をいただく)
 13時 時間ができたので、テニススクールのレッスンを受けに行くことを急に思い立ち、インターネットで申し込み、準備をする。 
 13時13分 自転車で、スポーツクラブへ猛ダッシュ。
 13時23分 3分遅れで、テニススクールのレッスンに参加。参加者は私を含め6人(男3、女3、年寄りはもう一人いて、後は若い人)。前半3分の1は、コーチの出す球を交代で撃ち、後半3分の2は、試合形式の練習の為、今日のレッスンは楽しい。その後は、スポーツクラブの温泉(もどき)に入り(サウナもある)、体をほぐす。。
 16時 近所のKさん宅から、昨日私の参加できなかったバーベキューをやるので来ないかという誘いにのり、ビールをもって駆けつける。庭で、昔ながらの七輪を使っての、韓国風の焼肉。ビールと一緒に美味しくいただく。さんまの七輪焼きも美味しかった。10年ぶりぐらいに会ったKさんの娘さん(小学生の頃よくうちの娘と遊んでいた)が、成人になり、美味しそうに日本酒を飲んでいたのが印象的。
 18時 家に帰り、パソコンに向かっていたら、さすがに今日は朝から動き過ぎたのか、うとうと。ベットに横になり、ぐっすり。夜の11時過ぎに目を覚まし、夜食を食べ、お風呂に入り、この日記を書いている(現在1時50分)
 今日も、後期の授業の準備や、いろいろな原稿の執筆が進まなかったことを気にしながら、明日(御宿に行く予定)に備えて寝ることになりそう。

リンゴケーキのレシピ
材料;卵(大)1個、紅玉(リンゴーいちょう切り)大1個、小麦粉100g、サラダ油90㏄、砂糖70g、ベイキングパウダー小1、汁レモン、バニラエッセンス、シナモン適量。
作り方;全部混ぜて、180度のオーブン(コンベック)で約20分焼く。

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