人との関係があるということ

 生活しているといろいろな人との関係が自然と生まれる。時にそれが煩わしいと思うことがある。
 しかし、それは「年寄りでない」ことの特権で、退職し、ましてや一人暮らしになったとき、人との関係はほとんど途絶えてしまう。その時になって、人との関係はあることのありがたさがわかる。
 たとえそれが、振り込み詐欺の人であっても、自分に話しかけてくれた人がいるということがうれしいのではないか。
 年寄りの視点から考えてみると、どのような形であれ、人間関係があるというのは、とても嬉しい。身近な具体例をあげてみよう。
① スパーでも、近くの商店街でも、コンビニでも、買い物をしたとき、そこの定員と話ができるのは、嬉しい。
② 近所を散歩している時、知り合いや知り合いでなくても、話ができれば楽しい。
③ 犬を飼っていて、犬の散歩に出かけると、その犬を媒介にして、いろいろな人と話が
できる。同世代だけでなく、異世代の人と話ができるのは至福。
④ 病院に行き、そこの医者や看護婦が、いろいろ気遣ってくれるのは嬉しい。
⑤ 何か、地域のサークルやスポーツのクラブ、あるいはボランティアの会に入っていると、そこでの活動を通して、いろいろな人と交流できる。
⑥ (私達のように)、歳をとってからも大学の非常勤として雇ってもらえ、若い人と日々接することができるというのは、大変有難い。
⑦ 子どもの家族と同居することは、「やっと子育てが終わったのに、煩わしい」と感じることがあるが、「それは天から与えられた贈りもの」というF先生の言葉が、心に残っている。

 以前に、「レンタルフレンド」という制度があることを紹介したが(2014年5月31日ブログ)、人間関係というものを、お金に換算したら、とても高価なものになる。
 「水と平和はただ」と考えるのは日本人だけという説があったが(イザヤ ベンダサン)、「人間関係はただ」と考えるのは、少し考え直した方がいいかもしれない。(大学という場は、高い授業料を払って、人間関係を得に行く場なのかもしれない、とフッと思った)

今日の稲毛海浜公園

久しぶりによい天気。朝の海辺を散歩したくなり、ソフィ―(犬)を連れて、稲毛海浜公園へ。
今、公園内では、コスモスがきれい。ダリアやいろいろな花が咲いている。
海は穏やかで、今日は水もきれい.海上にはヨットが浮かび(近くの磯辺高校にはヨット部がある)、のんびりと漂っている。遠くにはディズニーランドが見える。
千葉市は、これから稲毛、検見川、幕張の人工海浜も整備し、観光地化する計画があるようで、どのように変わっていくのか楽しみ。
私は小さい頃,海の近く(稲毛)に住んでいたせいで、時々海を見ないと精神のバランスが崩れるような気がする。今日は、朝から海浜を散歩し、さわやかな一日になりそう。

http://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/mihama/inagekaihinkoeneventjoho.html

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教育新聞に報告書掲載

我々の「教科書研究会」(公益財団法人・中央教育研究所)が、先に実施した「教育改革に関する教員の意識調査―小学校・中学校を対象に―」(研究報告№84)の内容が、「教育新聞」10月1日号で、紹介された。

教育新聞20151001 (2)

「教育新聞」(http://www.kyobun.co.jp/)は、ネットで読めるのは一部だが、いろいろ興味深い記事が出ている。
 

実態の伴わない形式だけでスーパーグローバル大学

スーパーグローバル大学に選ばれると巨額の資金が得られる(それだけ、他の大学予算が削られている)。そこで必要な「外国人教員等」は、外国での研究歴が1年以上3年未満の日本人でもいいとのこと。(私でも、後1日アメリカにいれば、カウントされたのかもしれない)。 
この政策が、いかに形式的で、実質を伴わないものか、オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏が、日経新聞で批判している。
このように、予算の傾斜配分も、よほど気を付けないと、貴重な血税の無駄使いになる。文部科学省も、建前ばかりなく、実質(実際)にも、気配りをしてほしい。

苅谷氏新聞記事

中秋の名月

今日(28日)、夕焼けがきれいであった。
今日は、中秋の名月ではないが、月がきれいで大きく見えるというので、デジカメで撮ってみた。
やはり、あまりうまく撮れない。(最後の写真はSさんから送っていただいたもの)

朝日新聞のデジタルに、いい月の写真がある。

 中秋の名月
 http://news.asahi.com/c/akxhejhm6nxnsqa4

28日の天声人語にも、味わいの深い文章が掲載されている。

<一日遅れをお許し願って、とぼけた味わいの井伏鱒二の詩の書き出しを紹介しよう。〈今宵(こよい)は仲秋明月/初恋を偲(しの)ぶ夜/われら万障くりあはせ/よしの屋で独り酒をのむ……〉。「われら万障くりあわせて、独り酒をのむ」では矛盾していないかと、ヤボを言ってはいけないらしい▼ここは理屈より想像力の出番となる。初恋の人を傍らに呼ぶわけではあるまい。「われら」は月との二人連れをいうのだろうと、どなたかが解釈していた。十五夜の月は、酒場の灯(ひ)ともし頃(ごろ)を待ちかねるように東の空にお出ましになる▼さてゆうべ、お月様は万障繰り合わせてくれただろうか。雲に隠れたところもあったようだが、拝み損ねてもがっかりすることはない。十五夜が必ずしも満月とは限らない。満月は今夜である▼月は地球に「ウサギ模様」のある面しか見せずに回っている。SF作家の星新一は、天地創造のときに天使が月の裏に落書きをして、神様が困って人間に見えないようにしたと愉快な想像をめぐらせた▼56年前の秋、裏面はソ連の「ルナ3号」に初めてその姿を見せる。むろん落書きも、地球侵略をもくろむ宇宙人の基地もなく、表側より単調な表情をしていると分かった▼科学の進歩で空想や神話は葬られても、月を恋う人間の気持ちは変わらない。〈太陽と未来 月とは過去語る〉西出楓楽(ふうらく)。井伏の詩に通じる川柳にうなずく方は多かろう。人間だれも、月を友としたい夜がある。今宵はその名もうるわしい十六夜(いざよい)の月だ。>

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名月